第五章 八話 「激戦のジャングル」
文字数 4,383文字
正面からの攻撃が激化してくる中、北側の防衛線を死守するウィリアムの隊内無線に響いた声は、前線から三十メートルほど後方で熱帯樹の枝に乗り、狙撃態勢についているイーノックのものだった。
部下の警告を聞いたウィリアムは傍らで敵と交戦する二人の南ベトナム陸軍兵士にハンドサインでついてくるように指示すると、激しい銃撃戦の中、前方から突撃してくる敵と撃ち合いをする他の南ベトナム軍兵士達の後ろを通って、流れ弾に当たらないように身を伏せ、物陰に身を隠しながら、部隊の左側面へと三十メートルほど移動した。
位置についたとろで背後の南ベトナム軍兵士達に身を伏せるよう指示を出したウィリアムは流れ弾に当たらないように木の陰を盾にしながら、ゆっくりと腰を上げ、背の高い象草の間から、イーノックが指示した方向を偵察した。
象草が生い茂る中、人の姿は見えないが、風の無い中で不自然になびいている茂みがある。それも一ヶ所ではなく、茂みの数カ所でこちらにゆっくりと近づいてくる不自然な揺れを見たウィリアムは敵の接近を確信した。
背後の南ベトナム陸軍兵士達にハンドサインを出し、五メートル間隔で広がるように指示を出したウィリアムは彼らが自分の左側につくのを横目で確認しながら、隊内無線を開いた。
「イーノック、私が見えているな?」
「はい。」
「接近中の敵の先頭と私との距離はどのくらいだ?」
一瞬、スコープで距離を確認した沈黙の後、「二十メートルです!」と返事が返ってきた。
二十メートル…、ならこのくらいか…。
銃身の先に乗ったラダーサイトを用いて、見えない敵への照準を即座に定めたウィリアムは抱えたM16A1を斜め上に向けて構えると、M203グレネードランチャーの引き金にかけた左手の人差し指を一気に引き込んだ。静寂のジャングルの中に突然響いた破裂音に茂みの動きが一瞬止まり、敵が警戒する雰囲気がウィリアムにも伝わってきたが、既に遅かった。二秒の沈黙の後、曲射射撃で飛翔していった四〇ミリグレネード弾はウィリアムの二十メートル先の茂みの中で身を隠していた解放民族戦線兵士の体を橙赤色の爆発が飲み込んでいった。突如として、自分達の目の前で炸裂した擲弾の爆発に動揺した一部の民族戦線兵士が茂みの中から姿を現し、そんな敵に対して、ウィリアムと二人の南ベトナム軍兵士は容赦なく、各々の銃の引き金を引いた。銃口を流れるように右から左に動かしながら、一人に対して確実に一発で仕留めるウィリアムの横で、二人のARVN兵士もM16を掃射して、逃げる敵に追い討ちをかけていた時、ウィリアムの隊内無線の回線が開いて、タン中将の声が聞こえてきた。
「大尉、君の部下が敵の本隊を見つけたようだぞ!」
間に合ってくれたか…。
敵に攻め込まれた状況だったが、その一言を聞いただけでウィリアムは一縷の希望が差し込んできたように感じられた。
「イーノック、こちらは任せた!」
隊内無線に叫んだウィリアムは残りの伏兵の殲滅は二人の南ベトナム軍兵士に任せて、無線兵の居るところまで姿勢を低くした状態で走った。
既に重迫撃砲の発射準備は整っていた。だが、ウィリアムが左側面の敵を相手にしている内に、前方から攻撃してくる敵の主力部隊は増援も加わったようで、その攻勢は勢いを増していた。激しい銃撃に加えて、B-40ロケットランチャーや八二ミリ迫撃砲弾の弾頭が周囲で炸裂する中、無線兵のところまで戻ったウィリアムは差し出された交信機を受け取った。
「こちら、ウィリアムだ!」
「大尉!見つけました!敵の司令部です!」
