第五章 二話 「陳謝」
文字数 2,760文字
「地形から鑑み、また敵が重車両を投入してくることを考えると、攻撃してくるルートはこの三つ。北と南と北西の三箇所です。そこで私は全戦力をこの三つの方角の前線監視所に集中するべきだと考えます。」
圧倒的戦力差があることを考えれば、守備を陣地の全周に満遍なく配置して、一地点における戦力の厚みを薄めるよりは、敵の攻撃地点を予測して、ピンポイントで戦力を配置することにより、戦力の壁を厚くし、防戦能力を高めた方が良い…。一理ある考えではあったが、賭けの要素も強いウィリアムの提言にARVNレンジャーの幹部達は同意し切れないようで渋い顔をしていた。納得できなかったのは勿論、タン中将も同じであり、彼はウィリアムの発案に疑義を挟んだ。
「だが、その場合、防衛線を敷いていない地点から敵が侵入してきた時はどうする?守備隊は敵に背後を取られることになるぞ?」
南ベトナム陸軍指揮官の言葉にウィリアムは整然として答えた。
「その場合は前後の敵と同時に戦うしかないでしょう…。勿論、それは避けたい状況ですが、どちらにせよ戦力を分散させ過ぎれば、防衛線は敵に容易に突破されて、部隊全体が壊滅することになります…。」
ウィリアムの提案は確かに危険な掛けだった。だが、百倍近い規模の敵と戦う以上、何かを捨てなければ、まともに戦えないであろう事も確かな事実だった。
「絶対に敵はその三点からしか来ないと断言できるか?」
タン中将の再度の問いにも、ウィリアムは自信を持って答えた。
「はい。敵も優位に立つために戦車や装甲車が投入できる地形を選んでくるでしょうから、最初の攻撃は必ずこの三点から来ます。」
ARVNレンジャーの幹部達の中には、まだ納得し切っていない様子の者もいたが、ウィリアムの提言の確実さにタン中将は決断した。
「確かに私も同じように思う。だが、各防衛戦は敵に背後を取られぬよう、注意して戦うことが求められる。良いな?」
総指揮官の要請に幹部達が返事を返した後、ウィリアムは更に追加の要求を提示した。
「部隊は砲兵や救命班の後方支援部隊も含めて、全て最前線に上がってもらう必要があります。」
「何?」
どういうことか分からないといった顔で振り返ったタン中将とARVNの幹部達にウィリアムは発言の真意を説明した。
「本来であれば、後方に砲兵を配置するのが定石ですが、それでは総攻撃前にあると思われる敵の砲撃で全て殲滅されてしまいます。それを避けるためには敵と至近距離で対面し、砲撃の巻沿いを避けるためにも敵の榴弾砲攻撃が及ばない前線の防衛戦に全戦力を集中させることが必要なのです。」
敵の予測の裏をかいて、前線監視所と同じ最前線に全ての兵力を集中し、攻撃開始とともに敵に組み付く。そうすれば、味方を巻き込むことを恐れた敵は砲撃をし辛くなり、ウィリアム達は数少ない戦力をフルに使って、戦いを優位に進められるようになる…。百倍の圧倒的戦力差では小手先の戦法がどこまで通じるかは懐疑的だったが、やらなければ最初の砲撃を受けただけで部隊が壊滅するのは間違いなかった。
「一か八かの賭けだな…。」
納得しつつも、決断しかねているARVNの中将にウィリアムは付け加えた。
「タン中将、お言葉ですが、この戦い自体が既に賭けなのです。百倍近い戦力の敵と交戦しようとしている今の状況そのものが…。」
百倍の戦力差という言葉に指揮所の雰囲気が一段と重くなるのをウィリアムは感じた。絶望…、その言葉が相応しい空気の重さだったが、現実から目を逸らしては作戦など、まともに立てようがなかった。
「確かにそうだ…。」
そんな中で両目を瞑り、しばらくの間、沈思したタン中将は意を決したように両手を合わせると、部下達に命令を下した。
「よぉし!大尉の提言通り、全ての戦力を北と南、北西の前線監視所に集中する!全部隊に知らせい!敵に悟られないよう動けよ!」
総指揮官の命令を受けた幹部達は敬礼と返事を返すと、指揮所から散り散りに出ていき、それぞれが担当する部隊の持ち場に向かって行った。
「申し訳ありません…。我々さえ居なければ、敵と交戦せずに撤退することも出来たでしょうに…。」
二人残された指揮所でタン中将に歩み寄ったウィリアムは自分達の存在の罪深さを陳謝した。ユーリの話を聞く限り、不自然にもこの周辺を大量の南ベトナム解放民族戦線と北ベトナム軍の混成部隊が包囲しているのは"サブスタンスX"が関連しているとしか考えられなかった。自分達さえ居なければ、タン中将の部隊は敵と交戦せずに済んだかもしれない。百人ものベトナム人の命を地獄の境地に巻き込んでしまった…、ウィリアムは重い罪悪感を感じていたが、彼の陳謝に対するタン中将の返答は怒りでも宥免でも、ましてや同情でも無かった。
「大尉、我々を見くびらないで頂きたい。」
そう言って、ウィリアムを見返したレ・チン・タンの目には静かに燃える炎があった。その怒りが敵ではなく、自分に向いていることを悟ったウィリアムは僅かに見が竦むのを感じた。
「国の命運が風前の灯である今、我々もいずれは敵と戦わねばならない。あなた方が居よう居まいと関係ない。我々は軍人である以上、最期は国のために戦って死ぬのが本望。腐敗した軍隊の軍人だからといって、まるで我々が逃げ隠れしかできない腰抜けであるかのように思われるのは大きな間違いだよ、大尉。」
静かだが、怒りの籠もったタン中将の言葉を受けたウィリアムはその瞬間、大きな事実に気づいた。この戦争が始まったそもそもの理由はアメリカが同盟国の南ベトナムを信頼せず、余計な介入をしたことだった。軍事力が弱いや教育レベルが低いなどと言って、異国の人々を信頼せず、果ては侮辱までして、余計な介入をなしたことの代償が更なる事態の悪化と五八万もの命の喪失だった…。
そして今、自分がかつてのアメリカと同じ不信感と軽侮を無意識の内にタン中将達に抱いていたのだということを悟ったウィリアムは軍人として、これ以上ない侮蔑の言葉を吐いてしまったことを陳謝した。
「失礼なことを申しました…。お許し下さい…。」
頭を深々と下げたウィリアムの肩をタン中将は優しく叩いた。
「顔を上げ給え、大尉。」
その言葉に従って、俯けた顔を上げたウィリアムの前にあった中将の表情に先程の怒りの炎は無かった。
「君達は優秀過ぎる…。だからこそ、出来の悪い我々の公道を見ると、焦れったくなるのだろう…。」
ウィリアムが首を横に降る前で、胸の内に決めた覚悟を両目に宿したタン中将は言い切った。
「だが、我々は軍人だ。自分達のケジメは自身でつける!」