第三章 二十六話 「朽ちた拷問部屋で」

文字数 4,347文字

敵にトンネルの存在を気づかれた…。
民族戦線偵察部隊に対する何度目かの攻撃の後、敵の反応からそう悟ったクレイグは潜り込んだ暗い地下トンネルの中で弾切れになったチャイナレイク・グレネードランチャーを捨て、武器をイサカM37散弾銃に切り替えると、やって来る敵を今度はトンネルの中で待ち伏せるべく、狭い地下洞窟の中を走った。

小隊長が突入したもの以外にもいくつかの入り口を発見した民族戦線の偵察小隊は後方から送られてきた増援と合流した後、消えた敵を追って遠い昔に放棄された地下トンネルの中を前進していた。
かつて民族戦線の一部隊がアメリカとの抵抗戦に使用していたその地下要塞は、入り口周辺は人一人が這って進むのがようやくというほどの狭さだったが、下層に進むほど広くなっていき、最深層では腰を屈めて進む必要もなく、横幅についても人が二人並べるほどの広さになっていた。民族戦線の小隊長は地下水の溜まったトンネルの中を身を屈め、ペンライトとトカレフを構えて進んでいた。
「お前達、右に行け。我々は左側を行く。」
前方で左右に別れたトンネルに、後ろを振り返った小隊長は背後に続く部下達に部隊の分離を命じた。
「トラップに注意しろ!」
民族戦線の地下トンネルの中にはアメリカ軍のトンネル・ラットを警戒して、ブービートラップを仕掛けている場合もある。大抵そうしたトラップの前には味方だけに分かる目印のようなものがあるのだが、地上での戦いを見たところ、敵は民族戦線の戦い方を熟知しており、それらが意図的に隠されている可能性もあると民族戦線の小隊長は考えていた。
突然、地面が抜けて数十本もの槍が立てられたパンジ・スティックの落とし穴の中に体を叩き落されるかもしれないという恐怖と戦いながら、小隊長はアメリカ兵から奪ったA-6Bペンライトの細い光を頼りに、暗いトンネルの中を身を屈めた状態でゆっくりと進んだ。

その頃、別の入り口からトンネル内部に侵入していた民族戦線の兵士、二人は途中の分かれ道で仲間と分かれた後、二人だけで視界を補いながら、トンネルの中を進んでいた。地上から十数メートルの深さにあるトンネルの中では、太陽の光が入ってくるはずもなく、灯りとなるのは手に持ったMX-991/U型L字ライトの光源しかない状況で、視界の利かない湿ったトンネルを恐る恐る歩き進めていた先頭の民族戦線兵士は立ち止まって、後ろを振り返ると、
「本当に、ここにいるのかよ?」
と背後の仲間に問うた。生き物の気配すらない人工の洞窟の中で、その声が妙にこだまし、後ろについて背後を見張っていたもう一人の民族戦線兵士は声を出した仲間の頭を叩いた。
「黙って進め!敵に位置がバレちまうだろうが!」
「だって…、俺、こんなところで死ぬのは嫌だよ…。」
弱々しく呻く同僚に、後ろにつく兵士は返答を返さなかったが、彼も気持ちは同じだった。二十五人の先遣部隊を全滅させた敵は一人だけだったと聞く。たった一人で、それだけ多数の相手を手玉に取ることができる人間を相手にして、自分達はまともに戦うことができるのか?ほとんど視界の利かないこの暗い洞窟のどこかで二十五人を殺戮した敵は息を潜め、罠を仕掛けて、自分達がその手にかかる瞬間まで、じっと待っているのではないか?
敵に殺され、この暗く湿った地下トンネルの中でネズミや虫に全身を食われて朽ち果てていく己の姿を想像した民族戦線兵士は冷や汗で汗ばんだ手で五六式自動小銃を今一度握り直すと、五感を周囲の警戒のために集中させたが、先を進む彼の仲間が立ち止まり、「扉だ!」と小声で知らせたのは丁度その時だった。不意を付かれないように、背後の気配に注意を向けながら、立ち止まった仲間の後ろについた民族戦線兵士は同僚の肩越しに仲間が見つめている地面の先を凝視した。土をかけられた木製の戸は、陽の光のない暗いトンネルの中では危うく見逃してしまいそうなくらい分かりづらいものだったが、確かにL字ライトの光に照らされた足元にあるものが何かの扉であるのは間違いなかった。
「確かに、隠し部屋があるようだな…。」
「気づかなかったふりして通り越したら、駄目かな?」
震えた声を出しながら、怯えた表情で背後を振り返った仲間の頭を叩きながら、後ろにつく民族戦線兵士は小声で叱咤した。
「お前!それこそ、この中に敵が隠れていたら、俺たち二人とも背後から撃ち殺されるぞ!」
二度、頭を叩かれて反抗する意思をくじかれた前方の民族戦線兵士は、
「確かに…、そうだよな…。」
と呟きながら、扉の方に向き直った。
「俺がここで見といてやるから、入って調べてこい。だが、気をつけろよ。罠が仕掛けられてるかもしれない…。」
「分かった…。」
震える声で返答した仲間が持ち上げた地下扉の入り口に五六式小銃の銃口を向けた民族戦線兵士は、仲間がワイヤートラップの存在に注意しながら、ゆっくりと開いた扉の向こうを注視した。だが、L字ライトの光だけでは隠し部屋の全体を見通すことはできず、照門と照星の先に見えるのは、薄暗い小部屋のような空間とそこへと続く木製の梯子だけだった。
「それじゃ、行ってくるよ…。」
L字ライトとMP-40を手に持ち、蒼白した顔面をこちらに向けてそう言った仲間に頷き返した民族戦線兵士は足元の暗闇に、手にした小銃を構えて援護の体勢を取ると、湿気でカビが生え、腐りきった階段を恐る恐る降りていく仲間の姿をL字ライトの光越しに見送った。

