第四章 十一話 「敵の内情」
文字数 2,678文字
「こっちも弾切れです!どうしますか!曹長!」
「後退しろ!全員、墜落機まで後退!」
数分前よりも一層激しさを増した敵の猛攻に加え、最後の砦となっていた汎用機関銃も弾切れになり、生き残りも僅か数人となった空挺隊員達は曹長の命令の下、迫撃砲弾やロケット弾の降り注ぐ戦場の中を円陣隊形を組んで、各々の個人携帯火器を掃射しながら、雪の上に横たわるB-36の方へと後退していた。そんな激戦の中、敵も積荷の内容を既に知っているのか、空から降り注いでくる砲弾も吹雪を突き破って襲いかかってくる銃弾も墜落機には一発も命中していないことに気づいた曹長は敵からしても傷つけたくないと思われる爆撃機を盾にするという最後の抵抗策に出て部下達を後ろに退かせたのだったが、それでも十人足らずの兵力で数百人の敵に対して防戦し続けるのは明らかに無謀だった。
本当にうまくいっているのか…?
突撃してくる敵にトンプソンを掃射しながら、後ろを振り返った曹長は背後に横たわるB-36の残骸を一瞥してそう思ったが、その機内でメイナードとリロイが敵の進撃を止めるために実行している秘策について想像する余裕は彼には無かった。
「我々と交戦中の朝鮮人民軍部隊、聞こえるか?休戦を打診したい。我々は重要な新兵器を手にしている。その威力は一撃で貴官らの部隊とその周辺の地形さえも消滅させることができるものだ。繰り返す、応答されたし。三分以内に応答のない場合、我々はその新兵器を使用して貴官達とともに自決する所存である。」
前線の後方、交戦地帯よりも三〇〇メートルほど山を下った前線指揮所で、敵殲滅の総仕上げと作戦終了後の墜落機からの重要資料回収の方法に関して論議していた朝鮮人民軍の指揮官達は傍らの無線から流れてきた、敵のものと思われる声に驚いて顔を見合わせた。
「繰り返す。我々は貴官らを一撃で消滅させることのできる強力な兵器を所有している。三分以内に応答がない場合、我々はこの兵器を起爆せざるを得ない。」
中国語の音声に続いて流れる、流暢な朝鮮語の声を聞いた人民軍指揮官達は正体不明の音声を流す無線機に釘付けになった。
「敵からか?」
「恐らくはそうです。」
無線の傍らにつく技官の答えを聞いた総指揮官の少佐は無線の向こうから聞こえてくる声に沈思した。
「墜落した敵機は爆撃機だったな?」
「ええ…、総積載量一四万ポンドの超大型爆撃機です。」
墜落した爆撃機…、一瞬で広範囲を破壊する兵器が手元にあると宣言する無線の声…、その二つが意味する最悪の可能性を想像した朝鮮人民軍の指揮官は無線に手を伸ばそうとしたが、その行動を彼の隣に立っていた男の声が制した。
「苦し紛れの虚言です。相手にすることはありません、少佐…。」
起伏のない顔をした中背の男…、中華人民共和国の軍服に見を包んだ男が発した、助言というよりは半ば命令に近い口調の言葉に人民軍の少佐は動きを止めた。
「墜落した敵機に載っているのは、国連軍の機密作戦の資料だと仰っしゃりましたが、本当ですか?」
訝しむ表情で男の方を見返した人民軍の少佐に対して、中国人軍事顧問はあくまで無表情のまま返答した。
「党本部の調査に誤りはありません。」
「だが、墜落した敵機のことも最初は輸送機だと言っていた。」
素早く反論した少佐の鋭い目を逸した中国人の男はそれでも表情は変えずに返答した。
「多少の誤差はあります。」
「誤差なんかじゃない…、十分に大きな間違いだ。」
面の皮が厚い軍事顧問の顔を睨み、毒づいた人民軍の総指揮官は再び無線に手を伸ばしたが、中国人の男は静かに、しかし確かな敵意の籠もった声で再び、その行動を止めた。
「少佐…。もしも我軍の支援が無ければ、あなた方は国土を失っていたであろうことをお忘れなく…。」
短い言葉だったが、その重みは朝鮮人指揮官に行動を躊躇わせるのには十分過ぎるほどだった。本の数ヶ月前まで朝鮮人民軍は韓国軍とともに反撃に出た国連軍の猛攻によって、国土の殆どを喪失しており、その状態から驚異の反撃を見せて形勢を逆転することができたのは、金日成の要請と国際情勢を鑑みて戦争に参戦した中国義勇軍の圧倒的な兵力と火力、そして彼らが所有する最新のMiG-15戦闘機による制空権の奪回があったためであった。その経緯もあり、表向きはアドバイザーとして指揮系統に参加している中国人軍事顧問の立場は実質的には部隊指揮官の少佐より上位であり、その発言の持つ力は大きかった。任務が始まって以来、部隊を彼らの思うままに動かされてきた朝鮮人の少佐は軍事顧問の言葉を無視して無線を手に取りたかったが、彼のそして彼の国の立場の弱さがそれを許さなかった。高慢な中国人の男と無力な自分自身に対する怒りだけが少佐の胸中に募ったが、指揮所に飛び込んできた伝令の兵士の張り詰めた声がテントの中に響いたのはその瞬間だった。
「敵が墜落機の中に隠れました!墜落機は絶対に攻撃するなとの御命令でしたので、我々は手出しができません!」
切迫した表情で前線の現状を伝えた伝令の兵士の言葉を聞き、中国人軍事顧問の方を振り向いた少佐は探るような目つきで問うた。
「墜落機に一切攻撃をするなと言ったのは貴方だ。それはあの墜落機の中に何か危険なものが積載されているからではないのか?」
「少佐、あの飛行機に乗っているのは敵の機密書類です。もしも砲弾を敵機に命中させれば、書類は塵になってしまう…。だから、我々は墜落機には手を触れないようお願いしたのです…。」
相変わらず無表情で返答した中国人軍事顧問だったが、その目の奥に微かな動揺を見た少佐は
「超大型爆撃機が機密書類など運ぶか…!」
と毒づくと、その勢いのままで無線機を手に取った。
「少佐!敵は我々に脅しをかけて時間を稼ぎ、その間に機密書類を処分しようとしているのです!今すぐ総攻撃をかけて敵を殲滅して下さい!」
突然、無表情の仮面を破って見せた、軍事顧問の男の激しい剣幕に己の抱いていた疑念を確信に変えた朝鮮人民軍の少佐は敵に繋がっている無線へと自らの言葉を返信した。
「こちら、朝鮮人民軍第一五三独立機動大隊指揮官の李明哲(イ・ミョンチョル)少佐である。あなた方の話を聞こう。」
「少佐!」
中国人軍事顧問は飛びかかってでも止めようとしたが、少佐の副官達が男の周囲を取り囲んでそれを制した。
「何だ、お前ら?誰のおかげで今まで戦えてきたと思っている!」
背後で軍事顧問の男が荒い語気とともに本性を表すのを目の隅で一瞥した朝鮮人民軍の少佐は無線の向こうの相手との話を続けた。