第二章 二十二話 「遺骸」
文字数 4,872文字
「敵影なし、オッケーです。少尉。」
兵舎区画の十二個の兵舎と北側の武器庫の中に爆薬を仕掛けたアール達はイアンの援護の目の下、北側武器庫の出口から出ると、アールを先頭にして、幅十五メートルほど離れて隣接する南側武器倉庫へと、敵の目を警戒しながら渡り、建物の中へと入った。
七五〇平方メートルほどの広い武器庫は北側の武器庫がそうであったのと同じく、照明は消され、人の気配はない。爆薬類の劣化を防ぐためか空調は効いており、外の熱気になれた三人にとっては少し肌寒くもあった。
暗視ゴーグルを装着し、闇に自分達の身を隠したアール、リー、アーヴィングの三人は念の為、手分けをして、武器庫の中をクリアリングし始めた。
「こっちは爆発物を収容する武器庫のようですね。」
クリアリングをしながら、隊内無線にリーが呟いた。確かに武器を収納するラックにはソ連製のロケットランチャーが並べられ、棚には爆破工作セットや地雷などが多数保管されている。ソビエト製やフランス製のものに加え、大日本帝国製の古い地雷などもある中で、アールはアメリカ製の指向性対人地雷、クレイモアも大量に保管されているのを見つけた。
「爆発物が足りない。いくつか頂戴していこう。」
この基地から逃げ出した後に、敵に追撃される可能性もある。手持ちの時限式クレイモアはすべて兵舎に仕掛けてきてしまったので、三人はそれぞれ手分けして、武器庫の中の爆弾類を持てるだけ回収することにした。
「少尉。こいつも使えそうですぜ。」
リーがロケットランチャー類を収納した立て掛け式ラックの一角を指差し、笑みを浮かべながら言った。
「使えるのか?」
ラックから先程指差していた筒状のランチャー、ソ連製の携対空ミサイル9K32ストレラを取り出したリーはアールの方を振り返って、自信満々に答えた。
「少尉、私を誰だと?ソ連系の銃器でもある程度は扱えるように訓練をしてます。それに…。」
リーはストレラを背負い、専用バッテリーの入ったアタッチメント・ケースも忘れずに手に取ると続けた。
「これがなければ、あいつは…、ハインドは墜とせません。」
アールは潜入する際に見た、基地周辺を哨戒飛行するハインドAの機影を思い出した。確かにリーの言う通り、飛行するヘリコプターを撃墜するにはロケットランチャーよりも携対空ミサイルの方が確実であった。
「頼んだぞ…。」
アールとリーが武器庫の隅でその話をしている時、武器庫の中央ではアーヴィング一等軍曹が棚に整頓されて置かれた大量の爆発物に持ってきたMk138爆破工作セットを仕掛けていた。
爆破工作セットに時限装置を取り付ける作業に集中し、黙々と作業を進める黒人の一等軍曹だったが、作業に集中していたためか、その背後で床下扉がゆっくりと開き、人影が姿を現したことに全く気づいていなかった。音もなく、扉を開けて上半身を出した人影がゆっくりとマカロフPM小型拳銃をアーヴィングの背中に向けて構える。目の前の作業に集中して、背後の存在に気づかないアーヴィングの背中に狙いを定めた人影が小型拳銃のハンマーをコックした瞬間、その僅かな機械音に反応して、アーヴィングが手元に置いていたハイスタンダードHDM消音拳銃を掴んだのと、人影の手に握られたマカロフPMが発砲したのは同時だった。マカロフの銃口から放たれた二発の九ミリ弾が、身を伏せつつ振り向いたアーヴィングの頭の少し上を通過し、その先の金属製の棚に当たって、火花を散らす。人影は照準を付け直し、三発目の引き金を引こうとしたが、振り返り様にアーヴィングが構えたハイスタンダードHDM消音拳銃の放った.ニニロングライフル弾が人影の首元に刺さる方が早かった。
ぐえっ、という呻き声とともに人影の姿が地下室へと消え、支える者が居なくなった地下室の扉が重力に引かれて、パタン、という音とともに自重で閉まった。
「大丈夫か?」
銃声に反応したアールとリーがアーヴィングのもとに駆け寄った。
