第四章 三十一話 「敵の先遣部隊」
文字数 2,232文字
「本当に我々からは一兵も出さなくて良かったのか?敵は百戦の知将と、たった八人で千人規模の軍事顧問団基地を殲滅したアメリカ兵だぞ?」
装甲で包まれた車体の内側に多数搭載した通信機器で先遣部隊の前線指揮官とオペレーターを通じて、やり取りをしているグエンにブイは今一度問うた。戦車と水陸両用戦車が各一両、その他、六三式APCなど多数の攻撃車両とともに五百人の兵士を擁して、上空には偵察警戒ヘリまで伴っている先遣部隊に更なる追加戦力が必要だとはブイも思っていなかったが、彼らを送り出したグエンの態度が余りにも自信過剰だったため、戒めるつもりもあって敵の脅威を伝えたのだったが、その意は伝わらなかったようだった。
「心配するな、ブイ。我らが精鋭部隊の的確で予測不能な攻撃に敵は絶対に震え上がる。まぁ、見ておけ。」
自信に満ちた笑みを浮かべ、こちらを一瞥したグエンの顔を見て、自分の忠告が全く伝わらなかったことを悟ったブイは溜め息を吐くとともに、背後で腕組みをして、オペレーター達の無線やり取りを聞いているアシル・ベル・ナルディを振り返った。実際に前線に出ている作戦顧問の彼ならグエンを慎重にさせることができるのではないかとブイは思ったが、ベルも指揮権を握られたこの状況ではグエンに任せる他ないという風に肩を竦めただけだった。
目を覆うような凄惨な事態となることだけは避けたいが…。
そう思って静かに目を閉じたブイは自分とグエンが長きに渡る武力闘争に身を捧げるきっかけとなった一九四八年のある日のことを脳裏に思い返した。
空気を切り裂くような急降下爆撃の轟音、地上すれすれまで迫ってきて、眼下に機銃掃射の銃弾を撒き散らすフランス軍のAU-1コルセア攻撃機の殺戮、そして焼け焦げた我が家の中で無惨な姿になった両親の黒焦げた遺体…、同じようにフランス軍の爆撃で家族を殺された同郷のグエンとともにベトナム独立同盟会(ベトミン)に参加した時、自分は一体何を願っていたのか。家族への復讐、それならば自分の戦いはフランスを討ち破った二十年前に終わっていたはず…。この国を開放するため?だが、ここまで若い兵士達を犠牲にして得られる開放とは何なのか?時折、頭を悩ませる指揮官としての命題を一先ず胸に仕舞い込んだブイはゆっくりと目を開くと、目の前の作戦指揮に意識を集中させた。
その頃、ブイ達の前線指揮所から一キロほど離れた地点では一人の農民が逃げ出した水牛を追ってジャングルの湿地帯をとぼとぼと孤独に歩いていた。
「くそ…、何で俺がこんな真夜中にこんな仕事をせにゃいかんのだ…。」
小さなランタンの灯りを手に恨み言を一人でボソボソと呟きながら、仲間から押し付けられた水牛捜索の仕事を続けていた農民の男は刹那、夜空を明るく染め上げた強力な閃光と鼓膜をつんざく破裂音に悲鳴をあげながら、その場で身を伏せた。
「ひ…、ひい…っ!」
数年前まで続いていたアメリカ軍による爆撃のトラウマで暫くの間はうずくまった状態から動き出すことができなかった農民の男だったが、突如上空に弾けたローターの回転音に顔を上げたところで、前方に二百メートルほど離れた土手を多数の車両が前進しているのに気がついた。
「ありゃ、何じゃ…。」
照明弾の閃光に照らし出された戦闘車両の、細長い主砲を備えた重厚なシルエットに男が目の前の車列が軍隊だと気づいた瞬間、今度は照明弾よりも遥かに強い光が男のことを上空から激しく吹き付けるダウンウォッシュの風とともに照らし出した。
「うわ…!」
再度の悲鳴と同時に男が再び体を伏せたと同時に怪しい人影が敵ではなかったと確認したサーチライトの主は小さなメインローターを急回転させて、男の頭上を飛び去って行った。
「な…、何なんだ…?」
顔を起こし、小型偵察ヘリコプターが飛んで行った方向を凝視した農民の男は薄暗い夜闇の中に粉塵を巻き上げて前進する大量の車両群を視認して愕然とした。戦車や装甲車に十台以上のトラック、更にそれらの車列の脇にライフルのような長筒を携帯した兵士が数え切れないほどの人数で行進している…。
「ひぇ…。こんなところに居て巻き込まれたんじゃあ、面白くねぇ…。さっさと帰るぞ!」
軍事や戦争に詳しくない頭でも本能的に異常事態を察知した男は異形の車列が進軍している方向とは逆方向に沼の中に落ちたランタンも拾わず、一目散に走り去って行った。
そう、この男が目にした戦闘車両の謎の車列こそ、グエンが敵陣へと送り出した北ベトナム軍の先遣部隊だった。主力戦力の五九式戦車とPT-76B水陸両用戦車を先頭に、上空には小型偵察ヘリコプターのOH-23D レイヴンの空の目を得た精鋭部隊は車両が通行可能な道しか使えない事情故、進軍に時間がかかっていたが、それでもタン中将達のARVNレンジャー部隊が陣地を構えるクメール寺院へと向かって、着実に前進していた。
「こちら、スーパー・ダック。現在までに敵勢力の妨害はなし。このまま、敵陣へと向かって前進する!」