第三章 二十話 「恐怖」
文字数 2,235文字
左翼から順番に一班から五班まで番号付けされ、扇状に展開した各班は隣のグループとの間の距離を約五十メートルで維持するようにしていたが、人間の背の高さほどある熱帯植物の茂みと高木の葉が生い茂るジャングルの中ではお互いの姿を視認するのは困難だった。
漂ってくるスモークの暗赤色が徐々に濃くなってくる中、先遣班の中で煙幕の漂ってくる方向に最も近い位置に展開していた五班のグループは五人の民族戦線兵士が無線機を背負った班長を中心として、前方警戒のポイントマン、右側警戒、左側警戒、後方警戒の役割を一人ずつ担い、それぞれの担当する方向に警戒の視線を向けながら、一定の速度で前進していたが、追跡を始めて数分が経ったところで、部隊の右端につく兵士が十メートルほど離れた茂みに微かな動きを発見し、ハンドサインで他の兵士に異常を伝えると、班全体が前進を停止した。奇襲の危険がないか、周囲を確かめた後、班長が異常を見つけた右翼の兵士の後ろに小走りで近づく。
「十メートル先に動きあります。」
班長が部下の肩に手を置くと同時に、右側警戒の兵士は小さな声でそう言いながら、ゆっくりと前方を指さした。班長がその先を視線で追うと、十数メートルほど離れた先で茂みが僅かに蠢いていた。動物の動きかもしれないが、空気の流れが起こしたものではないということは明らかだった。
「確認せよ。後ろから援護する。」
自身も茂みの中の動きを確認した班長が他の班員にハンドサインで指示を伝えるのを背にして、銃剣を装着した五六式自動小銃を構えた民族戦線兵士はゆっくりと腰を上げて、前方の茂みの方へと進んだ。腰の高さほどある草木を銃身でかき分けながら、一歩ずつ歩を進める彼の全身からは熱帯の暑さとは別の理由で汗が染みだしていた。もしも今、敵が目の前の茂みの中から飛び出してきたら、自分は確実に死ぬ。銃口を向けていても、生い茂る植物に遮られた視界の先は兵士の恐怖をかきたてた。
その十メートルを進むのはほんの数分の間のことだったが、彼にとってはもっとずっと長い時間に感じられた。恐怖で両足が震え、平衡感覚も麻痺してきて、姿勢を維持するのも難しくなりそうになったところで、右側警戒の民族戦線兵士はようやく動きのあった茂みが数歩でたどり着けるというところにたどり着いたが、その瞬間に左右に大きく蠢いた茂みに、張り詰めていた緊張が限界を迎え、彼は叫び声とともに五六式小銃の先端につけた銃剣を茂みの中へと突き刺した。
グシュッ、という鈍い音と肉を貫いた感触が兵士の腕に伝わる。
殺ったか…?
あまりにも呆気なく迎えた結末に兵士は念のため、もう一度茂みの中に銃剣を深く突き刺した。血の吹き出る音とともに銃剣が再び肉を貫き、骨を砕く鈍い音が鳴った。 若い兵士は銃剣を標的に突き刺したまま、ゆっくりと二、三歩と茂みに近づくと、自動小銃の引き金に指をかけたまま、ゆっくりと銃剣を引き抜いた。地面にまで深く刺さっていた銃剣と小銃の銃身が勢い良く抜け、金属の刀身に突き刺された獲物も銃剣に貫かれた状態で姿を現した。
センザンコウ…、背中から腹にかけて貫通した銃剣に串刺しにされ、傷口から暗赤色の血をたらして息絶えている小型哺乳類を目にした瞬間、兵士は大きな溜め息を吐いた。自分の見つけた茂みの蠢きは、この小動物が動いていただけのものだったのだ。
兵士は小動物の足を引っ張り、銃剣から引き抜くと、足元の地面に丁重に横たえてやり、後ろを振り返って、背後の仲間の方を向いて笑顔で、なんでもなかった、と手を振ろうとしたが、後ろを振り返った次の瞬間、自分の目に写った光景に彼は恐怖で、再び大きく息をのみ、硬直した。
振り返った視線の先では確かに、緊張や安堵の面持ちを浮かべた四つの顔があった。だが、そのうちの一つだけは明確な殺意を帯びた視線を兵士の方に向けていた。十メートルほど離れた班長の背後で、全身を泥で塗り、草木のカモフラージュを被った人影が自分の方に敵意のこもった視線を向けているのに気づいた民族戦線兵士は、反射的に五六式小銃を構えた。それと同時に、安堵の笑顔を浮かべていた班長他二人の兵士も顔を強ばらせ、それぞれ手にした銃を若い兵士が見ている方向に振り返って構えたが、四人が銃を構えた先には、すでに誰もいなかった。
また勘違いか、と安堵した班長はため息を吐きながら手にしたPPSh-41短機関銃の銃口を下ろしかけたが、その吐息を吐ききるよりも先に恐怖が彼の体を凍りつかせた。誰もいないのが問題なのだ。今、班員の四人が銃口を構えている先には、班の隊形の左翼を務めていた兵士がいなければならないはずだった。だが、彼の姿はどこにも見えない。
「ファム、いるのか?」
仲間のハンドサインを見逃して、一人だけそのまま前進し続けてしまったのかもしれない。班長は敵の隠れているかもしれないジャングルの中で声を張り上げて呼んだが、返事はなく、その姿も相変わらず見えない。