第四章 二十一話 「脱走」
文字数 2,659文字
そろそろ始めるか…。
部屋の中にCIAの尋問官が二人、鍵のかけられた扉の向こうに更に二人のCIAエージェントが監視についていることを「愛国者達の学級」で植え込まれた超人的な聴覚で感じ取ったメイナードは同じく「愛国者達の学級」で得た特殊技能を使おうとしていた。
"あの組織"の存在すら知らん今の世代の彼らには狼狽するだろうな…。
自信に満ちた確信と同時に、自分の目の前に座っている尋問官の顔を一瞥したメイナードは呼吸を止めるとともに意識を自分自身の全身、そして血流や細胞の一つ一つにまで集中させて、特殊技能を引き出した。
尋問から一時間、監視もそろそろ交代の時かと思い、この退屈な時間がようやく終わることに安堵を感じていたCIAの尋問官は目の前で両手を拘束された状態でパイプ椅子に座っている捕虜が微かに笑みを浮かべて、こちらを見ていたような気がして全身に寒気が走るのを感じた。本の一瞬のことだったので見間違いだったかもしれないが、泡だった全身の鳥肌の感覚が尋問官に彼の見たものが決して思い違いなどではなかったことを教えていた。
奴には絶対に気を許すな…。
リロイの残した言葉を思い出した尋問官は応援のために部屋の外の仲間を呼ぼうとしたが、彼がもう一度確認のため目の前の捕虜の顔を睨んだ時には、メイナードは白眼を剥き、口腔内から白色の泡を吹き出していた。
「おい!大丈夫か!」
この男は危険だから何があっても近づくな、まず自分に知らせろ、と上司のリロイから伝えられていた尋問官だったが、目の前で発作を起こし、激しく痙攣する男の姿を見て、一人の人間として黙って放っておくことができなかったのが彼の弱さだった。思わず飛びついた尋問官がパイプ椅子から立ち上がった時には、メイナードは余りにも激しい発作のために、手足を拘束されていたパイプ椅子ごと転倒して、灰色のコンクリートの上に横たわったまま泡を吹いて痙攣していた。
「おい!余り近づかない方が…。」
背後で同僚が止める中、メイナードの首筋に手をやった尋問官は切羽詰まった表情で仲間の方を振り返った。
「脈がない!」
「何だと?」
部屋の中の騒ぎに気づいて、扉の外で監視についていた二人の尋問官達も様子確認のため、部屋の中に入ってくる中、三人の同僚の方を振り返った尋問官は、
「今すぐ救命装置を持ってこい!」
と叫んだ。予想だにしていなかった事態に動揺しつつも、同僚の一人が連絡と救命装置を取りに行くため、廊下を走って行ったのを確認した尋問官は心肺蘇生をしようとメイナード方を振り返ったが、そこに捕虜の姿は既に無く、壊れた手錠の繋がったパイプ椅子だけが転がっていた。
奴には絶対に気を許すな…。
上司の忠告の言葉を思い出すと同時に背筋に悪寒が走るのを感じた尋問官の首は次の瞬間、背後に回っていたメイナードの手によって、一八〇度回転させられた。
一人目の尋問官を排除し、背後を振り返ったメイナードは、救命装置を取りに行く仲間を見送って廊下の方に顔を向けていたことで隙のできていたCIA尋問官に一瞬の内に肉薄すると、自分の死のコンマ数秒前になって危機を察知した尋問官の顔面に向かって全力の拳を叩き付けた。五十歳近い男から繰り出されたとは思えないほど強力なストレートパンチを顔面に食らった勢いで背後の壁に後頭部を打ち付けた尋問官はその衝撃で頭蓋を叩き割られると、コンクリートの壁の一面に血塗りの跡を残したまま瞬時に息絶えた。壁に張り付き、直立したまま死亡したCIA職員のホルスターからASPピストルを引き抜いたメイナードは続いて目の前の扉を勢い良く蹴り上げ、ようやく事態に気がつき、拳銃を構えて部屋に突入しようとしていたもう一人の尋問官を扉越しに吹き飛ばした。
狭い廊下で背中を打ち付けた尋問官は地面に落ちた小型拳銃を拾い、再び構え直そうとしたが、彼にはそんな時間の余裕は与えられていなかった。体勢を整えきれていない最後の尋問官に刹那の内に接近したメイナードは尋問官が拳銃を拾うよりも先に男の首筋を左手で引っ張り上げ、そのまま右手に握ったASPピストルの銃口を尋問官の左目に突き刺した。左手で男の口を塞ぎ、悲鳴を封じながら右手に握った小型拳銃のスライドを尋問官の眼窩にめり込ませたメイナードは銃口が網膜を突き破って脳幹にまで到達したのを掌の感覚で察知すると同時にASPピストルの引き金を引き切った。男の脳実質とカルシウム基質の頭蓋骨が消音器の代わりとなり、くぐもった銃声が廊下の空気を震わせたと同時に、頭蓋の中で銃弾が炸裂した尋問官の顔は穴という穴から脳髄と体液が飛び散った。メイナードは引き金を引くのと同時に男の口を塞いでいた左手で目を覆い、後ろに体を引いていたが、それでも頭蓋骨の一部を突き破って破裂した尋問官の脳髄はメイナードの顔と黒スーツに包まれた全身を赤く染め上げていた。
「これは…、私のスーツに何てことを…。」
途中まで完璧だった脱出劇を汚した目の前の死体を見下ろし、頭の破裂した尋問官に嫌味を吐いたメイナードは死体の胴体に手を伸ばすと、尋問官装備していた拳銃の予備弾倉を回収した。
「やれやれ、リロイのやつは…。部下の教育がまだまだ成っていないようだな…。」
三人の監視者が殺害され、最重要人物の自分が監禁部屋から出た現時点でも警報が鳴らなければ、監視カメラの一つさえもない状況に不気味な笑みを浮かべて独り言ちたメイナードは次の行動へと移るため血塗られた廊下を走り出した。