第二章 二十四話 「確保」
文字数 5,302文字
強引な突破は危険なのは明らかだった。だが、事前に特殊部隊員の配置を知っていたウィリアム達には突破の秘策があった。偵察を終えたウィリアムが背後のクレイグに合図すると、クレイグがMk22 Mod0を突きつけたロシア人の男の耳元に口を近づけ、何かを囁いた。先ほどウィリアム達が地下への階段へと移動している時に運悪くもトイレから丁度出てきてしまい、拘束されてしまったロシア人はクレイグが小声のロシア語で囁いた内容に恐怖で目を見開き、微かに震えた。囁き終わると、クレイグは専用サプレッサーのついたMk22 Mod0の銃口で男の背中を押した。その瞬間、ウィリアムの構えたハイスタンダードHDMとクレイグのMk22 Mod0に背中を狙われたロシア人の男は両手をあげ、何かを叫びながら、二人のスペツナズの隊員の前に飛び出した。
何を言っているのか、ウィリアムには分からなかったが、クレイグが撃ち殺さないということはロシア人は仕事を果たしているらしい。突然、目の前に飛び出してきた男に驚いたスペツナズ隊員達は男にAK-47を構えたが、男と三言ほど言葉を交じわせるとライフルを下ろし、二人で顔を見合わせて笑いあった。
廊下と階段の合流する角の壁に身を潜めていたウィリアム達には、脅したロシア人の背中しか見えず、二人のスペツナズ隊員の姿は見えなかったが、廊下の向こう側から笑い声が聞こえた瞬間、後方の部下にハンドサインを出すと同時に、ウィリアムは角から身を出して、ハイスタンダードHDMを構えた。男の後ろから突然現れた侵入者に気づいたスペツナズ隊員は笑顔を消し、AK-47を構えたが、既に時遅く、引き金を引くよりも早く、彼の頭蓋に.二二LR弾が突き刺さっていた。隣に立っていたスペツナズ隊員も、ウィリアムの後ろから構えたクレイグのMk22の放った九ミリ・パラベラム弾に頭を撃ち抜かれ、声を出す間もなく沈黙させられた。目の前で、一瞬の内に音もなく殺害された同胞の末路に呆然としたロシア人の男は次の瞬間、クレイグに背後から組み付かれ、一瞬の内に目の前に迫ったコンクリートの床に顔面を強打し、深い眠りについた。
「ありがとよ。死ぬなよ。」
クレイグが気絶した男に猿ぐつわをし、拘束バンドで手足を縛っている間に、ウィリアムは目的の部屋の扉に近づき、鍵を外し始めた。ジョシュアは廊下と階段の角について、ハイスタンダードHDMを構え、階段の上から人が来ないかを監視している。一階に目立った動きはなく、先ほどのウィリアム達の動きは察知されていないようだった。
一分ほどの作業で、軽い金属音とともに鍵は開いた。鍵破りを仕舞い、新しい弾倉を装填したハイスタンダードHDMを左手に、右手に閃光手榴弾を持ったウィリアムは扉の壁に体を寄せ、部屋の中の気配に感覚を研ぎ澄ませると、少しだけ扉を開いた。ウィリアムの背後に、男の拘束を終えたクレイグがMk22と閃光手榴弾を構えて着く。わずかに開いた扉の間からは、段ボール箱を積み上げた棚とコンピュータのようなものと軍人の後ろ姿が見えたが、標的らしい姿は見えなかった。