ウィリアムが無線に出ると同時に、興奮した様子のアールの声が聞こえてきた。
敵の指揮所を叩けるかもしれない……。
別れてから数時間しか経っていないが、ひどく懐かしく聞こえる部下の声に、ウィリアムの心の中で一縷の希望が一瞬だけ芽生えたが、味方の銃撃を掻い潜って突撃してきた民族戦線兵士の叫び声に、その希望も即座に掻き消された。無線の交信機を右手に持ったまま、左手で構えたM16A1を腰だめ撃ちの姿勢で単連射したウィリアムの十メートルほど前方で、銃剣を着剣したSKSカービンを構えた青年の民族戦線兵士が腹を突き破った数発の五.五六ミリNATO弾に血反吐を吹きながら倒れる後ろから、更に二人の民族戦線兵士がAK-47を乱射しながら突っ込んでくる。無線の交信機を放り捨てたウィリアムは今度はM16A1をしっかりと構えると、迫ってくる二人の民族戦線兵士の頭部に向けて、一発ずつ引き金を引いた。頭に銃弾をくらった二人が倒れ、その後ろから来る敵がいないことを確かめたウィリアムだったが、その十メートル真横に今度はB-40ロケットランチャーの弾頭が飛来してきて炸裂した。
「早急に位置を教えてくれ!こちらは、もう今のラインを保つのも限界だ!」
ロケット弾の爆発がすぐ真横で巻き上げた土砂を全身に浴びながら、ウィリアムは拾いあげた無線機の交信機に叫んだ。無線機から聞こえてくる銃声と爆発音を聞いて、ウィリアム達の窮地を察したのか、アールの声の気配が変わる。
「待ってください!位置を今…、遺跡の中心部から北の方向に距離は六.五キロの地点です!」
遺跡から北の方角となれば、距離的にはウィリアム達の防衛線が一番近い。六.五キロなら重迫撃砲の射程でギリギリ届く範囲だ。しかも遺跡の中心部からは僅かとはいえ前進した位置にいるので、射程は問題ないだろう…。ウィリアムは迫ってくる敵にM16A1を撃ちながら、無線兵とともに重迫撃砲が発射態勢を整えている位置まで走ると、一〇七ミリ迫撃砲の傍らで発射準備を整えている兵士にアールから聞いた座標を伝えた。
地面の上に広げた地図で既に現在位置を把握していた四人の南ベトナム陸軍砲兵は重迫撃砲の発射角度を素早く調節すると、一発目の砲弾を取り出し、迫撃砲の砲口の前に構えると同時に、最後の確認を求める目をウィリアムに向けてきた。
「Ok!Go!」
ウィリアムが攻撃開始の指示を伝えると同時に、迫撃砲弾を構えていた二人の兵士がそれぞれの迫撃砲の中に砲弾を投げ込み、ウィリアム達が耳を塞いだ次の瞬間、榴弾砲のそれより小さいが、グレーネード弾の発射音よりは明らかに大きく太い発射音とともに迫撃砲弾が白煙とともに砲口より飛び出した。反動で砲身が後方下部にスライドした一〇七ミリ迫撃砲を背にジャングルの木々を飛び越えた二発の砲弾は敵の指揮所へと目掛けて、曲射射撃で飛翔していった。
「次弾、発射準備!座標はX-3、Y-10!」
アールからの観測指示を頼りに次の攻撃地点に向けて、砲兵達が迫撃砲の発射角度を調整し始めたのを確かめ、傍らの南ベトナム軍兵士に他の班から迫撃砲弾を取ってくるように伝えたウィリアムは無線兵に迫撃砲の側にいて、アール達からの観測指示を砲兵達に伝えろ、と命じると、M16A1を手に持って、前線へと戻った。
前線の左手から接近してきていた伏兵はウィリアムと二人のARVN兵士の迎撃により壊滅したが、前方の敵主力部隊は後方からの援護も得て、ウィリアムの居ない内に数も勢いも増していた。前線では既に五人の南ベトナム陸軍兵士が敵の銃弾に当たり、戦死か戦闘不能の状態に陥っていた。
だが、迫撃砲が敵陣地を完全に叩き潰す間では、ここを通す訳にはいかない…!
