第一章 八話 「新兵」
文字数 2,008文字
彼らはイーノックが部屋に入ると同時に立ち上がると、敬礼もなしに彼に机を挟んで反対側のソファーに座るよう手で勧めた。勧められたまま、高級そうなソファーに座りながら、イーノックはちらりと二人の士官を見やった。
一人は黒人、もう一人は白人。二人とも軍服ではなく、黒のスーツに身を包み、階級章も着けていないので階級は分からないが、イーノックの見立てでは白人の方が部隊の責任者、黒人の士官の方が部隊長ではないかと推測した。
軍服も階級章も身に付けていないということはグリーンベレーではない。では一体どこの部隊?まさかフォートブラッグに新設された対テロ特殊部隊か…?
イーノックは様々な考えを巡らせたが、結論を出すには至らなかった。彼が腰かけると二人の上級士官もソファーに腰を下ろした。ゼイン少将は彼らの背後の執務机の向こうで回転椅子に座り、日除けブラインド越しに窓の外に広がる駐屯地の景色を眺めていた。
ソファーに腰を下ろすと同時に最初に口を開いたのは、白人の男の方だった。
「エルヴィン・メイナード陸軍大佐だ。彼はカークス大尉、私の部下だ。」
男の階級を聞いて、反射的に立ち上がりそうになったイーノックをメイナードが片手を上げて制した。
「立たなくて良い。敬礼も不要だ。」
イーノックはともに紹介された黒人の大尉の方を見やった。こちらを見る目はやはり、先程、訓練場で会った時と同じ、何か初めて会ったわけではないような視線を向けている。
どこかで…、会ったのか…?
記憶を辿りながら、
「イーノック・アルバーン上等兵、レンジャーの…。」
と自己紹介をしようとしたイーノックをまたしても、メイナードが「知っている。」と片手で止めた。冷淡な印象の白人の大佐に イーノックが少し反感を感じたと同時に、メイナードは本題に入る口を開いた。
「まず最初に我々の所属を今、明かすことはできない。それを承知の上で聞いてくれ。」
有無を言わせぬ口調のメイナードの隣で、黒人の大尉は口を開かず、相変わらず不思議な視線をイーノックに向けている。イーノックが静かに頷くと、メイナードは更に続ける口を開いた。
「二か月後に我々は外地での任務に出撃する。その作戦に従事し、生きて帰ることができたなら、君に伍長への昇進と望む部隊への配置を約束する。」
「外地での任務の内容というのは?」
最初に濁して伝えたということは詳細は教えてもらえないだろうな、と思いながら口に出した問いだった。
「機密故にあまり詳細な説明はできないが、紛争中の地帯に潜入し、目標施設にて要人を確保し、同盟国圏内に離脱する。目標施設は合衆国と現在国交を断絶中の国家組織の勢力圏内にある。我々が今、君に提示できる情報はこれだけだ。だが…。」
一九七五年の現在、アメリカと国交を断絶していて、尚且つ内線状態にある国といえば、この広い世界の中でもある程度限られてくるが、陸軍大佐の次の一言がイーノックの予想を確信に変えた。
「君が胸に秘める疑問…、それに十分な答えを与えられる任地であることは保証する…。」
意味ありげな笑みともに答えたメイナードの発言の真意ははっきりしていた。
兄を自殺に追いやった戦争に対して自分に答えを与えてくれる任地...、ベトナムだ…。
そう悟った次の瞬間、イーノックは細かな疑問などは意識の外にしたまま、反射的に彼らの誘いに対する答えを口にしていた。
「自分も連れていってください。」
どれほど訓練を積んでいても、実戦を体験していない自分に戦争というもの、人を撃つことも撃たれることも、人を殺すことも殺されることも、その何もどういうものなのか全く分からない。そんな未知の恐怖に飛び込むのに、イーノックは怖れを感じていないわけではなかったが、もうこの機会を逃せば次はないのは確実だった。兄の戦った戦場、彼を狂わせた国、そこに飛び込むことができる、これが最初で最後の機会だ…、そう悟った瞬間には、彼の頭の片隅によぎる不安は完全に消え去っていた。
予想よりも早く、そして簡単に得ることができた同意の返事にメイナードは、うっすらと微笑を浮かべて頷いた。その横に座る黒人の大尉は相変わらず、不思議な視線をイーノックに投げかけている。二人の背後では執務机の回転椅子に座ったゼイン少将が若い部下のこれからの苦難をおもったのか、それとも優秀な隊員を引き抜かれるのを憂いてか、深い溜め息をついたのがイーノックにまで聞こえてきた。