ウィリアムは廊下の角を警戒するジョシュアの方を向き、階段の方から人が来ていないことを示すハンドサインを確認すると、今度は背後のクレイグを振り返り、ハンドサインで突入の方法を伝え、相槌でクレイグが理解したのを確かめ、突入の体勢に入った。ハイスタンダードHDMを一端ホルスターに収め、扉の取手を握った左手の人差し指と中指で安全ピンを摘まみ、右手に持った閃光手榴弾を引っ張る。軽い金属音とともに、安全ピンが引き抜かれ、背後でもクレイグの閃光手榴弾が同じ音を立てるのを聞いたウィリアムは取手を掴んだ左手で扉を僅かに押し、開いた戸の隙間から閃光手榴弾を投げ入れた。筒状の金属の物体が、アルミ缶が地面を転がるような音を立てて、コンクリートの床の上を転がっていき、クレイグの投げた閃光手榴弾がその後に続いたのを見届けると、ウィリアムは扉の取っ手を引っ張り、瞬時に戸を閉めた。
金属扉の向こうで、ウィリアムの知らない言語で騒ぐ声が聞こえた後、閃光手榴弾のこもった破裂音と爆発の振動が扉越しにウィリアムとクレイグの二人にも届いた。それと同時にウィリアムはハイスタンダードHDM消音拳銃を構え、扉を蹴りあげて部屋の中に突入した。そのすぐ後ろにMk22 Mod0を構えたクレイグが続く。閃光手榴弾の爆発で、微かに曇っている部屋の中に突入したウィリアムが認めた人影は三つ。三人の内の誰がターゲットかわからないので撃ち殺すことはできない。ウィリアムは突入して正面にいた軍服姿に白髪の男の右肩にハイスタンダードHDMを撃ち、クレイグは突入して、右側にいた男に向かって、タックルした。ウィリアムに右肩を撃たれても、左手で腰のホルスターから引き抜いたマカロフPMを発砲しようとした初老の男に、マカロフを構える時間も与えず、ウィリアムは一気に接近し、男の下顎に肘内の一撃を入れた。初老の男が口から血を吹き出しながら、後ろ向きに吹っ飛んでいく間に、ウィリアムはもう一人、十平方メートルほどの狭い部屋の右端に設置された机に向かって座っている男にハイスタンダードHDMの銃口を向けた。呆然としたまま、両手をあげている男は、白シャツという格好で軍服を着た先程の男とは明らかに雰囲気が異なっていたが、その顔はファイルで作戦前に見たのと同じものだった。
ユーリ・ホフマン…、ターゲットの内、若い物理学者の方だ…。
ウィリアムが男の顔を見て、そう確信した時、背後でクレイグの怒鳴り声がした。ロシア語だ。先程の初老の軍人と白シャツの科学者の両方に警戒を維持しつつ、ウィリアムはクレイグの方を見た。彼がMk22を構える先では、先程彼にタックルを食らった、黒いシャツを着た男が壁に寄りかかるようにして、呆然とクレイグの方を向いていた。
もう一人の回収目標、イリヤ・ポモシュニコフだ…。
黒い髭を生やした中年の男の顔を見て、そう確信したウィリアムの脇で、クレイグが再びロシア語で男に何かを聞く。恐らくは名前を問うているのだろう。だが、男は答えず、視線をウィリアムの方に向けるだけだった。その目に宿っていたのは不信感か不安か…。それをウィリアムが判別する間もなく、クレイグがもう一度、ロシア語で話しかけた瞬間、男は突然、ズボンのポケットから小型拳銃を取り出して構えたのだった。
突然の出来事に対して、クレイグの反応は優秀だった。銃を向けられても、相手が回収すべき標的であったため、すぐに引き金を引くことはなく、代わりに回避の姿勢を取った。しかし、そのことが今回に限っては逆に仇となった。回避の姿勢を取ったことで、男が小型拳銃の銃口を自らの頭に向けた瞬間に、迅速な反応ができなかったのである…。
「やめろ…!」
英語で怒鳴ったウィリアムの呼びかけも虚しく、狭い部屋を閃光が包み、小さな銃声が響いた。男の背後の壁に血が飛び散り、自ら頭を撃ち抜いた男の体は痙攣しながら、その場に倒れた。
自害した…?何故だ…?恐怖を与えすぎたのか…?
