第一章 十一話 「北の地」
文字数 1,761文字
「カナダかぁ。本当に寒いですね。」
イーノックが白い息を、はぁー、と吐き出しながら呟く。一応のところ、防寒用のコートはしっかりしたものを用意してきたのだが、それでも北緯六〇度、イエローナイフの寒さは体に染みてきた。
イエローナイフ駅で鉄道を降りると、その寒さが結実させた雪が降り、一面に白い世界が広がっていた。周囲の観光客もウィリアム達と似たり寄ったりの、厚手のコートとマフラーに身を包み、重装備然りといった感じの様子だ。
「それで、ここからどうやって行くんですか?」
電車の中では機密が漏洩する危険性もあったため、イーノックには今から会いに行く人間がカナダ北部の山中にいる、としか伝えていなかった。
「その男を見張っているCIAの男が送ってくれる手はずになっている。」
改札口を通り抜けたところで、サングラスをかけ、頭に防寒用のヘアバンドを被った小柄な白人が二人に近寄ってきた。
「ヨウ!ヨウ!イケてる御二人さんよー。イエローナイフに来たからには、うちのお店にも寄ってきなよー。」
訛りのある英語で喋る陽気な男に、イーノックは妙なやつに絡まれたと思ったのか、片手で払うようにしたが、
「よし、じゃあお世話になろう。」
とウィリアムが言ったので、目をひんむいて驚いた。
「本当に付いて行くつもりなんですか?任務なんですよ?」
動揺して、「任務」という言葉を口走ってしまったイーノックをウィリアムは片手で制した。
「仕事の成果は思ってもいないところで、得られることもある。」
それでも怪訝そうなイーノックだったが、ウィリアムが男に付いて行くと、仕方なくその後ろに続いた。
男は何歳くらいなのだろう。ウィリアムの前を跳び跳ねたり、くるくる回ったりして、まるでおもちゃを買ってもらって上機嫌な子供のようであった。
CIAの男との約束は良いのか?、と思いながら、イーノックが見上げた空は灰色に曇り、白い雪の塊が降ってきていた。
男に導かれるまま、駅の駐車場に出た二人は一番端に停められていた赤色の小型車に乗るよう、促された。
「どうぞぉ、乗ってくだせぇ。旦那方。」
ひょうきんな声に、サングラスの下の唇には満面の笑みを浮かべた男が勧める。
ウィリアムは何の迷いもなく、男に言われるまま、車の後部座席に乗り込んでしまった。そのままでいても仕方がないイーノックも、逆側から後部座席に乗り込んだ。
一拍遅れて運転席に乗り込んできた男はサングラスを外すと、後部座席のイーノック達を振り向いた。その顔に先ほどまでの剽軽な笑顔はなく、鋭い光をはらんだ男の目に睨まれて、イーノックは自分の体が縮こまるのを感じた。
「何故、ここに来た?」
大きくはないが、ドスの利いた声に、先程までの剽軽な男の面影はなかった。
「郊外の山に住む元海軍の男に話がある。」
ウィリアムは動揺することもなく、平然と答えた。
「あんたたち、兵隊さんらしいな。」
この段になってようやく、イーノックはこの男がCIAの男なのだ、ということに気がついた。それで大尉はこの男に付いてきたのか…、と納得している彼をよそに、男は二人の方を見て続けた。
「今度は陸軍の人かなんか知らんが、海軍でも陸軍でも、あの男を説得するのは不可能だ。」
今すぐに帰れ、とでも言いそうな剣幕の男だったが、ウィリアムは男の言葉など、全く聞こえていないと言った様子だった。
「だめで元々で来ている。さぁ、出発してくれ」
男は前を向き、しぶしぶという感じで車のエンジンをかけた。小型車は腹に響く振動とともに、そのエンジンを始動させた。
「あんた達が来たら、あいつを監視しているKGBの奴らがまた落ち着かなくなるだろうな…。」
男はフロントガラスに積もった雪をワイパーがかき分けるのを見つめながらぼやいた。
「KGB…?KGBも見張ってるんですか?」
突然男の口から飛び出してきたソ連の諜報組織の名前に驚いていたイーノックは隣に座っているウィリアムに聞いたが、質問に答えたのは運転席の男だった。
「当たり前だ。あんたら、あいつのことをちゃんと調べてたんじゃないのか?」
「はっ?いや…、俺には機密ということ…。」
「まぁ、良い!行くぞ!」
イーノックがウィリアムに対する不満を吐ききる前に車は走りだし、イエローナイフ駅から飛び出して、目的地へと向かって走り出した。