第一章 二話 「封印」
文字数 2,125文字
その中にあの男の姿もあった…。エルヴィン・メイナード、国防総省の特殊戦研究部所属の陸軍大佐にして、特殊戦用特殊部隊の事実上の指揮官。チューチリンの事件の後、監獄で死を待つだけだったウィリアムに新たな名前と"ゴースト"隊員としての人生を与えた男…。
普段は秘匿性のため、闇よりも黒いブラックのスーツに身を包んでいる男も駐屯地内で部下を迎えに来た今日は珍しく軍服を着ていた。
建物から出てきたウィリアムに、やあ、という風に片手を上げてみせたこの男のことを、ウィリアムは出会ってから多くの時間を彼の下で過ごしたのにも関わらず、あまりよく知らない。知っているのは、彼の名前とそのワスプ系の名前が示すように彼が純粋な白人であるということだけだった。そんな彼が何故、黒人の戦争犯罪者だった自分に興味を持ったのかも、ウィリアムは知らない…。だが、それでも良いと彼は思っていた。大佐が上官として信頼でき、彼の指揮の下にいれることで、部下が命を落とすのを極力見ずに済むのなら…。ウィリアムにとっては、それだけで十分であった。
この日、ハワードを弔いに行くために、ゲネルバでの作戦に関する諮問懐疑に召集された自分のことを迎えに来たメイナードを一目見て、仮面をかぶったような、うかがい知れない表情の裏側に何か不穏な気配をウィリアムは敏感に察知した。
きっとまた新しい任務が与えられる…。しかもその任地はウィリアムが地球上で最も行きたくないと思う場所だ。いずれ聞かされるあろう任務であるが、ウィリアムはそれについて、自分から聞く勇気はなかった。基地の端に停めたメイナードの車まで歩く間、二人が交わらせた会話は諮問会議の間中、眠り続けていたエルネスト大尉のことなど、ほんの他愛のないことだけだった。
ウィリアムとメイナードの乗った黒い公用車はフォートブラッグ駐屯地を出て、市街地郊外の軍人墓地に向かっていた。運転はいつもの助手に任せ、ウィリアムとともに後部座席に乗り込んだメイナードは隣で静かに沈黙する部下に対して、ある告白をいつするべきかと考えていた。
抱えている問題が多すぎるウィリアムには休息を与えてやりたいところだったが、状況がそれを許さないのだった。もっとも、先程の車まで歩いてくる間の会話で少し察知されてしまったようだったが…。
本当に勘のいいやつだ、とメイナードは思ったが、ウィリアムに考えを見透かされるのはそれほど嫌なことではなかった。彼は言葉を挟まずに自分の言いたいことを理解して、指示以上の結果をいつも出してくれる。
メイナードは必要以上にこの黒人の大尉に自分が肩入れしすぎていることに気がついていた。もっと冷酷にならねば、でなければ自分の本当の計画までも成し遂げる前に見抜かれてしまうかもしれない…。
だが、そう思って心を引き締めようとしても、ふと計画を実行する日がやってきたら、彼は自分に同調してくれるのではないか、などと期待している自分がいるのに気づいて、メイナードは完全には人を捨てきれていない自身を鼻で笑った。
同調してくれるかではない、させるのだ。
車の外には何の変哲もない市街地の朝の景色が流れていた。通勤の時間は終わり、道に出ている人の姿はそれほど多くなかったが、道路に面した飲食店やオフィスはすでに彼らの仕事を始めていて、車の中からでもフォートブラッグ近郊の活気を感じることができた。
窓の外に流れる活気にあふれた、だが同時に静かで落ち着いた雰囲気もある市街地の景色を見送りながら、メイナードは、ふと、このところベトナムでのアメリカ軍の残虐行為を非難するデモや呼びかけを町でめっきり見なくなったな、と思った。
一時期、公民権運動と絡み合いながら、反戦運動とともに熱を増した、それらの大衆運動やマスメディアの報道は、ソンミ村での虐殺事件が特別な悲劇の事案だったのだというレッテルを貼られるとともに急速に息をひそめ、七三年の米軍撤退以降は誰もそれらの汚点を掘り返そうとはしなくなった。
無論、ベトナムでアメリカ軍や同盟国の兵士達によって行われた残虐行為は数えきれないほどで、それらの行為の根本的な原因は、兵士達に敵を人として認識させないような教育と訓練を行った軍全体の方向性に問題があったのだが、軍上層部がその発覚を恐れ、奇しくも米軍撤退とともに反戦運動が終息に向かったことで、 多くの事件が未だ闇に埋もれたまま、そして恐らくは、もうに二度と人々に知られることはないまま封印されたのだった。チューチリンの事件もその内の一つとして、闇の中にへ葬り去られた…。
メイナードは、窓の外を流れる町の風景を見つめているウィリアムを一瞥して、彼もあの事件のことを考えているのだろうか、と考えた。もし、そうなのだとしたら、猶更このことを告げるのは酷であろう…。数か月後に彼が赴かねばならぬ任地が、彼が地球上で最も避けてきた場所…、ベトナムであるということは…。