作戦失敗の四文字が頭に浮かび、その理由を指揮官として考えそうになったウィリアムは、目の前に残っているもう一人の標的を思い出し、そちらに意識を引き戻した。
突然、目の前で自害した男に一瞬の間、動きの固まっていたクレイグもロシア語で白シャツの男に何かを話しかける。名前の確認だ。だが、聞き取れなかったのか、この男も反応を示さなかった。嫌な予感がし、ウィリアムが身構えたところで、クレイグが男に近寄り、もう一度、同じことを聞いた。そこで初めて、ハッ、としたような様子で正気を取り戻したらしい男は口を大きく開け、目を見開いたまま、無言で何度も頷いた。
ウィリアムは深い溜め息を漏らした。どうやら、ターゲットはこの男で間違いないようだが、クレイグはそれ以外にも二個、三個、ロシア語で男に質問をした。本人を特定するための質問だ。三つ目の質問に答える時、緊張で舌がもつれていたものの、男はウィリアムにも分かる言葉を口にした。
「英語…、分かる…。」
確かに英語で発せられた男の声に、ウィリアムが驚愕した瞬間、その隙をついて、先程気絶させられた初老の男がナイフを向けて起き上がった。いや、最初から気絶せず、反撃のタイミングを見計らっていたのかもしれない。白髪のスペツナズ上級将校は、その年齢からは考えられないほどの俊敏さで床から立ち上がり、ウィリアムに飛びかかったが、そのナイフの刃先がウィリアムの体に触れるよりも先に、クレイグのMk22が放った九ミリ・パラベラム弾が初老の兵士の額に突き刺さり、男の体は死体となって、地面に倒れ付した。
「ワオ…、すごい…。アクション映画みたいだ…。」
目の前で起こった戦闘劇に、思わず感嘆の声を漏らした白シャツの男にウィリアムは今、最も聞かなくてはならないことを聞いた。
「ユーリ・ホフマンだな?」
鋭い表情と声で問うたウィリアムの言葉に、男は呆然とした表情のまま、何度も頷いた。
「君を救出に来た。死にたくなければ、一緒に来い。」
突然の侵入者にそう言われ、動揺しつつも準備を始めた男にウィリアムは、
「何も持っていくな。」
と言ったが、白シャツの男、ユーリ・ホフマンは必死な顔で首を横に振り、
「これだけは持っていかないと…。」
と言って、傍らの黒い鞄を一つ首に掛けた。その鞄の中身が何であるのか、ウィリアムには分からなかったが、男の必死な様子からその物体がアメリカへの亡命土産であることを悟った彼は目の前のソ連人科学者と傍らのクレイグに、「行くぞ!」と声をかけた、その瞬間だった。隊内無線から、ジョシュアの声が聞こえてきた。
「大尉!大尉!一階で動きがあり。こちらに人が来ます。」
「人数は?」
「分かりませんが、戦闘準備しているようです。」
部下の声にウィリアムは背後を振り返り、部屋の中の天井を睨んだ。監視カメラだ。
何も監視していないはずはなかったか…。いや、いずれ銃声でバレていた。
ウィリアムは左腕につけた軍用腕時計を見た。爆弾の爆破まであと二分。予定より少し早いが、敵が動き出したなら選択の余地はない。
「行くぞ!私達の後ろにつけ!」
どう動けば良いのか分からないユーリの腕を引っ張り、部屋から引きずり出したウィリアムの背後で、クレイグが部屋の中の資料や段ボール箱、コンピュータ類に可燃剤をまき始めた。燃料を部屋中にまき、扉から外に出ようとした時、彼は自害したイリヤ・ポモシュニコフの方を一瞥した。
もしかしたら、俺には守れたのか…?
壁に寄りかかるようにして倒れた男の姿に、虚しさを感じたのも一瞬、廊下に出たクレイグは戦闘服のポケットから取り出したライターを着火し、
「Fire in the hole!(焼却する!)」
と叫ぶと、可燃剤の海に溺れた部屋の中に投げ込んだ。ボッ、という破裂音とともに、床に落ちたライターから炎の筋が立ち上り、火が部屋中に広がったのを確かめると、クレイグは金属製の扉を閉めた。
クレイグと目配せし、資料の焼却を確認したウィリアムはユーリの腕を引っ張って、地上へと続く階段の方へと向かった。廊下と階段の交わる角では、ジョシュアが銃口にサプレッサーを着けたXM177E2を構えて、階段の上を警戒していた。
「踊り場の向こうに、三人か四人の兵士が突入のタイミングを窺っています。仕掛けるなら、今しかありません」
ウィリアムの気配に気づき、背後を振り返ってそう言ったジョシュアに、
「そのつもりだ。」
と返し、クレイグにユーリを任せ、先頭についたウィリアムは背後についた二人の部下にハンドサインで作戦を伝えると、次の瞬間、壁の角から身をのりだし、折返し階段の踊り場の天井に向けて、M16A1を構えた。
階段の下に動きがあったことを察知したスペツナズの隊員達が身を隠していた階段の壁から身を出して、AK-47で階下を掃射しようとした時には、ウィリアムのM203グレネードランチャーから放たれた四十ミリグレネード弾が彼らの頭上の天井に突き刺さっていた。直後、近接安全装置を解除された信管が起動したグレネード弾の破壊した天井のコンクリート片が、スペツナズ隊員達の体の上にのしかかり、その全身を粉々に引き裂いていた。
「Go!Go!Go!Go!」
爆発の硝煙が漂う中、M16A1を構えたウィリアムを先頭にして、三人の"ゴースト"隊員と一人の化学者は敵地から脱出しようとしていた。