第一章 九話 「北へ」

文字数 2,682文字

一九七五年 二月九日

メイナードとウィリアムがフォート・ベニングを訪問してから五日後の明朝、フォートブラッグ基地の第一特殊部隊専用の屋外射撃場にはアール・ハンフリーズとトム・リー・ミンク、アーヴィング・アトキンソンの三人の姿があった。
「ふぅ…、肩の凝りがほぐれるぜ…。」
三十メートル離れた標的に向けて、ブローニング・ハイパワーを弾倉一本分、十三発撃ちきったリーはイヤーマフを外しながら、傍らで地面に伏せてストーナー63A汎用機関銃の手入れをしているアーヴィングに話しかけた。
「それにしても、大尉達。新入りを連れて、カナダまで誰に会いに行ったんだろうな…。」
スライドストップしたブローニングHPから空のマガジンを抜き、排莢口から薬室の中に銃弾がないのを確かめながら、リーが問う。
「元SEALsの隊員らしいぞ。あっちにいた時は、かなり優秀だったみたいだが…。」
二脚で地面に立て、フィードカバーを開いた機関銃の機関部にオイルを点しながら答えたアーヴィングの口調は素っ気なく、意識の集中は手入れしている銃に向いているようだった。
「だが、脱走兵なんだろ?そんなやつ、次の任務に連れていって大丈夫なのかよ?」
スライドを元に戻しながら、リーが吐露した不安の声に、アーヴィングの返答はやはり関心半ばと言う様子で答えた。
「分からんな…。」
見るからに関心のなさそうな戦友の答えに満足できず、その後も何か一人でぼやいていたリーの横で、機銃のフィードカバーを下ろし、チャージングハンドルを引いて、薬室に初弾を装填したアーヴィングは初めてリーの方を振り返って、真剣な様子で口を開いたが、それは戦友の不安に応える言葉ではなかった。
「おい、撃つぞ!耳塞いどけ!」
急いでイヤーマフを着け直したリーだったが、標的を見つめつつも、まだ彼は一人でぼやいていた。
「こりゃ…、大変なことになるぞ…。」
次の瞬間、地面に二脚で立てられたストーナー63Aがフルオートで七.六二ミリNATO弾を吹き散らし、機銃掃射の銃声がリーのぼやき声を完全に消し去ったのであった。
伏射で機関銃を掃射するアーヴィングとその傍らで膝立ちのリーの後ろ姿をぼんやりと見つめながら、折り畳み式のパイプ席に座って、Mk22 Mod0 "ハッシュパピー"を分解整備していたアールは二人の会話を聞いて、視線を太陽の照る青空へと向け、数日前、訓練の後に自分が部隊長に言った言葉を思い出していた。
「私のことは気にされなくて、大丈夫です。大尉は部隊の安全を第一に考えてください。」
その言葉にウィリアムは静かに頷いただけだったが、あの時に既に彼はあの男に会いに行くことを決断していたのだろう。
なぜ、あんなことを言ってしまったのか…。
再び、手元のMk22に視線を戻して、清掃作業を再開し始めたアールは、かつてその拳銃を手にクレイグ・マッケンジーとともにカンボジアの国境地帯で戦っていた日々を思い出していた。その胸の内には、再びその男と出会うことに対する迷いが渦巻いていた。

その同時刻、ウィリアム・R・カークスはイエローナイフ行きのカナディアン・ナショナル鉄道に乗って、テネシー州の喉かな森林地帯の光景が窓の外を流れていくのを、客室の壁に取り付けられたベッドに腰掛け、物思いにふける様子で眺めていた。
先天的戦闘スキル…、一人が一個歩兵中隊の戦闘力に相当…、だが、その能力を持つクレイグ・マッケンジーは脱走兵となり、今はカナダの山林に潜んで人知れず生活している…。
「急ぎの任務なら、なぜ航空機を使われなかったのですか?」
客室中央に据え置かれた机を挟んで、反対側の壁に取り付けられたベッドにウィリアムと向き合うようにして座っているイーノックが尋ねてくる。その表情にはどこか不機嫌な様子があったが、それも当然であった。彼の場合、部隊名も知らせずに一方的に原隊にやって来た士官にスカウトされ、その翌日には有無を言わせず、四百九十マイルも離れた部隊本部に出頭するよう言われたのだから。
あらかじめ、「出張任務」というテンプレートの言い訳をこちらが用意していたとはいえ、彼の両親、そして特に彼が交際しているガールフレンドが、あまりにも突然すぎる出張の理由をかなり問いただしてきたらしい。たしかに、機密として詳細な理由もつけずに恋人が遠く離れた任地に赴いてしまったら、誰でも心配になるだろう。
そして、そんな猛追撃をなんとか振り切って、強行軍でフォートブラッグに出頭した彼を待っていたのは歓迎会でも労いでもなく、三日間に渡る"ゴースト"の隊員達との厳しい訓練とイアン・バトラー先任曹長による昼夜を問わぬ狙撃訓練だった。
そんな五日間の疲れが溜まりきっているいうのに、半ば強引な形で今度はカナダに同行することを命じられれば、誰でも少しは機嫌を悪くしてしまうのは仕方がなかった。その上、より早い航空機ではなく、大陸鉄道を使って行くというのだから、イーノックが憤るのも当然である。
だが、あの男と会うまでに、自分にはまだ色々と考える時間が必要だ…。
ウィリアムは新任の部下の恨みを買ってでも、鉄道で行く道を選んだ。
「君の入隊祝いに、私からのプレゼントだと思ってくれ。」
適当にごまかそうとしたウィリアムに、イーノックは若干ふてくされた様子で答える。
「それでしたら、ファーストクラスを取って下されば良かったのですがね…。」
少し生意気な態度の部下に、ふっ、と鼻を鳴らして微笑んだウィリアムは、再び窓の外の景色に目を移した。
クレイグ・マッケンジー…、一体どういった人間なんだ…。
ウィリアムは数日前にメイナードから渡されたクレイグに関する資料の内容を頭の中で反芻した。
記録は七年前、彼が脱走兵となる前までで止まっており、加えて彼の幼少期、生まれに関しては全く情報がない。彼の人格を知るには情報が少な過ぎだ。
だが、一つだけわかることがある。彼もあの戦争で心に大きな傷を負ったということだ。そして、今も大きな闇を心の中に隠し持っている。ウィリアム自身がそうであるように。
メイナードが言っていたように次の作戦を無事に遂行するためには、クレイグ・マッケンジー…、彼の力が必要だ。だが、自分のような戦場の中で汚れ過ぎた人間に彼を説得することは恐らくできないだろう…。だから、ウィリアムはイーノックを連れてきたのだった。彼の力が、彼の存在があれば、あるいは説得できるかもしれない…。
私服に身を包んだ二人の特殊部隊員を乗せて、大陸横断鉄道はテネシー州の深い森の中をカナダ・イエローナイフ に向かって走っていった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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