第四章 二十五話 「新たな時代の正義と戦場」

文字数 4,354文字

「目標撃墜!これより死体を確認します!」
数多の銃声と喧騒に続いて轟いた大きな爆発音の後、静まり帰った基地の中で再び指揮室に戻っていたリロイとコーディはデルタ隊員からの無線報告をオペレーター達を通して聞いていた。
「了解。気を緩めずに確認せよ。それから現地警察が到着するまでに周辺を封鎖して情報が外部に漏れないようにすることも忘れるなよ。」
負傷して指揮官席に座るリロイの代わりに指示を出したコーディは溜め息を吐きながら、上司の隣の席に座った。
「今度こそ、大佐は死んだでしょうか…?」
事態が収まっても、未だ緊張から抜け出せず、標的を抹殺できた保証が欲しくて問うてきた部下に彼が求めるような答えをリロイは返すことができなかった。やはり、大きな溜め息を吐き、撃墜されて基地の外で燃え上がるヘリの残骸を映したモニターに顔を向けたままの上官の様子から無言の返答を察したコーディは不安げに独り言ちた。
「もしも、メイナード大佐がブラボー分隊と合流するようなことがあれば…。」
最悪の場合、部隊どもども"サブスタンスX"を強奪して逃亡しかねない。そしてそうなれば、"サブスタンスX"の所在は完全に掴めなくなる…。
コーディの懸念は妥当なものだったが、
「案ずることはない…。」
と返したリロイの声は意外にも自信に満ちたものだった。
「ちゃんと手は打ってある。」
墜落したヘリの内部を調べるデルタ隊員達の姿を映したモニターの映像を見つめながら、無表情のままでそう答えたリロイが一体何を考えているのか、コーディには全く見当がつかなかったが、彼が既に何かしらの手を打っていることは上司の横顔を見ただけで推察することができた。

時刻は十九時を廻り、ブラボー分隊を匿ったARVNレンジャー中隊が野営するカンボジアと南ベトナム国境沿いのクメール寺院はすっかり夜闇に包まれ、空にはそんな暗い闇を照らす銀色の月が昇っていた。熱帯の蒸し暑さとともに夜の静けさが支配する中、クメール寺院を要塞化して造られたベースキャンプの中央に用意された指揮所用の掩体壕ではウィリアムとARVNレンジャー中隊の部隊指揮官、黎鄭勝(レ・チン・タン)中将がこれからの行動展開について協議していた。
「しかし何故、中将の部隊がカンボジアに?あなたの担当防衛区域は中央高原南西部のダクラク省のはずだ…。何故、国境を越えてこちらまで?」
これからの自分達の進退について、中将に意見を求めていたウィリアムは至極真っ当な疑問を問うたが、それは中将の行動を国際法に違反する越境行為だと責めるためでは勿論なかった。最終的には自分達が国境を越えて南ベトナム領内に離脱しようとしているダクラク省が守備範囲のレ中将なら敵の陣地や抜け道を把握している可能性があり、その情報を引き出したかったのだ。だが、それが故にレ中将の返答はウィリアムにとっては認めたくないものだった。
「大尉、ダクラク省は陥落しましたよ、昨日ね…。現在、あそこは敵の支配領域です…。」
「陥落?では、バンメトートも?」
予想外の返答に抑えきれなかった驚きが思わず、上ずった声と引きつった表情に出てしまったウィリアムを見返したレ中将は苦い表情で静かに頷くと、目の前に広げられている作戦地図の上に目を落とした。
「ええ…、我々は敵の二七五攻勢により今月の三日から攻撃を受け続けていましたが…、恐らく今頃は中央高地の他の省も陥落していると思われます…。」
「ホー・チ・ミン作戦ですか…、しかし、予想よりかなり速い進行速度だ…。」
予測を裏切られ、計画を崩されたことで頭を抱えるウィリアムの肩を叩いたARVNレンジャーの中将は一時の心境だけでも明るくしようと乾いた笑い声をあげた。
「敵の行動が予想外なのは君達がここにいた時も同じだったじゃないか。」
追い詰められているのはウィリアム達だけではない。指揮する主力部隊の殆どを失い、何とか百人足らずの兵力だけを戦線から逃して温存することに成功したレ中将も周囲を敵に囲まれて未動きが取れなくなっている内にも北ベトナムの大部隊が首都のホーチミンに向かっているのだ。
家に帰れるか帰れないかではなく、彼らは帰る国すら無くなるかもしれない状況なのだ…。
その困窮した状況に加えて、あろうことかパリ条約を破って、この地に再び足を踏み入れた米国の特殊部隊まで抱えることになったレ中将の心情はウィリアムには想像してもしきれないものがあった。それでも迷惑そうな素振りなど全く見せず、招かれざる客をもてなすARVNレンジャーの中将は笑顔でウィリアムにこの先の進路を問うた。
「君達はどうするつもりだ?国境を越えようにもダクラク省は既に敵の支配下、国境沿いに南を目指しても山間部にはNLF(南ベトナム解放民族戦線)とNVA(北ベトナム軍)の拠点が無数にある。何と言ってもホーチミン・ルート上だからな…。できることならホーチミンまで我々が護衛してやりたい所だが、私も敵の攻勢で主力部隊を失い、今動かせるのはここに生き残っている百人足らずの兵士達だけだ。とても君達をホーチミンまで送り届けることはできんだろう…。」
南ベトナム軍の中将は自分達の命を犠牲にしてでもウィリアム達を救おうと本気で考えているようだった。
「いえ、窮地を救って頂いた上に休息の時間と物資の補給まで頂き、もう十分過ぎるほどです。ありがとうございました。後のことは我々だけで何とかするつもりです。」
国際法を破り、不可侵領域に侵攻したツケは自分達できっちりと払う…。速過ぎる敵の攻勢の前に崩れ去った計画を立て直す算段ができていた訳ではなかったが、自分達のためだけに百人もの無関係な命を巻き込むつもりは毛頭なかったウィリアムの力強い返答を聞いて頷いたレ中将はブラボー分隊に渡す物資と考えられうる最適な脱出路について話し合おうとしたが、その瞬間、指揮テントに飛び込んできた若いARVN兵士の張り詰めた声が中将の話の出鼻を挫いたのだった。
「大変です!」
「何事だ!報告は的確にせい!」
要件を簡潔に述べず、主観的な報告だけを焦って上げた経験不足な若い兵士に対し、中将の副官が喝を飛ばした瞬間、テントの外から軽い銃声が聞こえた。その銃声が聞こえた方向を察したウィリアムはベトナム人の若者が報告をし直すよりも先に、我も忘れてテントの外へと飛び出した。テントの外では数人のARVN兵士が銃声がしたであろう方向を向いて、お互いに話し合う姿があった。彼らが見ている方向は…、ブラボー分隊の掩体壕がある方だ。加えて、指揮テントから飛び出した自分の顔を見て訝しむ視線を向けるARVN兵士達の顔を見て、事態を察したウィリアムは部下達が待機している掩体壕の方へと全速力で走った。
まさか、この南ベトナム軍の部隊の中にも敵の内通者がいたのか…?
最悪の事態を想定したウィリアムの頭の中にあるのはユーリ・ホフマンを何としても守ることだけだった。クレイグとイアンがその命をかけてまで守った回収目標…、彼だけは生きてアメリカに連れ帰らなくては部下達の犠牲が無意味だったことになってしまう…。
部下に命を捨てさせた指揮官としての責務に走らされたウィリアムは掩体壕まで数百メートルはある南ベトナム陸軍の陣地の中を一心不乱に疾走した。

