第三章 十三話 「喪失」
文字数 4,675文字
ウィリアムは敵に向かって突っ込んで行こうとするイーノックの腕を掴んで引き戻しながら叫んだが、その声はイーノックの耳には聞こえていないようだった。
「先任曹長が…。バトラー曹長が…。」
ウィリアムの肩越しに前線の方を呆然と見つめて繰り返すイーノックの視線の先を追い、振り返ったウィリアムは部下の言葉の意味を理解した。二十メートルほど離れた場所で、イアン・バトラーが、すぐ目の前に接近してきた民族戦線兵士達に対して、M21スナイパーライフルを単発射撃していた。しかし、彼に向かって、自動小銃をフルオートで乱射しながら突撃してくる民族戦線兵士の数は三十人以上居り、加えて死をも恐れず、全速力で突っ込んでくるそれらの敵、全員をセミオートのライフル一挺で押さえるのは困難だった。
追い詰められる部下の姿を確認したウィリアムは数メートル横で熱帯樹の後ろに隠れて、ストーナーLMGを掃射しているアールと目を合わすと、副官が小さく頷いたのを確認すると同時に、イーノックの肩を叩いて叫んだ。
「俺が行く。援護しろ!」
その怒声とともに前線の方を振り返り、M16を抱き抱えた状態で藪の中に飛び込んだウィリアムは、背後でアールとイーノックが援護の火線を張る中、流れ弾があちこちで突き刺さる地面の上を匍匐前進で進んだ。
次から次へと仲間の死体を乗り越えて突撃してくる敵にイアンは一人につき一発の銃弾で致命傷を与え、攻撃が緩んだ隙に後方へと退がろうとしていたが、敵の数が想像以上に多かったため、彼は後退するタイミングを見つけられないまま、その場で釘付けにされていた。
AK-47を撃ち散らしながら突っ込んでくる民族戦線兵士を撃ち倒すと、その後ろから今度はRPD軽機関銃を乱射してくる別の兵士が現れ、その兵士の頭に向かって、M21スナイパーライフルを発砲した瞬間にはその数メートル脇の藪から、更に別の民族戦線兵士がPPSh-41短機関銃を乱射しながら飛び出してくる。短機関銃を乱射しながら数メートルの距離に近づいた民族戦線兵士にもM21を撃ちこんで無力化したイアンだったが、同時に乱射された七.六二ミリ・トカレフ弾の一発が彼の右肩を貫通した。
マン・ストッピングパワーの大きい七.六二ミリ弾の直撃を食らい、痛みとともに襲ってきた衝撃に体勢を後ろに崩されそうになりつつも、即座に狙撃銃を構えて、応戦を再開したイアンだったが、彼の身体機能には明らかに限界が迫っていた。次から次へと突撃してくる敵に対して、確実に致命傷を撃ち込む余裕はすでになく、一発撃つ度に引き金を引き直す必要のあるセミオート式ライフルのトリガーに描けられた右手の人差し指は感覚が麻痺し始めたのに加え、度重なる疲労で小さく痙攣し、時々硬直しては、発砲の瞬間に照準がずれる原因となっていた。終わりの見えない戦闘に徐々に追い詰められていくイアンの前で、致命傷を免れた民族戦線兵士達は這ってでも彼の元に突撃してくる。その様子は宛ら恐怖映画のゾンビのようであった。そんな死をも恐れない敵に向かって単連射したM21のマガジンは空になったが、休みなく迫る敵を前にして弾倉を交換する暇など無く、イアンは右腰のホルスターからブローニング・ハイパワーを引き抜き、迫ってくる敵兵士達に向かって、右から左へと流れるように連射した、その瞬間だった。視界の右隅で藪が不自然に蠢き、反射的にブローニング・ハイパワーをそちらに向けて構えたイアンの目の前で茂みが割れ、SKSカービンを抱えた青年の兵士が飛び出してきた。僅か三メートルほどの距離でイアンと目があった青年兵は驚きに目を見開き、SKSカービンを構えようとしたが、それよりも先にブローニング・ハイパワーの銃口からマズルフラッシュとともに九ミリ弾が放たれた。