第三章 三話 「回収地点変更」

文字数 2,305文字

最初の無線交信から五時間が経過し、一時間ごとの定時無線連絡と休憩を取りつつ、トンレ・スレイポック川沿いに前進を続けていたウィリアム達は慣れない行軍で疲れているユーリに合わせて前進速度を落としたものの、既に回収地点から一キロほどの地点にまで辿り着いていた。軍事顧問団基地に向かっていた時と同様、リーとクレイグの二人を前衛につける隊形を取った分隊は今、ジャングルに包まれた川沿いの斜面を右側にトンレ・スレイポック川を、左側に山の尾根を見上げる位置について歩いていたが、その隊形の右翼についていたアールは腰に構えたストーナー63LMG軽機関銃の銃口を巡らせながら、深いジャングルに包まれた周囲を窺い、
「嫌な予感がするな…。」
と独り言ちた。敵の姿はおろか気配や痕跡すらない、まるで原始時代の姿そのままのジャングルだったが、逆にその静けさが自分達を油断させるために作られたもののような気がして、不安を感じるアールだったが、嫌な予感を感じているのは彼だけではなく、隊形の中央に無線兵のジョシュアとともにつくウィリアムも、周囲を包む静寂に得体の知れない胸騒ぎと不安を感じていた。
すぐ国境沿いのダクラク省を墜とすために、カンボジア側では解放民族戦線が集結、準備しているはずなのに、その姿や気配すらない。落ち着ける平穏のはずなのに、不自然なそのあり方に、警戒心をより高められたウィリアムが、「全員、周囲への警戒を怠るな。」と隊内無線に叱咤しようとしたところで、「大尉、前進を止めてください。」といったクレイグの鋭い声が無線から骨伝導イヤホンを通して分隊全員の鼓膜を震わせた。
やはり何かあったか…。
嫌な予感が的中したことを悟ったウィリアムはクレイグの声が聞こえると同時に、その場で停止し、ハンドサインで周囲の部下達にも停止を命じつつ、ゆっくりと身を伏せて隊内無線を開いた。
「どうした…。」
数秒間、周囲を確認した後、無線の向こうの部下に問うたウィリアムにクレイグの返答が返ってきた。
「前方に多数の気配を感じます。」
低く真剣なクレイグの声に、
「また、動物なんじゃねぇだろうな…。」
とリーの苛立った声が寸分置かずして、無線に入ってきたが、クレイグは頑なに自分の感覚の正しさを主張した。
「いや、これは人間の気配だ。それも五十人以上…、火薬や金属の匂いも感じる…。」
「あんたの第六感はレーダーかよ…。敵なんか何処にも…。」
「リー、黙れ!」
無線に毒づくリーの声を遮ったウィリアムは新しく展開し始めた状況を目の前にして、対応の命令を部下達に出した。
「リー、アーヴィング、イーノック!前方二百メートルまで偵察に出るんだ。残りはここで待機する。」
敵の姿も気配もないにも関わらず、斥候の任を与えられたリーは、「マジかよ…。」と憂鬱そうに呟いたが、それがクレイグの指示ではなく、ウィリアムの命令だったので大人しく従った。斥候に指名された三人が偵察の準備を始める間に、背後を振り返ったウィリアムは要回収目標であるユーリに身を屈ませると、ジョシュアにも指示を出した。
「本部との無線を開け…。回収地点を変更することになるかもしれない…。」
ジョシュアが背負っていたAN/PRC-77野外無線機を下ろし、基地本部との回線を開くのを確認したウィリアムは決してそうなって欲しくはないが、クレイグの"感"が正しかった時に、取るべき代替選択肢を考え始めていた。
「イーノック、急げ!行くぞ!」
偵察行動の準備を完了したリーがイーノックを急かし、三人が斥候に出る中で、亜熱帯の陽光がジャングルの木々の上から照りつけていた。

回収予定時間が迫り、緊張感の高まる中、ブラボー分隊から届いた定時外の無線連絡は指揮室に居る隊員達の緊張感をより一層高めた。
「そうか…、では、回収地点を当初の予定から一キロ手前に設定し直し、南ベトナム海軍の哨戒艇にも伝えておく。交信終わり。」
通信オペレーターから受け取った無線機に、そう告げて交信を終えたメイナードは今度は別のオペレーターの方を向いて、「ピア・ワンに作戦の変更を伝えるんだ。」と指令を出した。
命令を与えられたオペレーターが南ベトナム軍との仲介をなしているピア・ワンとの無線交信を開き始める一方で、サンダースは無線の交信機を置いたメイナードに詰め寄った。
「何事ですか?大佐。」
「ブラボー分隊が回収地点の直前で敵の気配を感じ取ったらしい。今、リコン(偵察班)を出して、正確な状況を確認中のようだが、念の為に回収地点を一キロ手前に変更することにした。」
真剣に問う部下の顔は見ず、代わりに壁の電子地図を見つめたままのメイナードは無表情で答えた。
「気配…、ですか…。」
敵の姿を見つけた訳でもないのに、回収地点を変更した理由をサンダースは、いまいち理解できなかったが、クレイグ・マッケンジーに関する資料を全て読んだメイナードには無線の向こうのウィリアムが抱いている懸念は十分に想像でき、回収地点変更はそれが故の判断だった。
「君達もいざという時のために、すぐ出撃できるように準備しておいてくれ。」
メイナードがサンダースに指令を出すと同時に、指揮室の中に警告音が響き渡り、LED光点の集合で作戦地域一帯を再現した電子地図の上で回収予定地点を示していた赤色ライトが消え、代わりに一キロ西方のポイントに同じ赤色の光点が現れた。
「アパッチは出せんかもしれんそうですが…。」
作戦変更に伴い、回収地点の表示も変更された電光表示の地図を見つめながら、サンダースは独り言のように毒づいたが、メイナードの返答は、「ならば、その分を君達が埋めるしかない。」の一言だけだった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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