どうせ自分が内部の探索に行かされるなら気づかないふりをすれば良かった…。
そんな後悔を胸の内で噛み締めながら、小部屋の中へと降りたもう一人の民族戦線兵士は右手にはL字ライトを、左手には折り畳みストックを脇に挟んで構えたMP-40のグリップを握った状態で真っ暗な部屋の探索を始めた。
地中に作られた上、空気の出入り口がないため湿気の異様に高い小部屋の中を調べ始めた民族戦線兵士は、L字ライトの光が弱いために部屋の隅々まで見ることはできていなかったが、それでも肌で感じる雰囲気だけで、部屋の中に漂う殺気のようなものを感じることができた。
ここに居てはまずい…。やられる…。
危険信号を発する第六感に焦った民族戦線兵士が早急に捜索を終えようと、部屋の隅の方へ進もうとした瞬間、L字ライトの薄い光に照らされた部屋の一角に人影のようなものが座り込んでいるのが一瞬だけ浮かび上がり、若いベトナム人兵士は驚きの叫び声を上げるとともに、反射的に手にしていたMP-40の引き金を引き切ってしまった。その瞬間、地中に作られた小部屋の中にフルオートの銃声が轟き、マズルフラッシュの閃光が土の壁に反射して激しく明滅した。
「大丈夫か!」
入り口の上で待機している仲間の声が小部屋の中に響き、そのライトの光が部屋の中に差し込んだ。
「大丈夫だ!敵じゃない!」
L字ライトを服の胸ポケットに入れ、もたつきながらも震える手でMP-40を両手で構え直した民族戦線兵士は先程、人影のようなものが見えた部屋の一角へと恐る恐る近づいた。緊張に加え、湿度が高く酸素濃度の低い空気のせいで、目眩がして平衡感覚が狂ってくる中、民族戦線兵士は何とか自分の体を踏ん張り、両手に握ったサブマシンガンを構えたまま、ゆっくりと人影に近づいた。
L字ライトの光が部屋の壁にもたれてうずくまっている人影の姿を再び照らした時、またしても心臓が縮こまるような感覚が彼を襲ったが、逃げたくなる気持ちを抑え、その人影をしっかりと見つめて正体を突き止めた若い民族戦線兵士は安堵の吐息を吐いた。彼が人影だと思っていたものは、実は壁に横たわるようにして倒れている白骨化死体だったのだ。肉が腐り、動物に食い荒らされた死体が着ているのはアメリカ軍の軍服のように思われる。
それが敵のものであっても朽ちた死体を見せられた気分は、あまり良いものではなかったが、この小部屋の正体が何であるのか突き止められた気がした若い民族戦線兵士は少しばかり軽くなった気分を感じながら立ち上がると、周囲の壁や地面を見やった。あちこちに人間のものと思われる人骨が転がっている。
気の毒に…。国にも帰れずに、こんなところで朽ちていくだなんて…。
散乱するかつての敵の死体に同情することができたのは、この民族戦線兵士がまだ若く、実際に戦場で人を殺したことも大切な人を殺されたこともなかったからだったのかもしれない。だが、ひとまず部屋の中に敵の姿のないことを確かめた彼は、
「何もいなかったぞ!」
と入り口の上で待っている仲間に呼びかけ、梯子の下りている場所に戻ろうとしたところで足首に引っ掛かった重たい感触と、それと同時に聞こえた金属の擦れる音に足元を見つめた。彼の足首には錆びた金属の鎖が引っ掛かっていた。その一端をL字ライトの光で辿っていくと、地面に埋められているのが分かった。
こんなもので捕虜をつなぎとめてたのか…。
複雑な思いにかられながら、民族戦線兵士が足首に引っかかった拘束具を退けようとした時、今度はコロコロと軽い音を立てながら転がってきたゴルフボール状の球体が彼の履くゴム・サンダルの爪先に当たって止まった。それが何であるのか、緊張と驚きの連続で感覚が麻痺していた彼は一瞬、分からなかったが、コンマ一秒後には、「手榴弾だ!」と叫ぶと同時に入り口の梯子の方へと走っていた。十平方メートルほどの広さの小部屋の中には、爆風や破片を避けることのできる障害物や窪みはなく、手榴弾の危害から逃れるには部屋の外に出るしかないため、仲間に危険を知らせながら梯子の方へと走った若い民族戦線兵士の反射的行動は正しかったが、朽ちた梯子を登った先に開いてあるはずの扉が閉じられていることまでは、追い詰められた若い兵士にも予想できていなかった。
「おい!何でだ!開けてくれ!」
扉の向こうにいるはずの仲間に叫びながら、閉じられた扉を下から押し開けようとした民族戦線兵士だったが、何かの重しを上に載せられている扉は人一人が下から押してもビクともせず、扉が開くよりも先に朽ちた梯子の方が壊れて、若いベトナム人兵士は重力に引かれて、小部屋の床に叩き落とされると同時に、狭い部屋の中央で炸裂したV40ミニ・グレネードの爆風と破片に至近距離から襲われて即死した。

五六式小銃を掴んだまま死んでいる民族戦線兵士の死体を、重し代わりに載せていた地下扉の隙間から低く腹に響く破裂音とともに、わずかに閃光と土煙が漏れるのを見届け、同時に地面が揺れるのも感じたクレイグは下の小部屋を偵察していた民族戦線兵士が死んだことを確信すると、銃床を折り畳んだAKMSを抱えて次の獲物を狩るために狭い地下トンネルの中を走って行った。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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