第二章 十二話 「接触」
文字数 3,335文字
「いえ…、それがよく分からんCIA職員、二人がランシングのもとを尋ねたようでして…。」
ゲイツがへりくだった様子で話す電話の相手はファーディナンド・モージズ、アメリカ上院議員であり、秘密結社"シンボル"の首脳メンバーの一人、経済界を始めとする各界に大きな影響力を持つアメリカ社会の裏の支配人であった。
「はい、そうです。身分などに偽りはないようですが…。はい、二人の名前ですか…。」
普段、自分より身分の高い相手と話すことの少ないゲイツ中将は焦りながらランシングの持ってきた資料をめくった。
「リロイ・ボーン・カーヴァーとコーディ・マーティニーという男のようです。」
数秒の沈黙、電話の向こうのファーディナンドが何かを答え、ゲイツの緊張した顔に微かに笑顔が浮かんだ。
「上院議員のお知り合いだったのですか…。なるほど、あの"愛国者達の学級"の…、ではメイナードと同世代ですか?」
電話の向こうからの指令に暫くの間、はい、の一言だけを繰り返したゲイツ中将は最後に、
「了解しました。そう伝えます。それでは、失礼します。」
と電話の向こうに残すと、受話器を執務机の上の電話本体に戻し、どんな返答だったのか気になる、といった表情で自分の方を見つめるランシングを見返し、指令を与えた。
「彼らに伝えろ。」
「いや、しかし、"デルタ"を貸し出してもらえるとなると、問題も大分解決に近づきましたね。」
フォートべニング基地の道を停めてある車まで歩きながら、説得が上手くいったコーディは上機嫌だったが、リロイの顔色は暗かった。
「メイナードは既に部隊をカンボジアに潜入させている。時間がない。」
黒色の公用車に乗り込みながら、リロイはコーディに次の指示を出した。
「チームを招集し、荷物をまとめさせろ。君もな。すぐにタイへ向かうぞ。」
「わ…、私もですか?」
思わず、驚いた声を出したコーディを見返し、「当然だ。」と答えたリロイの顔を見て、本気なのだと悟ったコーディは無言のまま、リロイの隣に乗り込んだ。二人が乗ったことを確かめて、運転手が車を発進させる。
「メイナードの策略は我々自身が潰さねばならん。我々が"デルタ"の指揮を取る。」
二人を乗せた公用車は夜のノースカロライナの街をシーモア・ジョンソン空軍基地に向かって走り出した。
「見つけました。恐らく、接触することになっていた工作員達です。二時の方向、距離二百。向こうはこちらに気づいていません。」
熱帯樹の枝に登り、その上からM21狙撃銃に装着したライフルスコープの目を巡らせて、周辺確認を行っていたイアンの声が隊内無線を通じ、各隊員の骨伝導イヤホンに聞こえた。
ウィリアム達は三時間かけて、雨の降りしきる熱帯林の中を歩き、山の向こう側へと越えたのだった。既に雨は止み、亜熱帯の暑い太陽光が頭上に輝く中、現在、彼らの眼下には工作員と合流する予定になっているトンレ・スレイポック川の太く、緩慢とした流れが見えている。ウィリアムの目も双眼鏡越しに工作員と思われる漁民達と岸につけられた木造船を捉えていた。
「リー、アーヴィング、確認しろ。気を緩めるな。」
隊内無線を開き、ウィリアムが命じるとともに、先に山を降りて漁民達に接近していたリーとアーヴィングが藪の中から立ち上がり、お互いの死角を補完しながら、木造船の方へと歩み出した。その姿は熱帯林の草木が邪魔になり、ウィリアムには見えなかったが、恐らくは動き出したであろうことを考えて、彼は再び隊内無線を開いた。
「イーノック、彼らの後ろを頼むぞ。こちらからでは見えない。」
本隊の方からは死角になって見えないリーとアーヴィングの背後を援護するために、イーノックとアールが彼らのすぐ後ろの熱帯林の中に身を潜めていた。イーノックはイアンと同じように熱帯樹の上に登り、その上でH&K HK33SG/1マークスマンライフルを構えて、ライフルスコープの目で漁民達を睨んでいた。
「了解です…。」