「私は大丈夫です、少尉。しかし、銃声が…。」
小型拳銃とはいえ、銃声が二発も轟いたのだから、外の兵士達に気づかれた可能性はある。
「イアン、外に異常はないか?」
リーが武器庫の南側の入り口を警戒する中、北側の入り口の警戒についたアールが、全体を把握できる場所にいるイアンに無線で確認した。
「周囲に異変はありません。なにせ、外も喧しいようですから。」
数秒経って、帰ってきたイアンの返答に三人全員が安堵の吐息を漏らした。外では車両が行き来する音や工事の音が充満し、兵舎の方では酒を飲んだ兵士達が騒ぎ、大音量でラジオから音楽を流しているので、厚いコンクリート製の壁で密閉性も保たれた武器庫の中の銃声は外には聞こえなかったらしい。
外の兵士達に気づかれなかったことが分かって、三人はひとまず安心したが、彼らにはまだ懸案が残っていた。地下に消えた先程の人影だ。存在すら知らなかった武器庫の地下室、爆発物を仕掛ける必要もないので、このまま扉を開けられないようにして放っておきたいところだが、自分達の姿を見てしまった人間をそのままにしておく訳にはいかない。
アールは床下扉の輪郭にMK2 USNナイフを差し込んで、ワイヤートラップが仕掛けられていないことを確認すると、背後についたリーとアーヴィングに目配せし、地下室のハッチ式扉を僅かに開けた。その一瞬にリーとアーヴィングが安全装置を引き抜いた閃光手榴弾を扉の隙間から地下室に投げ入れ、それを確認して床下扉をすぐに閉めたアールは、扉の上に自分のバックパックを置いて重しにした。二秒後、地面の下から聞こえた破裂音とともに、床下扉の輪郭から閃光の光が漏れた。閃光手榴弾の爆発を確かめ、バックパックを退けたアールはリーに扉の取っ手を握らせた。
「私が先頭で入る。」
そう言うと、アールは銃口に専用サプレッサーを取り付けたMk22 Mod0ハッシュパピーを右手に構えた。
「Go!」
アールの小さな掛け声とともに、リーが床下扉をゆっくりと開け、その隙間から、構えた拳銃の照準越しにアールが地下室を覗き混む。コンクリート製の壁に包まれた地下室は薄暗い照明で照らされ、床下扉には地下室へと降りる階段がつけられ、その真下には、.二二LR弾に首元に風穴を開けられたロシア人の軍人が仰向けに横たわっていた。恐らくは先程の人影であろう。さらにアールは地下室の中から漂ってきた死臭に鼻を歪ませながら、Mk22 Mod0を構えたまま、地下室の中を覗きこみ、クリアリングを続けると、弱い照明に照らされた十平方メートルほどの部屋の端に積み上げられたものを見て呻いた。
「何だ、あれは…?」
アールは地下室の扉から顔を出した。
はっきりとは見えなかったが、それが何であるのか、彼には臭いを嗅いだ時点からはっきりと分かっていた。これは死臭だ。今さっき、死んだばかりのロシア人から漂うはずはない。飛んできたハエが臭いと光に引かれ、地下室の中に飛び込んでいく。
「何ですか?この臭い…。」
開けた床下扉の向こうから漂ってくる強烈な悪臭に、リーとアーヴィングも顔をしかめる。
「分からん…。だが、とにかく中に入って確認してみよう。」
アールはMk22 Mod0を片手に、階段を降りて地下室の中に入った。その後ろにハイスタンダードHDMを構えたアーヴィングが続く。トム・リー・ミンクは念の為、地下室の扉の上で待機させた。
密閉された狭い地下室の中は更に悪臭が酷かった。地下室に降りたアールは鋭い異臭に顔をしかめつつも、階段の脇に倒れたロシア人の男にMk22の銃口を突きつけ、足で頭を蹴って死んでいることを確認すると、男の服の胸ポケットを探った。
「中尉か…。」
ロシア語で書かれたカードの内容は分からなかったが、胸に取り付けた階級章から判別したアールは呟いた。
恐らくは、この基地に駐在する軍事顧問団の一員か…。
男の正体を同定すると、今度は先程から異臭を漂わせ続ける正体が鎮座する部屋の隅にフラッシュライトの光を向けた。