スチール製のスライドが後退し、発射薬から生じた燃焼ガスの圧力によって高速で押し出された九ミリ・パラベラム弾は螺旋状に回転しながら、熱帯の空気の中を飛翔し、驚嘆した顔のままの青年の肩に突き刺さった。悲鳴をあげて倒れた青年兵士に更に二発の九ミリ弾を叩き込んだイアンだったが、次の瞬間、その右上腕を別の銃弾が直撃し、鮮血が吹き出ると同時にブローニング・ハイパワーが彼の拳の中から転がり落ちた。イアンが痛みに呻きながら、歪めた顔を銃弾の飛翔してきた方に向けると、彼が先程、狙撃銃で心臓を撃ち抜いた民族戦線兵士が数メートルほど離れた地面に仰向けに倒れた状態で、腹の下に抱えたPPSh-41の銃口をイアンの方に向けていた。
避けられない死を覚悟し、せめてもの道連れにイアンを葬り去ろうとした民族戦線兵士は口から血を流した顔に不気味な笑みを浮かべながら、今度はイアンの頭に向けて、PPSh-41の狙いをつけ、引き金を引こうとしたが、その短機関銃が火を吹くよりも先に、痛みを堪えながら腰の後ろに回した左手でイアンが引き抜いたワルサーPPKが.三二ACP弾を発射し、地面から顔を上げて、イアンを睨んでいた男の額に小さな風穴を開けた。PPSh-41の引き金を引ききる直前で小口径弾が頭に突き刺さって即死した民族戦線兵士の死体の向こうから、更に突撃してきた二人の敵兵士達に向かってワルサーPPKを連射したイアンは、今度は左側の藪からAK-47を構えた兵士が飛び出して来たのを視界の隅に捉えると、身を翻し、地面の上を転がって、数メートルの距離で発砲されたAK-47の銃撃を回避した。回避に続いてワルサーPPKを構えて発砲したイアンは最初の一発目を民族戦線兵士の左膝に当て、膝まずいた兵士の左胸に、更にもう一発の.三二ACP弾を撃ち込んで絶命させたが、その後ろからもAK-47を乱射しながら別の民族戦線兵士が突っ込んできて、乱射された銃弾の一発がイアンの左腰を貫通し、その勢いで後ろに押し倒されたイアンはワルサーPPKの引き金をスライドがホールドオープンするまで引き切った。
ワルサーPPKのマガジンに残っていた最後の弾丸が心臓をえぐり、血反吐を吐きながら倒れた民族戦線兵士だったが、さらにその後ろからもKar98kボルトアクションライフルを構えた兵士が飛び出してきた。手元の小型拳銃は既に弾切れになり、イアンに対抗する術はない。それを察知していたのか、狙いを外さぬよう至近距離でゆっくりとイアンの頭に照準を着けた民族戦線兵士は構えたKar98kの引き金を引いた。イアンから見たその瞬間は、まるでスローモーションだった。視界の周囲で全てのものがゆっくりと動き、兵士の指がKar98kの引き金を引き切って、ボルトアクションライフルの撃鉄が落ちようとした瞬間、イアンの背後から飛翔してきた五.五六ミリNATO弾が民族戦線兵士の頭に突き刺さり、発射の瞬間に照準のずれたボルトアクションライフルの弾はイアンの顔のすぐ脇を擦過して地面の上を跳ねた。
「イアン、退け!カバーする!」
何が起こったか分からず、硬直するイアンに描けられた叫び声とともに、彼の後方数メートルの茂みの陰からM16A1を構えたウィリアムが姿を表し、サプレッサーのくぐもった銃声とともに発射された二発の小銃弾がイアンの目の前まで突撃してきた二人の民族戦線兵士を立て続けに撃ち倒した。
「ついてこい!引くぞ!」
そう叫び、敵に対してM16A1をセミオートで発砲しながらウィリアムが後退を始めたのと同時に、彼の後方数十メートルの位置に控えていたイーノックのマークスマンライフルとアールのストーナー63LMG軽機関銃も同時に火を吹き、イアンに近づこうとする民族戦線兵士達に向かって、牽制の火線を張った。