そんな事態が起こるなど、ブラボー分隊の誰にも想像はできなかった。ユーリから自分達が回収した物質の正体を明かされてから一時間ほどが経ち、ARVNレンジャー部隊の指揮官との今後の行動の協議のためにウィリアムが居なくなったブラボー分隊の掩体壕には残された五人の間で重苦しい空気が流れていた。
"サブスタンスX"が世界に与える影響、自分達の作戦の影に渦巻く大きな組織や数多の人間の欲望の影、そして何よりも自分達がこのまま任務を完遂して"サブスタンスX"をアメリカに持ち帰った時、世界は一体どうなるのかということ…。自分達にこの任務を与えたメイナードの考えに対する疑問も含めて、各人が答えの出ぬ問いに沈黙のまま苦しんでいる時、ふらりと簡易ベッドから立ち上がったイーノックが掩体壕の一番奥でベッドに腰掛けるユーリに近づいていったのだった。足取りの覚束ない様子でふらふらと歩く姿に下ろしていた視線を上げたアールはイーノックの右手にFN ブローニング・ハイパワーが握られているのを見て、嫌な予感を感じた。
「おい。」
呼びかけた彼の声にイーノックは答えなかった。代わりにアーヴィングとリーがイーノックの背中を見上げ、最後にユーリが目の前に歩いてきたイーノックの顔を見上げようとした瞬間、動物的な俊敏な動きで目の前に座り込む男に組み付いたイーノックの左腕がユーリの首に回り、対応しようとしたアールが簡易ベッドから立ち上がった瞬間にはイーノックはユーリの体を羽交い締めにする形で三人の方に向き直っていた。そして、ユーリの頭にはブローニング・ハイパワーの銃口が突き付けられていた…。
「おい、早まるな!落ち着け!」
目の前の新兵が自分の背負った任務の重さに耐え切れず、突発的な行動に出たのだと思ったアールは両手を前に出しながら二人に飛びついて、イーノックを制止しようとしたが、それよりも先に掩体壕の天井に向かって放たれた九ミリ弾の銃声がアールの動きを封じ、ブラボー分隊の隊員達に事態の本当の重さを知らせたのだった。
「下がってください、少尉…。」
「イーノック…、お前…。」
銃弾がかすめた衝撃で天井から吊るされたランタンが頭上で激しく揺れる中、再びブローニング・ハイパワーの銃口をユーリの頭に突きつけたイーノックの目を見て、自分の部下の行動が決して衝動的なものではないことを悟ったアールは体を硬直させたまま呻くことしかできなかった。
「てめぇ…、裏切りやがったな…!」
アールの後ろでイーノックに敵意の視線を向けたリーがベッドの脇に立て掛けていたXM177E2カービンを構え、その横ではアーヴィングも護身用のブローニング・ハイパワーを抜いて、敵となった部下の出方を険しい表情で窺っていた。その二人の視線を盾にしたユーリの頭越しに正面から受け止めたイーノックの目を見たアールは出会った時から自分が彼に抱いていた"ただの未熟な新兵"という思い込みが初めから間違いであったことを悟った。
「ハンフリーズ少尉、リー軍曹、アーヴィング軍曹、すみません…。でも、これが俺の信じる正義なんです…!」
それは"未知の物質"が創り出した全く新しい境地だった。それまでは兵士がただ与えられた命令を信じて戦う場所が戦場という常識を逸脱して、兵士がそれぞれの正義をぶつけ合う場所となった戦場では、つい先程まで味方同士であったはずの男達が睨み合っているのであった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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