第二章 一話 「彼の地」

文字数 3,366文字

CIAの小型機でフォートブラッグ基地へ戻ったウィリアム達は即座に荷物の準備を始めた。ウィリアムとイーノックを除く"ゴースト"の隊員達は既に前日の間にタイへと出発しており、兵舎には二人しかいなかった。二時間後、荷造りを済ませた二人とクレイグは基地を出発し、同州のシーモア・ジョンソン空軍基地からMC-130E コンバット・タロンに乗って、目標地点へと出発した。
太平洋上で空中給油しても、タイまでは辿り着けないので、三人を乗せたコンバット・タロンは夜の闇に包まれた太平洋上を、まずは途中給油のために在日米空軍の駐留する嘉手納基地を目指して飛行していた。
「日にちは…、どうなるんですかね…。」
暗緑色の非常灯しか灯りのないキャビンの中でイーノックが突然呟いた。彼の隣に座って、作戦要項を確認していたウィリアムは一瞬、何を聞かれたのか分からず、反応に困惑した間に彼らと向かい合わせに座っているクレイグがナイフを研ぎながら答えた。その小型ナイフは彼がカナダから持ってきたものだが、MK2 USNナイフと言って、彼がSEALsにいた頃から使っていたものとのことだった。
「日付変更線は大体、経度百八十度。東から西へ越える時は一日早まり…、西から東へ越える時は一日戻る。」
淡々とだが、気流の流れる音の響く機内でもはっきり聞こえる声で答えたクレイグに、イーノックは頷きながら腕を組んで唸った。
「つまり、今回は一日飛ばすってことか…。時差も考えると…。」
沖縄までの長いフライトの間、ウィリアムとクレイグが言葉を交わらせることは、ほとんどなかった。イーノックが何かを言って、それにウィリアムかクレイグのどちらかが反応する。そんな時間が数時間流れた後、眠りについた三人を乗せたMC-130Eは嘉手納基地で給油を済ませて、すぐに目的のタイ王立空軍の基地へと飛び立ったのだった。
「大尉。時間です。」
イーノックに揺り動かされて、ウィリアムが目覚めた時、すでに機体はタイ西部、ウボンラーチャータニーの郊外、シリンドホーン湖の南端から西へ二十五キロメートルの地点に新設されたタイ王立空軍の基地上空を着陸に備えて旋回しつつ、高度を下げているところだった。
「ああ…、すまん。ありがとう…。」
そう言いながら体を起こしたウィリアムが目をやると、クレイグはすでに荷物をまとめていて、リュックを両足の間に挟み、椅子に腰掛けた状態で、瞑想をするかのように静かに座っていた。
「これより着陸します。着地の衝撃で機体が激しく揺れますので、ご注意を。」
ウィリアムが荷物の準備を済ませたところで、パイロットのアナウンスがキャビンの中に響き、三人が座席のシートベルトを締めると同時に、コンバット・タロンは機体を前向きに傾かせ、降下の体勢に入った。暫くして、キャビンの床を突き上げる衝撃がウィリアム達の足元に走り、ランディングギア・タイヤと地面の摩擦が起こす震動がキャビンの中を震わせた。徐々に速度を減速させたMC-130Eは地上管制誘導員の指示に従い、指定された駐機場所に停止した。キャビン後部の非常灯の光が赤色から緑色に変わったと同時に油圧駆動の機械音が機内に響き、後部ハッチがゆっくりと開いて、眩しい陽光とともに東南アジアの春の空気が機内に入り込んできた。肌を蒸す暑さと独特の臭いに、ウィリアムとクレイグはそれぞれのかつてのベトナムでの記憶を思い出したが、アジアに初めて来るイーノックだけは違っていた。
「あ…、暑い…。」
不満をたれる部下に、「早く降りるぞ。」と言ったウィリアムはシートベルトを外して立ち上がると、開ききった後部ハッチの方へと歩きだした。一歩、一歩、足を踏み出す度に少しずつ鮮明になる景色、臭い、肌で感じる熱気、全てが封印した記憶を少しずつ呼び覚ましていくような気がした。
後部ハッチから降りて、地面を歩きだしたウィリアム達を迎えたのは八年前は先輩兵士達だったが、今回はアジア系の工作員達だった。岩倉部隊……、そう呼ばれる彼らの所属部隊はCIAの一部署でありながら半分独立した、メイナード大佐の私兵のような組織だった。彼らに荷物を渡すと、「作戦本部はあそこです。」とその内の一人が指を指して教えてくれた。指示されたその先には大型機の格納に使われると思われる格納庫で、その隣にも同型のコンクリート製建造物が並んで建っていた。