ウィリアムの後を追い、姿勢を低くしたイアンは動かない右手の代わりに口でスライドをくわえたワルサーPPKのグリップに左手で新しい弾倉を装填すると後方へと向かって匍匐前進で進んだ。伏せた体のすぐ脇に流れ弾の銃弾が突き刺さる地面の上を二分ほど這って進んだところで、二人の十メートルほど前方に、援護してくれているイーノックとアールの銃が発するマズルフラッシュの閃光が見えた。
あと少しで合流できる…。
そう微かな安堵を抱いた刹那、背後に気配を感じたイアンは体を振り向けて後ろを確認した。イアンの数メートル後ろ、熱帯樹の陰から民族戦線兵士が半身を出して、五六式自動小銃を構えているのに彼が気づくのに時間はかからなかった。一瞬、自分に銃口を向けられていると思ったイアンの胸の中で衝撃が電撃の如く走ったが、民族戦線兵士の手に抱えられた五六式小銃の照準は彼の頭より上を狙っていた。兵士の狙いはイアンではなく、彼の前方を匍匐前進で進むウィリアムの背中だった。それに気づいた瞬間、藪の中から体を起こしたイアンはワルサーPPKを男に向かって発砲した。
四発の.三二ACP弾が銃声とともに吐き出され、突然現れたイアンに五六式小銃を向けようとした民族戦線兵士の顔面に小口径の拳銃弾が集中した。その銃声で接近してきていた敵の存在に気づいたアールとイーノックは身近な木々にも銃弾を撃ち込み、その後ろに隠れていた民族戦線兵士達をあぶり出し、逃げる背中に止めの弾丸を撃ち込んだ。アール達と同時に伏兵の存在に気がついたウィリアムも地面にうつ伏せの状態で背後を振り返ると、その視線の先には、隠れていた伏兵達に膝撃ちの姿勢でワルサーPPKを発砲するイアンの姿があったが、次の瞬間、その背中を突き破って、ライフル弾が飛び出し、血飛沫がウィリアムの顔にまで飛び散った。
その弾丸が発射されたのは、ウィリアムとイアンの位置から百二十メートルほど離れた茂みの中、擬装を施されたモシン・ナガンM1891/30狙撃銃からの狙撃だった。一発目の狙撃を成功させた民族戦線のスナイパーは迅速なボルトコッキングで次弾を薬室に装填した後、硬直したイアンの体に向けて、二射目の引き金を引いた。遠距離から飛翔し、右胸の上部を貫通した七.六二ミリ狙撃弾の運動エネルギーに押されるまま、イアンの体は後ろに倒れた。倒れたまま、力無く動かないイアンを見つめ、一瞬の間、動きの固まったウィリアムの頭にモシン・ナガンの照準をつけた民族戦線の狙撃手はスコープの中に捉えた次の標的に対して、引き金を引こうとしたが、それよりも先にイーノックのHK33から放たれたカウンター・スナイプの銃弾が狙撃手の頭を吹き飛ばして無力化した。
目の前で倒れて全く動かない長年の戦友の姿に、数秒の間、何も考えられずに硬直してしまっていたウィリアムだったが、
「大尉!逃げて!」
と後方から聞こえてきたイーノックの叫び声に意識を引き戻され、波状攻撃をかけながら突撃してくる民族戦線兵士達に向かって、M16を弾切れになるまで発砲した。
「後退!後退だ!」
アサルトライフルの最後の弾倉が空になると同時に怒声をあげ、後方に向かって走り出したウィリアムの背後をAK-47や五六式小銃から放たれた大量の銃弾が追いかけ、最後にはB-40ロケットランチャーの弾頭までもが飛翔してきて、成形炸薬弾の爆発がウィリアムのすぐ傍らの地面を巻き上げたが、爆発の衝撃波で姿勢を崩しそうになりながらも走り続けたウィリアムは、イーノックとアールが形成する最終防衛ラインを越えると、仲間を失った痛みを噛みしめながら開いた隊内無線に叫んだ。
「一気に川岸へと退くぞ!リー、先に行って発煙弾を炊け!ブラックホークに回収地点を知らせるんだ!」