ウィリアムは姿勢を低くして銃撃を避けつつ、M16A1を敵に向かって撃ちながら、迫撃砲から十数メートル前方の木の陰に移動して、身を伏せた。移動を完了すると同時に、残弾が二発になった弾倉を捨て、新しい弾倉をM16に装填し、木の陰から身を乗り出して、敵に反撃の射撃を撃とうとしたウィリアムはその瞬間、何かが空を切る鋭い音が近づいてくるのを一瞬の間であったが聴覚で感知して、危機本能の従うままに地面に身を伏せた。それと同時に発射用推進薬の推力を得たB-40ロケットランチャーの弾頭がウィリアムのすぐ脇を飛び越し、彼の十メートル右後方の木の根本に直撃すると、巨大な熱帯樹をその後ろに隠れていた南ベトナム軍兵士もろともHEAT弾の炸裂で吹き飛ばした。さらに二発目のB-40ロケット弾が間髪をおかずに飛翔してくると、今度はウィリアムが身を隠す木のの数メートル手前の地面に直撃して炸裂する。
二発目のRPGの爆発が収まったと同時にM16A1を木の陰から構え直したウィリアムは十メートルほど前方に十人余りの敵が迫ってくるのを硝煙の向こうに見て、舌打ちをついた。
まずい…!
ウィリアムは右から左へとM16の銃口を走らせながら、セミオートに設定した引き金を連続で引いた。焦りを感じつつも、冷静な速射に八人の民族戦線兵士が撃ち倒されたが、三人がその射撃を掻い潜って突っ込んで来た。その内の二人はウィリアムを援護する南ベトナム軍兵士の銃撃で倒れ、最後に残った一人もウィリアムの銃弾を右肩に一発受けて、手にしていた五六式小銃を落としたが、戦闘服の胸元に括り付けていたF1手榴弾を左手でもぎ取ると、そのまま片手で安全ピンも引き抜いて突撃してきた。もう目の前、五メートルに迫った民族戦線兵士の両腕にウィリアムは即座にM16から撃ち出した五.五六ミリ弾を命中させ、手榴弾の投擲を阻止したが、鬼の形相を浮かべた中年の民族戦線兵士は血反吐とともに叫び声をあげて、最期の突撃をかけてきた。
特攻…!
痺れて感覚がなくなりそうな指に力をいれて、ウィリアムは再び引き金を引いたが、銃弾は発射されなかった。
弾切れ…。
即座にM16から離した右手をコルト・ガバメントを収めた右腿のホルスターに伸ばしたが、すでに敵の兵士は三メートルほどの眼前に迫っていた。
間に合わない…ッ!
表情の仔細すら分かるほど接近した民族戦線兵士にウィリアムが焦燥を感じたと同時に、弾丸が空を切る飛翔音がウィリアムの耳の直ぐ側で響き、次の瞬間、ウィリアム達に自爆攻撃を仕掛けようとしていた民族戦線兵士の額に丸穴が空いた。それがイーノックの狙撃による援護だということを悟るよりも早く、ウィリアムは木の陰に身を伏せた。次の瞬間、民族戦線兵士が戦闘服に括り付けていた五発の破片手榴弾が轟音とともに炸裂した。
「Fuck…!」
身を預けた大木の裏側から伝わってきた衝撃波を背中で感じながら、ウィリアムはM16に新しい弾倉を装填した。その頭上には先程の手榴弾の爆発が巻き上げた土屑が民族戦線兵士の肉片とともに降り注いでいた。
そんな激戦が繰り広げられる防衛ラインのすぐ後ろでは、リー達の防衛線から回収してきた二基を含む四基の一〇七ミリ迫撃砲がアール達の観測指示を受けて、敵指令部へと次々と砲弾を撃ち込んでいた。