ウィリアム達は指示された倉庫に向かって歩きだしたが、彼らを頭上から射る太陽の輝きは、つい昨日まで冬のカナダの地に居た三人には暑すぎた。後ろでイーノックが、「あー、水筒も渡しちゃったー。」と嘆いているのを聞きながら、ウィリアムは顔の肌を焼かれないように、キャップ帽を深く被った。その脇では、ジャングルハットを被ったクレイグが、数十メートルほど離れた場所に駐機するC-141SOLL II特殊部隊用大型輸送機の後部ハッチからモスボール状態で車両に乗せられ、移送されていくヘリコプターらしきものの影を見つめていた。
UH-1ではない…、もっと大きい。だが、チヌークほどの大きさはない…。
ローターは折り畳まれて、取り外せる部品は除去している様だが、汎用輸送ヘリコプターと分かる白いモスボールに包まれたフォルムを見て、何だ…?とウィリアムが疑問に思った瞬間、その答えは甲高いエンジン音、ローターの回転音とともに舞い降りた。
NOE(地形追随飛行)で基地に接近していた二機の新型汎用ヘリコプターは部隊指令部が置かれている大型格納庫の影から飛び出すと、ウィリアム達の上を旋回して、三十メートルほど離れた場所に着地した。
「あれか…。」
クレイグが呟くと同時に、着陸した汎用ヘリコプターの一機から、暗視ゴーグルと思われる装備を装着したヘルメットを被り、ERDLパターンのトロピカル迷彩を施した戦闘服に身を包んだ完全装備の兵士が駆け寄ってきた。トム・リー・ミンクだ。
「大尉!ご苦労様です!まだ、着かれたばかりでありますか?我々のことは気にせず、お休みになってください!」
すぐ側まで寄ってきて、早口でそう言ってきた部下の気遣いに、ウィリアムは笑顔とともに首を横にふって答えた。
「いや、私は飛行機で十分休んだから大丈夫だ。」
「はぁ…、そうですか…。おっ、おい!イーノック!お前は早く準備して、すぐにでも訓練加われ!」
「いや、彼こそ私が長旅に付き合わせてしまったせいで疲れてる。休ませてやれ。」
諭したウィリアムに、「はぁ…。」と大人しく従ったリーは今度はウィリアムの傍らに立つクレイグを訝しげに見つめたので、
「クレイグ・マッケンジー三等准尉だ。今回の作戦のアドバイザーを務めてくれる。」
と彼の紹介をした。クレイグも頭を下げる。
「宜しくお願い致します…。」
暫く、もの目ずらしそうな目でクレイグのことを見つめた後、
「あんたの方が上なんだから、敬語なんて使わなくて良いだろうが…。」
と舌打ちをしたリーの目に敵意が芽生えているのに気づき、ウィリアムは諫めるようとしたが、それよりも早くリーは微かに見せた敵意の気配を消していた。
「いやぁ…、大尉、そんなことよりお見せしたいものがあるんですよ!あれが…。」
「ああ、分かってる。新型の汎用ヘリだな。」
彼が指した方を見て、言わんとすることを察したウィリアムに、リーは満足げに頷いた。
「ええ…、まだ未定ですが、コードは"ブラックホーク"と呼ばれる予定らしいです。これがヒューイと違って…。」
「大尉!」
ウィリアム、声がした方を向くとアール・ハンフリーズがジョシュアを引き連れて、こちらに歩いてくるところだった。
「お待ちしていました!」
ウィリアムは副官に手を振った。話し相手を奪われたリーはウィリアムの背後で今度はイーノックに話しかけ始めた。
「七年ぶりだな…。」
ウィリアムの前まで歩み寄ったところで、アールは傍らのクレイグに軽く挨拶をした。
「また、宜しくお願い致します。」
「いや、こちらこそ宜しく頼む。」
クレイグも答え、固く握手を交わした二人に、かつて過去に何かがあったというような確執は感じられなかった。
アール達が降りてきたのとは別のブラックホークの脇で、こちらに手を振るサンダース少佐に気づき、手を振り返したウィリアムは、格納庫へと向かう歩みを再び始めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み