「こいつは…、何てことだ…。」
小型ライトの光に照らされた死臭の根源に、アールは呻かざるを得なかった…。
コクピットの中で、いつまた会えるか分からない本国の妻が別れ際に渡してくれた手紙を読んでいたMi-6大型輸送ヘリコプターのロシア人パイロットは手紙に集中し過ぎてしまっていた余り、目の前のMi-24Aの陰から現れた二つの黒い影が消音拳銃を向けて自分の方に近づいてくるのに気づくことが出来なかった。だからこそ、突然後部貨物室との連絡扉が開いた時には異国の特殊部隊員を同僚と勘違いし、いつもと同じように、「おい!ちゃんとノックしてくれ、と言ってるだろ…。」と文句を言ったのが彼の最後の言葉となってしまったのだった。
同僚ではなく、それが侵入者だと気づく間もなく、ハイスタンダードHDM消音拳銃の放った銃弾に頭を吹き飛ばされたロシア人パイロットをまるで寝ているかのような姿勢にし、窓についた血も拭いたウィリアムはパイロットの足元の操縦ペダルの脇に、準備していたC4爆弾を仕掛けると、連絡ドアから後部貨物室に戻った。このヘリコプターを完全破壊目標に指定されたということは、貨物室に載せられたものが何かアメリカにとっては都合の悪いものなのだろうが、大型のコンピューター類などの機器が満載された後部貨物室にはすでに五基のC4爆弾が仕掛けられ、起爆の時を待っていた。貨物室のサイドドアのところで外を警戒しているジョシュアにウィリアムが目配せし、作業が終わったことを知らせたところで突然、隊内無線が開き、アールの声が聞こえてきた。何か指示を求めているようだが、はっきりとは聞こえなかった無線の声にウィリアムは聞き返した。
「こちら、ラット・チーム。イーグル、どうした?」
ウィリアムの問いに返ってきたアールの次の返答は、はっきりと聞き取れた。
「大尉。今、南側武器庫の地下室ですが、大変なものを見つけました…。」
無線越しでも動揺が伝わるアールの声に「何を見つけたんだ?」とウィリアムが聞くのと同時に「ロシア人の死体です…。」とアールの声が返ってきた。
「死後三日程は経っています。階級は様々ですが、低いものは兵曹から上は中佐に、大将までいます。」
言葉を失っているウィリアムに、アールの微かに震えた声が返ってきた。
「大尉…、この階級章がもし本物ならば、今この基地を支配しているロシア人は何者なんでしょうか?」
民族戦線の兵士達といさかいがあって皆殺しにされたのか…?いや、違う。ヘリのパイロットはロシア人だった…。
先程、制圧したばかりのコクピットの方を振り返りながら、そんなことを考えたウィリアムも部下の無線報告の内容に動揺していないわけではなかったが、隊内無線には分隊長らしく冷静な言葉を返した。
「アール、今の我々には何も分からん。確かめる手段は作戦を決行することしかない。標的の死体があったわけではないのだろう…?」
死体を確認しているのか、しばらく沈黙した後、無線にアールの返答が返ってきた。
「ええ…、恐らく…。ロシア語は分かりませんが、死んでいるのは全員軍人です。」
標的は殺されていない…、その事実を確認し、ひとまず安堵の溜め息をついたウィリアムが隊内無線に、「とにかく作戦を続行しよう。」と返したところで別の声が無線に入ってきた。
「こちら、クレイグ。管制棟建物北側、合流地点に着きました。」
その声にジョシュアと目配せしたウィリアムは再び隊内無線を開き、イーノックに指示を出した。
「イーノック、監視塔を降りて、発電施設の方へ移動してくれ。見つかるなよ。」
「了解。」
イーノックの返事を確認し、隊内無線を切ったウィリアムはジョシュアに合図し、Mi-6の兵員室から出ると、闇に身を隠し、クレイグとの合流地点に向かった。
今、この基地で何が起こっているのか、自分達が何をさせられようとしているのか、ブラボー分隊の隊員達には知る由もなかった…。