第四章 二話 「秘密の共有」
文字数 3,118文字
"愛国者達の学級"には、彼の他にも六十人近い人数の子供達が所属していたが、ロキは彼ら全員を小さなコンクリート製の兵舎に入れて生活させた。兵舎といっても古い刑務所を流用した建物でコンクリートの壁は一部が崩れ、鉄格子の窓からはネズミが出入りしていた。数平方の狭い部屋の中にはしっかりとしたベッドなどはなく、組み上げた鉄パイプにボロ布を被せたものが一つあるだけで、夜にはそれを巡って、部屋に詰め込まれた八人の子供達の間で血みどろの争いが起きた。唯一、彼らに救いがあったのは、この兵舎が作られていたのがアメリカに経済・軍事援助を受けた南米の某国で、毛布がなくても夜の寒さで凍え死ぬことはないということだけだ。
「さっさと起きろ!ドブネズミども!ゲット・アップ!ゲット・アップ!」
毎日明朝五時に兵舎の全体に鳴り響くような教官の怒声でメイナード達は目を覚まさせられた。起床した直後には毎朝数十キロもの距離を走らされ、それが終わると朝食となるのが施設の日常だったが、その量は子供のカロリー量でも全く足りないほど僅かだった。常に飢えた状態にすることで、飢餓状態に慣れさせるための方策だった。体格の形成のために必要な栄養成分は味覚も飢えも癒やさぬ、痛みだけが伴う点滴注射で済まされた。
朝食の後は訓練、午後は形だけの昼食の後、教育訓練が行われた。世紀末のような生活を強いられる異常なこの施設でも唯一、外界と同じだったのは、教育が銃や爆弾のことだけでなく、一般的な算数や語学についても行われた点だった。英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、中国語…、様々な言語を彼らは教え込まれたが、一つだけ教えられないものがあった。愛国心と彼らの祖国についてである…。兵士を育てる上で最重要なその二つだけは絶対に教えられることはなかった。その理由は上官の命令だけに従う高性能な、そしてアメリカとの繋がりが悟られない工作員を作る…、それが"愛国者達の学級"の目的であったが故であり、その目的を達成するために、大戦の動乱で戦争孤児となった子供達が世界中から集められ、表向きはアメリカとは何の関係もない南米の施設で訓練を受けていた。まだ正義感や常識の身についていない、洗脳しやすい十代やそれよりさらに低年齢の子供達を訓練することで、ゆくゆくは成長した彼らを、合衆国は同盟関係にある国が政治的に敵対する決断や行動を取ろうとした時に、該当国へと送り込み、破壊工作をさせるのが最終目的だった。経歴や国籍を持たない、記録上はアメリカとは何の関わりもない工作員を使うことで、正規軍による攻撃をかけられない同盟国に対し、第三国によるテロ行為に見せかけた攻撃を仕掛けることで、国際政治において物事を優位に進める…、それが"愛国者達の学級"を作った情報局や統合参謀本部を中心とする組織の最も大きな狙いだった。
そんな大人達の目論見を全く知る由もない組織の子供達は平均的な軍事演習のレベルを超える訓練を日々強制させられる中で、ある者は訓練中の事故で、ある者は衰弱で、ある者は食料や寝床の奪い合いによって死んでいった…。"愛国者達の学級"が作られた一九四七年から僅か二年で、二百五十人もの子供達がコンクリートの塀に包まれた狭い施設の中で死んでいき、生き残ったのは供給されてくる子供達の本の一部だけだったが、その年に新たに"学級"に編入された青年…、エルヴィン・メイナードによって、子供達の組織は姿を変えて行くこととなった…。組織に入って四ヶ月の内に、圧倒的な身体能力と知性、統率力で組織のカースト最下層から少年達のトップに上り詰めたメイナードは自分達を外界から監禁する大人達を絶対的な敵として規定し、子供達全員にとって共通の敵を作ることで、それまでバラバラでお互いに傷つけあっていた少年達を一つに団結させた。大人達がそのことを知らない訳はなく、少年達はメイナードの指揮の下で暴動を二度起こし、何人かの大人の看守達が彼らの狡猾な罠にはまって、命を落としたが、組織を監督するロキは逆にその"成長"に満足し、訓練中止を提言する部下達は全員切り捨てた。そして、彼は少年達を束ねるメイナードと一人だけで会い、他の大人達とは違って、自分だけは信頼できるのだと教えこもうとした。
「俺の顔の傷が気になるか?良いだろう、俺の副官ですら知らん秘密を貴様に教えてやろう…。」
ある夜にメイナードを自身の執務室に呼び出したロキは小さな蝋燭だけが明かりを灯す、薄暗い部屋の中で、自身の顔の右半分を覆う古傷の由来を語った。その話を聞きながら、初めて入った大人の執務室の中が意外にも自分達の住居と変わらず、空調すらない貧相な外観だったのを見て、メイナードは内心で驚いていた。だが、その驚きは単に見たものに対してだけではなく、男の話からもロキが自分達と同じように世間から弾き出されたものだということを知ったが故の驚きだった。ロキは国に異物として切り捨てられた存在だった…、だが、そんな彼が国のために恩を返すことを人生の至高の目的とし、他人にまでそれを強要している…、そんな矛盾がこの世に存在するという事実が青年のメイナードにとっては衝撃的だったのだ。
「どうして、国はお前達をこんなところに閉じ込めて、苦しい訓練をさせているのか知っているか?」
自分自身の過去について語った後、ロキはメイナードに問うた。その答えを知るはずもない、知りたいとも思わないという顔でメイナードが無言のままで男を見つめ返していると、古傷のある顔に不気味な笑みを浮かべたロキは少年達に知られてはならない秘密を静かに語り始めた。
前の大戦終了から四年、既に世界は新たな戦いに突入しており、地球を見えない壁が分断していく中で、その冷たい戦争に勝利するため、アメリカが同盟国の行動を束縛するための手段の一つとして"愛国者達の学級"が作られたこと、最後は使い捨ての捨て駒となるべく、少年達が訓練されていること、そして工作員を育成する"愛国者達の学級"だが、そのそもそもの誕生の起源は孤児を養育するための予算を出し渋ったホワイトハウスが行き場のない孤児のごみ捨て場として組織の立案をしたこと…。
「あいつらは汚いブタどもだ。自分では手を下さずに、お前らに汚れ仕事を押し付けようとしている。」
数時間をかけて全てを語った後、そう吐き捨てたロキは椅子の背もたれに深く腰掛けると、実務机の向こうで直立不動の姿勢を取っているメイナードを見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
「だが、私は違う…。お前に真実を教えた…。お前と俺は仲間…、いや同類だ…。自分の生き方に忠実でなければ生きていけない点でな…。」
ロキはメイナードの目を覗き込むようにして、低い声でそう言った。裏切ることは許さない、その時はどちらかの死があるのみ…、そう理解させるための脅しだったが、あくまで表情も、目の色さえも変えない目の前の青年をしばらく睨み続けたロキは突然、顔全体に満面の笑みを浮かべて高笑いを始めた。
「これからは、俺はお前の肉を食い、お前は俺の肉を食って生きていくんだぞ!」
南米の人里離れた山の中で、暗い執務室にロキの奇妙な笑い声だけが静寂に包まれた夜の空気を震わせて響いた。