第一章 八話 「新兵」

文字数 2,008文字

寒い訓練場とは打って変わって、第七五レンジャー連隊の隊舎内にあるゼイン少将の執務室は空調が効いており、先程まで野外で冷気に当てられていたイーノックには熱すぎるほどだった。扉を開けると同時に部屋の中から差し込んできた太陽の光と温暖な空気に一瞬、目を伏せたイーノックが顔を前に向けると、先刻、訓練場に居た二人の上級士官が部屋の中央付近に置かれた応接机を挟んで、向こう側のソファーに腰かけているのが目に入った。
彼らはイーノックが部屋に入ると同時に立ち上がると、敬礼もなしに彼に机を挟んで反対側のソファーに座るよう手で勧めた。勧められたまま、高級そうなソファーに座りながら、イーノックはちらりと二人の士官を見やった。
一人は黒人、もう一人は白人。二人とも軍服ではなく、黒のスーツに身を包み、階級章も着けていないので階級は分からないが、イーノックの見立てでは白人の方が部隊の責任者、黒人の士官の方が部隊長ではないかと推測した。
軍服も階級章も身に付けていないということはグリーンベレーではない。では一体どこの部隊?まさかフォートブラッグに新設された対テロ特殊部隊か…?
イーノックは様々な考えを巡らせたが、結論を出すには至らなかった。彼が腰かけると二人の上級士官もソファーに腰を下ろした。ゼイン少将は彼らの背後の執務机の向こうで回転椅子に座り、日除けブラインド越しに窓の外に広がる駐屯地の景色を眺めていた。
ソファーに腰を下ろすと同時に最初に口を開いたのは、白人の男の方だった。
「エルヴィン・メイナード陸軍大佐だ。彼はカークス大尉、私の部下だ。」
男の階級を聞いて、反射的に立ち上がりそうになったイーノックをメイナードが片手を上げて制した。
「立たなくて良い。敬礼も不要だ。」
イーノックはともに紹介された黒人の大尉の方を見やった。こちらを見る目はやはり、先程、訓練場で会った時と同じ、何か初めて会ったわけではないような視線を向けている。
どこかで…、会ったのか…?
記憶を辿りながら、
「イーノック・アルバーン上等兵、レンジャーの…。」
と自己紹介をしようとしたイーノックをまたしても、メイナードが「知っている。」と片手で止めた。冷淡な印象の白人の大佐に イーノックが少し反感を感じたと同時に、メイナードは本題に入る口を開いた。
「まず最初に我々の所属を今、明かすことはできない。それを承知の上で聞いてくれ。」
有無を言わせぬ口調のメイナードの隣で、黒人の大尉は口を開かず、相変わらず不思議な視線をイーノックに向けている。イーノックが静かに頷くと、メイナードは更に続ける口を開いた。
「二か月後に我々は外地での任務に出撃する。その作戦に従事し、生きて帰ることができたなら、君に伍長への昇進と望む部隊への配置を約束する。」
「外地での任務の内容というのは?」
最初に濁して伝えたということは詳細は教えてもらえないだろうな、と思いながら口に出した問いだった。
「機密故にあまり詳細な説明はできないが、紛争中の地帯に潜入し、目標施設にて要人を確保し、同盟国圏内に離脱する。目標施設は合衆国と現在国交を断絶中の国家組織の勢力圏内にある。我々が今、君に提示できる情報はこれだけだ。だが…。」
一九七五年の現在、アメリカと国交を断絶していて、尚且つ内線状態にある国といえば、この広い世界の中でもある程度限られてくるが、陸軍大佐の次の一言がイーノックの予想を確信に変えた。
「君が胸に秘める疑問…、それに十分な答えを与えられる任地であることは保証する…。」
意味ありげな笑みともに答えたメイナードの発言の真意ははっきりしていた。
兄を自殺に追いやった戦争に対して自分に答えを与えてくれる任地...、ベトナムだ…。
そう悟った次の瞬間、イーノックは細かな疑問などは意識の外にしたまま、反射的に彼らの誘いに対する答えを口にしていた。
「自分も連れていってください。」
どれほど訓練を積んでいても、実戦を体験していない自分に戦争というもの、人を撃つことも撃たれることも、人を殺すことも殺されることも、その何もどういうものなのか全く分からない。そんな未知の恐怖に飛び込むのに、イーノックは怖れを感じていないわけではなかったが、もうこの機会を逃せば次はないのは確実だった。兄の戦った戦場、彼を狂わせた国、そこに飛び込むことができる、これが最初で最後の機会だ…、そう悟った瞬間には、彼の頭の片隅によぎる不安は完全に消え去っていた。
予想よりも早く、そして簡単に得ることができた同意の返事にメイナードは、うっすらと微笑を浮かべて頷いた。その横に座る黒人の大尉は相変わらず、不思議な視線をイーノックに投げかけている。二人の背後では執務机の回転椅子に座ったゼイン少将が若い部下のこれからの苦難をおもったのか、それとも優秀な隊員を引き抜かれるのを憂いてか、深い溜め息をついたのがイーノックにまで聞こえてきた。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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