第四章 二十一話 「脱走」

文字数 2,659文字

イアン・バトラーが放った銃弾に続いて放った二発目の狙撃で自国の大統領さえ葬った男…、エルヴィン・メイナードは今、タイの空軍基地の管理棟建物にある小さな部屋の中で二人のCIA尋問官達に監視さて身柄を拘束されていた。リロイ達が部屋を出て一時間ほどが経ち、暴力の効かない相手に拷問をすることもできない二人のCIA尋問官は全く抵抗する気配の無い捕虜に気が緩み始めていたが、それこそがメイナードの狙いだった。元々は留置所でも収容所でもないこの建物から逃げ出すこと事態は少年期から破壊工作の知恵と技術を叩き込まれたメイナードには簡単なことだった。だが、この基地から外に出るためには追撃を振り切る必要がある。この一時間、抵抗しなかったのは敵の緊張を緩め、リロイや「デルタ」の追撃を遅らせるためだった。両手を手錠でパイプ椅子の後ろに拘束されたメイナードは薄汚いコンクリートの壁にかけられた時計を見やった。既に時刻は十九時を過ぎており、外も暗くなっている頃だ。
そろそろ始めるか…。
部屋の中にCIAの尋問官が二人、鍵のかけられた扉の向こうに更に二人のCIAエージェントが監視についていることを「愛国者達の学級」で植え込まれた超人的な聴覚で感じ取ったメイナードは同じく「愛国者達の学級」で得た特殊技能を使おうとしていた。
"あの組織"の存在すら知らん今の世代の彼らには狼狽するだろうな…。
自信に満ちた確信と同時に、自分の目の前に座っている尋問官の顔を一瞥したメイナードは呼吸を止めるとともに意識を自分自身の全身、そして血流や細胞の一つ一つにまで集中させて、特殊技能を引き出した。

尋問から一時間、監視もそろそろ交代の時かと思い、この退屈な時間がようやく終わることに安堵を感じていたCIAの尋問官は目の前で両手を拘束された状態でパイプ椅子に座っている捕虜が微かに笑みを浮かべて、こちらを見ていたような気がして全身に寒気が走るのを感じた。本の一瞬のことだったので見間違いだったかもしれないが、泡だった全身の鳥肌の感覚が尋問官に彼の見たものが決して思い違いなどではなかったことを教えていた。
奴には絶対に気を許すな…。
リロイの残した言葉を思い出した尋問官は応援のために部屋の外の仲間を呼ぼうとしたが、彼がもう一度確認のため目の前の捕虜の顔を睨んだ時には、メイナードは白眼を剥き、口腔内から白色の泡を吹き出していた。
「おい!大丈夫か!」
この男は危険だから何があっても近づくな、まず自分に知らせろ、と上司のリロイから伝えられていた尋問官だったが、目の前で発作を起こし、激しく痙攣する男の姿を見て、一人の人間として黙って放っておくことができなかったのが彼の弱さだった。思わず飛びついた尋問官がパイプ椅子から立ち上がった時には、メイナードは余りにも激しい発作のために、手足を拘束されていたパイプ椅子ごと転倒して、灰色のコンクリートの上に横たわったまま泡を吹いて痙攣していた。
「おい!余り近づかない方が…。」
背後で同僚が止める中、メイナードの首筋に手をやった尋問官は切羽詰まった表情で仲間の方を振り返った。
「脈がない!」
「何だと?」
部屋の中の騒ぎに気づいて、扉の外で監視についていた二人の尋問官達も様子確認のため、部屋の中に入ってくる中、三人の同僚の方を振り返った尋問官は、
「今すぐ救命装置を持ってこい!」
と叫んだ。予想だにしていなかった事態に動揺しつつも、同僚の一人が連絡と救命装置を取りに行くため、廊下を走って行ったのを確認した尋問官は心肺蘇生をしようとメイナード方を振り返ったが、そこに捕虜の姿は既に無く、壊れた手錠の繋がったパイプ椅子だけが転がっていた。
奴には絶対に気を許すな…。
上司の忠告の言葉を思い出すと同時に背筋に悪寒が走るのを感じた尋問官の首は次の瞬間、背後に回っていたメイナードの手によって、一八〇度回転させられた。

一人目の尋問官を排除し、背後を振り返ったメイナードは、救命装置を取りに行く仲間を見送って廊下の方に顔を向けていたことで隙のできていたCIA尋問官に一瞬の内に肉薄すると、自分の死のコンマ数秒前になって危機を察知した尋問官の顔面に向かって全力の拳を叩き付けた。五十歳近い男から繰り出されたとは思えないほど強力なストレートパンチを顔面に食らった勢いで背後の壁に後頭部を打ち付けた尋問官はその衝撃で頭蓋を叩き割られると、コンクリートの壁の一面に血塗りの跡を残したまま瞬時に息絶えた。壁に張り付き、直立したまま死亡したCIA職員のホルスターからASPピストルを引き抜いたメイナードは続いて目の前の扉を勢い良く蹴り上げ、ようやく事態に気がつき、拳銃を構えて部屋に突入しようとしていたもう一人の尋問官を扉越しに吹き飛ばした。
狭い廊下で背中を打ち付けた尋問官は地面に落ちた小型拳銃を拾い、再び構え直そうとしたが、彼にはそんな時間の余裕は与えられていなかった。体勢を整えきれていない最後の尋問官に刹那の内に接近したメイナードは尋問官が拳銃を拾うよりも先に男の首筋を左手で引っ張り上げ、そのまま右手に握ったASPピストルの銃口を尋問官の左目に突き刺した。左手で男の口を塞ぎ、悲鳴を封じながら右手に握った小型拳銃のスライドを尋問官の眼窩にめり込ませたメイナードは銃口が網膜を突き破って脳幹にまで到達したのを掌の感覚で察知すると同時にASPピストルの引き金を引き切った。男の脳実質とカルシウム基質の頭蓋骨が消音器の代わりとなり、くぐもった銃声が廊下の空気を震わせたと同時に、頭蓋の中で銃弾が炸裂した尋問官の顔は穴という穴から脳髄と体液が飛び散った。メイナードは引き金を引くのと同時に男の口を塞いでいた左手で目を覆い、後ろに体を引いていたが、それでも頭蓋骨の一部を突き破って破裂した尋問官の脳髄はメイナードの顔と黒スーツに包まれた全身を赤く染め上げていた。
「これは…、私のスーツに何てことを…。」
途中まで完璧だった脱出劇を汚した目の前の死体を見下ろし、頭の破裂した尋問官に嫌味を吐いたメイナードは死体の胴体に手を伸ばすと、尋問官装備していた拳銃の予備弾倉を回収した。
「やれやれ、リロイのやつは…。部下の教育がまだまだ成っていないようだな…。」
三人の監視者が殺害され、最重要人物の自分が監禁部屋から出た現時点でも警報が鳴らなければ、監視カメラの一つさえもない状況に不気味な笑みを浮かべて独り言ちたメイナードは次の行動へと移るため血塗られた廊下を走り出した。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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