第二章 十話 「敵地」
文字数 2,220文字
作戦担当官の声が司令室に響く中、メイナードは目の前の壁にかけられた電子パネルの地図の上を北に向かって移動していく三つの光点を見つめていた。その頭の中では離脱したアルファ分隊を再度送り込み、ブラボー分隊と合流させるプランを思索していたが、やはり限界があった。現地工作員との接触や回収直前まで維持される無線封鎖といった複雑な条件、そして何よりも北ベトナムがウィリアム達の退路を断つまでに任務を終えさせなければならないというタイムリミットがあるためだ。
八人…、たった八人で、三百人を相手にできるか…。
アルファ分隊の投入がほぼ不可能になった今、メイナードはブラボー分隊だけで作戦を遂行できる可能性が如何ほどかを頭の中で計算していた。司令室の中に先程とは別の作戦担当官の声が響いたのは、その時だった。
「イーグル・ツー、目的地まであと十分です!」
「Ten minitue!」
目的地まで残り十分という意味のドアガンナーの叫びがキャビンの中に響く。その瞬間、たった一個分隊で任務を遂行することになった八人の男達はそれぞれの装備を最確認し始めた。
「名前や国籍の分かるもの、私物を所持していないか、再度確認しろ。」
ウィリアムが、そう言って最確認を促すと同時に、隊員達がそれぞれの所持品を確認し始めたが、イーノックだけはH&K HK33SG/1マークスマンライフルを抱えて、微かに震えていて、虚ろな目をしていた。それに隣で気づいたリーがイーノックの肩をゆする。
「写真とか持ってないな。」
ゆっくりとリーの方を見て、「大丈夫です…。」と一応の反応したイーノックだったが、その様子はやはり、どこか上の空といった感じだった。
「しっかりやってけ!」
そう言って、リーは鼓舞するようにイーノックの背中を叩くと、自分のブローニングHPの弾倉チェックを始めた。
「パリ協定上、我々はあの国にあってはならない存在だ。一つとして、痕跡を残すな。」
キャビンの中の隊員達の顔を見返しながら、ウィリアムが告げた言葉に、兵員室の中の空気が張り詰めた。
「Two minitues!」
「いよいよか…。」
暗いキャビンの中でアーヴィングの呟く声が聞こえる。ジョシュアがXM177E2カービンに装填された弾倉の中を確かめて、再装填する横では、リーが口の中に含んでいたガムを吐き出した。ウィリアムも腰のホルスターから取り出したコルト・ガバメントのスライドを後退させて、薬室の中に初弾か装填されているのを確認した。
「One minitues!」
「降下準備!」
ドアガンナーの声に続いて叫んだウィリアムの命令とともに、八人の隊員達は各人の降下順序を再確認した。
降下地点、黒い闇に包まれた草薮を目の前にしたコクピットのハル大尉はパイロット用の暗視装置をつけ、イーグル・ツーのブラックホークはゆっくりと降下の体勢に入った。その後ろに護衛のヴェノム・ツーが続き、周辺警戒を担当するヴェノム・ワンが着陸地点の周囲を旋回し、赤外線・熱探知ナイトビジョンの目で伏兵の姿の無いことを確かめた。
兵員室では機体両脇のスライドドアを開けると同時に、二基のM134ミニガンにドアガンナーが取り付き、その脇に降下するブラボー分隊の隊員達がついた。
「目標地点へと降下。Go!Go!」
隊内無線に叫んだハル大尉の声と同時に、地面から数メートルの高さまで降下したブラックホークの兵員室から、ダウンウォッシュの風で押しつぶされた草藪の上に、ブラボー分隊の隊員達は次々と飛び降りた。最初に飛び降りたウィリアム、イアン、アールが展開して周囲の警戒をする中、飛び降りた先の湿地で足を滑らせ、ダウンウォッシュの風圧に押されて倒れたイーノックを、続いてヘリコプターから降りたリーが引きずりあげる。
「全員、降下良し。イーグル・ツー、離脱!」
兵員室のドアガンナーが無線にそう叫ぶと同時に、ブラックホークの機体は八人の兵士達を地上に残して、一気に上昇した。
「イーグル・ツー、離脱する。"ゴースト"、健闘を祈る。」
ハル大尉の別れの言葉を無線に残し、イーグル・ツーのブラックホークとその前後を挟んだ二機のAH-64アパッチの機影は微かに茜色に染まり始めた南の空へと遠ざかっていた。ヘリコプターのローター音が徐々に消えていくと、ウィリアム達の周囲に静寂が戻った。聞こえるのは虫の音と風が藪をなでる音だけだ。
「イアン、敵の姿は確認できるか?」
薮の中に身を隠し、M21狙撃銃に装着したライフルスコープの目を巡らせたイアンは、しばらく索敵した後、「確認できません。」と隊内無線に返答した。
「リー、アーヴィング、どうだ?」
重ねて、単眼鏡で周囲の索敵を行う二人の遊撃手にも確認する。
「南の方向には人の姿は見えません。」
「西の方向も大丈夫です。」
二人の返答が無線に返ってくるとともにウィリアムは、傍らのクレイグの方を見た。しばらく、何かに感覚を研ぎ澄ませるように両目を閉じていたクレイグは数秒の沈黙の後、目を開いて、ウィリアムの方を見返すと、静かに頷いた。周囲に危険のないことを確認したウィリアムは隊内無線を開いた。
「前進開始。隊列を組むぞ。リー、先頭を頼む。」
隊長の命令とともに隊列を組み直した八人の隊員達は、微かに太陽の光が照らし始めたが、まだ暗い空の下、目的地へと向かって、薮の中を目の前のジャングルに包まれた山岳地帯に向かって前進し始めた。