第二章 二十話 「侵入」

文字数 2,806文字

軍事顧問団基地の西側、谷から階段を登ったところにある銃座では、警備担当の民族戦線兵士、三名が東側の警備所から渓谷に定時警戒に出た歩哨班が帰ってくるのを談笑しながら待っていた。三年前であれば、アメリカ軍による空爆を警戒して、皆もっと気を引き締めて、警備に当たっていたが、アメリカが正式にベトナムから撤退して二年、彼らが警戒しなければならない勢力はクメール・ルージュやARVN(南ベトナム陸軍)だけとなり、練度や装備ではそれら敵対勢力に対して、この駐屯基地の兵士達の方が圧倒的に優れている上に、襲撃もこの数年間で一度もなければ、兵士達の気が緩んでしまうのも仕方のないことだった。銃座の脇に立てられた高台でサーチライトを濃霧に包まれた谷に当てて、侵入者を警戒する一人の民族戦線兵士はその中であっても、真面目に警備をしていたので、銃座の三人のふざけた姿を見て、思わず嘆息を漏らし、サーチライトを銃座の方に向けて、
「真面目に仕事しろ!」
と怒鳴った。四百ワットのライトに当てられ、眩しそうに手で光を遮りながら文句を言った三人の内の一人が、その場でズボンを脱ぎ捨て、
「よく見やがれ!」
と叫んだ。高台にいた民族戦線兵士が男の汚い局部をサーチライトの照明の中ではっきりと見せられ、不快感を顔に表すのを見て、他の二人が大笑いする。
「小便してくる!」
ズボンを脱ぎ捨てたまま、AK-47を手に谷への階段へ走っていった男を見て、銃座に残った二人が、
「あまりに醜いものを見せすぎて、ファン班長に殺されるなよ!」
と笑いながら言うと、ズボンを脱ぎ捨てた男は、
「ファンの野郎はくそくらえだ!」
と裸の尻を付きだし、小馬鹿にするような仕草とともに上司の悪口を吐き、その姿に銃座に残った二人の民族戦線兵士はまたしても大笑いした。下半身裸の男がAK-47をスリングで肩にかけて、階段を闇と濃霧に包まれた谷底へ降りていくのを、嘆息とともに見送った高台の兵士は、直後、霧の中から男の呻き声が聞こえたような気がして、探照灯の光で階段を照らした。霧ではっきりとは見えないが、特に人影はない。
「ちゃんと警戒しろ!」
銃座の二人に、もう一度怒鳴った監視塔の兵士は二人がふて腐れた態度で、重機関銃に取りつくのを見届けると、傍らに立て掛けていたSKSカービンを手に取り、探照灯が照らす階段の踊り場辺りを狙って構えた。
照星の先に見える、曇った景色が先程と少し異なるような違和感を感じ、男が背筋に寒気を感じた瞬間、彼の視線の先で闇の中に漂う霧が微かに煌めき、小さな破裂音とともに飛来した九ミリ・パラベラム弾が彼の額を掠って、男はその衝撃で後ろに倒れた。
敵だ!
そう叫ぼうとした男の肺と心臓を木造の高台の床を貫通して連射されてきた九ミリ・パラベラム弾が完全に破壊し、瞬時に男を絶命させた。
死ぬ間際に、下の同僚達が仲間に危機を伝えてくれるはずだ、と高台の男はそれだけを希望に逝ったが、頼みの綱であった二人は、男がアールのMk22 Mod0が放った九ミリ弾に撃たれるよりも先に、背後から音もなく近づいていたアーヴィングとリーにワイヤーで首を閉められ、窒息死体となって、重機関銃の脇に転がっていた。
警戒所を制圧し、周囲に敵の姿がないことを確かめたアールは隊内無線を開いた。
「こちら、イーグル・チーム。西側警戒所、制圧。これより、兵舎エリアに侵入する。」

アールのその無線連絡がウィリアム達に届いた時、彼らは既に北側の橋の根本に十基のC4爆弾を仕掛け終わり、見張り達が谷に下りる時に使う、崖を削って作られた階段を登って、東側の警戒所のすぐ真下にまでやって来ていた。
「ラット・チーム、了解。こちらも侵入する。」
無線連絡を返したウィリアムは、高台の兵士の注意がこちらから逸れているのを確認すると、背後のジョシュア、クレイグ、イーノックを振り返り、目配せをして、音をたてずに一気に石削りの階段を最後まで登りきった。銃座の中で、煙草を吸ったり、雑誌を読んだりして寛いでいた三人の民族戦線兵士達が突然現れた敵に対して、合理的な判断を下して行動するよりも先に、ウィリアムとその後ろに続いたジョシュアのハイスタンダードHDM消音拳銃の銃口から放たれた.22ロングライフル弾が彼らの額を撃ち抜いた。
ぼんやり、と渓谷を包む白い霧をサーチライトで照らしていた高台の兵士は下で起こった異変に気づき、サーチライトの光をそちらに向けようとしたが、四百ワットの光が異形の侵入者を照らすよるも先に、階段の踊り場からクレイグがCCGクロスボウで放った鋼鉄製の弓矢に頭部を前から後ろに向かって貫かれ即死した。
「イーノック、監視塔に上がれ!」
周囲の敵を全て排除したのを確認し、背後のイーノックに指示を出したウィリアムは鉄条網の脇まで身を伏せて近づくと、その向こうに広がる飛行場を双眼鏡で偵察した。
三万平方メートルほどの敷地を平らにして作られただけの飛行場には、南側にUH-1が三機、北側を向いて並んで駐機し、その向こうに大型のソ連製攻撃ヘリコプターMi-24Aハインドがウィリアム達の方に機首を向けて駐機していた。飛行場の東側には、ウィリアム達が張り付いている鉄条網フェンスの近くにOH-6が二機駐機し、その向こう側にOH-58カイオワ偵察ヘリコプターが一機停まり、さらにその向こう側に今回の作戦の完全破壊目標となっているMi-6、ソ連製の大型輸送ヘリコプターが見えた。
あれが工作員の写真にあったヘリか…。
ソ連製大型ヘリコプターの横腹を双眼鏡の目でじっくりと観察したウィリアムは、今度は飛行場の北側に偵察の目を向けた。飛行場の北側は駐車施設になっており、トラックやジープなど大小の通常車両に加え、戦車らしき影も幾つか確認できた。
「戦車は潰しておかないと面倒だな……。」
双眼鏡で駐車場の方を見つめながら、ウィリアムは呟いた。
だが、ヘリコプターに爆弾を仕掛け、その上で戦車も無力化するとなると、かなり時間がかかってしまう。間に合うのか…?
そう心中に過ぎったウィリアムの不安を察するかのように、彼の脇に寄ってきたクレイグが、「車両の方は俺一人で片付けます。」と進言した。
「いけるか…?」
「時間がありません。やるしかないでしょう。」
確認したウィリアムにそう呟いて返したクレイグは単眼鏡で駐車場の方を睨み、既にどの目標にどの順番で爆弾を仕掛けるかを考えているようだった。彼一人に駐車場の制圧を任せるのは荷が重すぎるような気もしたが、ウィリアムに迷う時間は与えられていなかった。
「分かった。車両の方は任せた。」
クレイグのかつての戦績を信じて、ウィリアムは命じた。そして、背後の高台を振り返ると、その上に登って狙撃体勢を整えているイーノックに援護するようハンドサインを出して、鉄条網のフェンスを工具で破り、敵基地の内部へと侵入したのだった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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