第二章 三十話 「終焉」
文字数 2,112文字
そして、緊張と沈黙の中、ゆっくりと、だが正確に規則正しく動いていた秒針の針がついに十二を指し、司令室の全員が待っていた"その時"が来た瞬間、航空管制オペレーターの声が沈黙を破った。
「定刻になりました。ブラボー分隊が作戦を完了する時間です。」
その声と同時に、司令室の全員の視線がメイナードの方を向く。彼は相変わらず、腕を組んで沈黙したままだった。
「エフワンは待機空域にて、スタンバイしています。」
無線は封じているため、ブラボー分隊が本当に現場を離脱できているかどうかは分からない。もし、ブラボー分隊が離脱できていなければ、回収目標もろとも味方を爆撃することになる…。決断の責任は重いものだった。
数秒の沈黙の後、ゆっくりと目を開いたメイナードは視線の先の壁に取り付けられていた電子板を睨んで、静かに命令を下した。
「それでは、始めよう…。」
大きくはないが、はっきりとした声で発せられたメイナードの指令とともに各管制官達は各々の仕事に取りかかり始めた。
「ピア・ワン、ピア・ワン。こちら、コマンダー。エフワンに予定通り、作戦を開始させよ。」
「こちら、ピア・ワン。コマンダー、了解。作戦予定通り、エフワンに敵基地を爆撃させる。」
無線の向こうから聞こえてくる部下達のやり取りを聞きながら、メイナードは再び静かに目を閉じて、静寂の中に戻った。
自分達が何をさせられようとしているのかは分からない。だが、組織は腐敗し続け、アメリカ撤退後は北ベトナムに負け続けている自分達に突如として、異質な任務が与えられたということだけは「エフワン」のコードを与えられた、ベトナム共和国空軍所属のF-5Aのベトナム人パイロット達にも分かっていた。
わざわざカンボジアの国境を越えて、軍事顧問団基地を爆撃する…。敵支配領域の奥地で、それも対空兵器の防御が固い軍事顧問団を爆撃する、という自殺行為に近い命令を数時間前に与えられ、動揺したパイロット達だったが、家族全員のアメリカへの亡命と新たな国籍の取得を見返りに約束されたことで彼らは任務についた。危険ではあるが、近いうち確実に滅びるこの国に居ても、それは同じこと…。そう思って、この任務に臨んだパイロット達だったが、どういうわけか敵支配領域を数十キロも横断しても攻撃の類いは一切受けず、拍子抜けしていたところに「ピア・ワン」からの命令を受けて、爆撃目標の上空に達した時には既に壊滅状態にあった敵基地の様子を見て、爆撃手は驚きの余り、もう少しで爆弾の投下を忘れるところだった。
敵基地の上空を飛び去るのは一瞬のことで、何の抵抗も受けなかった二機のF-5Aのパイロット達は自分達の投下したナパーム爆弾の炎に包まれる基地をコクピットから見つめながら、奇妙な感覚を感じていたが、その感覚も最後の任務をやり遂げた達成感とこれからアメリカで待つ新たな生活への期待感によって、一瞬の内に彼らの胸の中から消し去られるのであったが…。
突然の敵の襲撃に基地の設備と人員の殆どを失った軍事顧問団基地では、周辺の基地から救援に来た解放戦線兵士達の応援を受けて、何とか基地復旧の準備を進めようとしていた。そんな中で管制棟のコントロールタワーを破壊され、対空レーダーの目を失った彼らが南西の方角から超低空飛行で接近してくるニ機のF-5A戦闘爆撃機の存在に気づいたのは、山の斜面に反射したターボジェットエンジンの爆音が聞こえてきた時だった。破壊されずに生き残っていた機銃陣地のZSU-23-2連装対空機関砲がエンジン音の聞こえてくる方角に向けて、砲口を向け始めた時には兵士達の頭上五十メートルほどの低空を二機の戦闘爆撃機が機体両翼のハードポイントに装着した爆弾をばら撒きながら飛び去るところだった。抵抗といえば、AK-47を撃つことくらいしかできなかった民族戦線兵士達の頭上に十基のMk.82無誘導爆弾が降り注ぎ、広さ十五万平方メートルの軍事顧問団基地は地を震わすような爆発音とともに一瞬にして、全体が炎に包まれた。
南側からジャングルの中に飛び込んで身を隠した後、仕掛けられた地雷を避けつつ、西へと退避し、別行動のイアンとも合流したブラボー分隊の隊員達にもジャングルの木々の向こう側で高く燃え上がった爆発の炎は見えていた。ジェットエンジンの音に続いて起こった爆発に一瞬、背後を振り返った彼らだったが、それが予定通りの爆撃が遂行されただけだということを理解すると、すぐに意識を周囲の警戒に向け直した。夜の闇を赤く染めるナパームの炎を背後にして、暗視ゴーグルを装着した八人の隊員達は回収目標を連れ、脱出地点に向かって、闇に包まれたジャングルの中を東の方角へと、南ベトナムとの国境に向かって前進していた。