イーノックが隊内無線に返すと同時にイアンの声が響いた。
「こちらからも見えました!二人が漁民に接触します!」
ウィリアムが再び双眼鏡を覗くと、リーがXM177E2カービンを構えて、先程の漁民達に近づくのが見えた。
「まさか、人違いでベトコンなんて止めてくれよ…。」
傍らのジョシュアが小声で呟く。ウィリアムは再び隊内無線を開き、確認した。
「イーノック、アール、周囲に怪しい動きはないか?」
「見えません。」
「今のところ、全く。」
イーノックとアールの返答が順々に続き、笑みを浮かべたウィリアムは、「人違いではなさそうだな。」とジョシュアの方を向いた、その時だった。
「武器です!ベトコンです!」
隊内無線にイーノックの切迫した声が走った。
「落ち着け。武器を持っていても、ベトコンとは限らん。」
隊内無線を開き、そう諭したウィリアムは今度はアールに、武器が見えるか確認した。
「私には見えません。」
その返答にウィリアムは上を向いたが、その視線の先で熱帯雨林の枝の上に乗って偵察しているイアンは首を横に振っていた。
「ここからでは確認できません!」
まずいな…。
ウィリアムが焦りを感じ始めた時、隊内無線が開き、漁民と直接やり取りをしているリーのすぐ後ろにいるアーヴィングの声が聞こえてきた。
「大尉、何やらヤバげな雰囲気です…?こちらは…。」
アーヴィングの声がそこで途切れ、代わりにアールの叫び声が無線に割り込んだ。
「武器だ!」
同時にイアンの声も弾ける。
「大尉、武器です!」
再び、ウィリアムは双眼鏡を構え、岸につけた木造船の脇を見つめた。漁民達がAK-47をリーとアーヴィングに構えている。
「イアン、武器だけを破壊できるか?」
ウィリアムは咄嗟に隊内無線を開いて聞いた。まだ、敵と確定したわけではない。できれば、彼らを傷つけて信頼を損ねることはしたくない。
「可能ですが、全員分は…。向こうもこちらに気づきます!」
M21狙撃銃を構えて、すでに狙撃の体勢に入っているイアンの声は張り詰めていた。
いや、待て…。まだ、早い…。工作員との合流する予定のポジションと同じ場所に、ベトコンが待ち構えているなど確率的にありえない…。
一度、引き金を引けば、後戻りはできない。その確信からウィリアムの決断が遅れる間に、藪の中に身を隠していた思われる現地民姿の戦闘員の影が三つほど、自動小銃を持って現れ、リーとアーヴィングの周囲を取り囲み、木造船の中からも漁民が二人、飛び出してきて、それぞれ手に持ったショットガンと短機関銃をリー達に向けて構えた。
「大尉!手遅れになります!攻撃許可を…!」
アールが無線に叫び、全ての思考が攻撃命令へと帰結したウィリアムが隊内無線に命令を伝えようとした瞬間、
「大丈夫だ!」
と芯の通った声が無線に走った。その声の自信に溢れた強さにウィリアムは喉元まで出かかっていた攻撃開始命令をすんでのところで止めた。
「敵意は感じない。」
声の主、クレイグ・マッケンジーは落ち着いた声で続けた。
「敵の姿を見て言ってるのか?」
隊内無線に苛立った声で問うたアールにクレイグは即答した。
「敵じゃない。」
そして、落ち着いた声のままで続けた。
「見てもない。だが、分かる。ここにあるのはお互いに対する疑念と恐怖だけだ。」
その言葉に、相手に対する不信感に満ちた自分達の姿を客観視させられたブラボー分隊の隊員達は沈黙した。ウィリアムは再び双眼鏡を構えて、リー達の方を見た。拡大された視界の中でリーが何かを話すと、漁民の一人が武器をおろし、周りの者達にも銃を下ろすように支持していた。隊内無線が開く。
「確認が取れました。彼らです。合流予定の工作員達です。」
こちらに手を振りながら、そう言ったトム・リー・ミンクの姿を双眼鏡の視界の中に見たウィリアムは深い溜め息をついて、先程までの緊張を吐き出しながら、双眼鏡を下ろし、隊内無線を開いた。
「全隊、下山するぞ。まだ、敵がどこかに潜んでいる可能性もある。注意しろ。」