第四章 三十六話 「待ち伏せの中で」
文字数 2,203文字
「方位・距離セット完了しました。後は待ち伏せ部隊からの指示を待つだけです。」
ベトナム人兵士達とともに迫撃砲の用意をしていたイーノックがウィリアムに支援砲撃の態勢が整ったことを伝えた。
「よし、まず第一射は照明弾を打ち上げると、ARVNの砲兵達にも伝えてくれ。」
ウィリアムの指示に敬礼を返したイーノックは踵を返すと、ベトナム人兵士達が迫撃砲の準備をしている重砲陣地の方へと再び駆けていった。
遂に始まる…。
不測の事態が色々と起きたために、つい十数時間前のジャングルでの戦闘が何年も前のことのように思えるウィリアムは再び目の前に迫った戦闘の緊張に汗ばんだ両手の拳を握りしめた。
トム・リー・ミンクが持ち場に戻ってから十数分後、今ははっきりと聞こえてくるようになったヘリコプターの羽音にアールは身近な熱帯樹の枝に登り、単眼鏡を使って小道の先を偵察していた。
「来やがったな…。」
距離は五百メートルほど、更に二百メートル先で待ち伏せについているリー達の眼には迫りくる敵車両部隊の姿は恐らくよりはっきりと見えているだろう。アールは単眼鏡の倍率を調整すると、ヘッドライトの光を煌々と照らして前進してくる敵の車列をより詳細に観察した。
「先頭は砲塔の形状からして、T-55主力戦車…、或いはタイプ五九か?その後ろにも軽戦車と装甲車が数両…、上空についているのはヒラーOH-23か!」
偵察を終え、高木の上から茂みの中の持ち場へと駆け戻ったアールは象草の中に他の装備とともに隠していたM18 五七ミリ無反動砲を手繰り寄せた。奇襲の狼煙をあげる装備であり、待ち伏せ部隊が携帯する武器の中では最大級の破壊力を誇る無反動砲を見下ろしながら、アールは一抹の不安を感じていた。
敵の車両隊の先頭をとる五九式戦車は北ベトナム群の機甲部隊が装備する戦闘車両の中でも最強の部類に入る主力戦車だ。アールの陣取っている場所からすれば、眼下の小道を走ってくるであろう戦車に対しては装甲の最も薄い砲塔上面を狙うことができたが、手持ちのM18五七ミリ無反動砲は対戦車兵器として、やや旧式化していることもあり、奇襲の一発で仕留めることができるか、アールは不安を払拭し切れなかった。
だが、やるしかない。ここを素通りさせるわけにはいかないのだ…。
拭い切れない不安を指揮官としての責任感と闘志で押しやったアールは無反動砲を肩に担ぐと、茂みの中で身を隠したまま、作戦開始の時を待った。
「畜生。無駄に綺麗な景色だぜ…。」
茂みの上に仰向けに横たわったリーが普段は出さないような声で発した言葉に、もう二百メートルほどの距離にまで迫った敵車両部隊を双眼鏡で覗いていたアーヴィングは思わず驚いた表情で傍らの戦友の方を振り向いた。
「こんなところで戦争してただなんてな…。」
遠いところを見るような目で高い空を見つめるリーの目にかつて彼がベトナムで体験した暗い闇の記憶が踊っているのを見たアーヴィングは旧友の問いに静かに答えを返した。
「戦争は人間が始めるものだ。どんな場所になるかなんて、誰にも分からないさ…。」
「はっ、詩人みたいなこと言ってくれんじゃねぇか…。」
もう敵のヘリコプターの羽音がしっかりと聞こえ、双眼鏡なしでも近づいてくる車列のヘッドライトの光が遠巻きに確認できる中、緊張感が高まりながらもも、戦闘は始まらないという、たちの悪い時間の中でリーは遠い過去の戦争を回想していた。
「俺たちにとって、あの戦争ってなんだったんだ?」
一瞬の沈黙の後、アーヴィングは再び静かに答えを返した。
「俺達が出会うためだったのさ…。」
予想していなかったアーヴィングの返答に、リーは思わず半身を起こして、戦友の顔を見つめた。
「女みてぇなこと言ってんじゃねぇよ。」
冗談だと思ったのか、笑みを浮かべ茶化すリーにアーヴィングは至って真面目な表情で答えた。
「いや、そういう意味じゃない。だけど、あの戦争のおかげで出会えた人や物がある…。そういった巡り合わせのおかげで今の俺達があるのも事実だろう…?」
鼻で笑いつつも、戦友の発言が洒落ではなかったことを理解したリーは「また、詩人みたいなこと言いやがって…。」と言うと、再び藪の上に寝転がり、仰向けに星空を見つめたまま、自身の胸中にある思いを述べた。
「なぁ、アーヴィング。俺はさ、あの戦争で嫌なことは色々あったけどよ…。お前に会えたことだけは良かったと思ってるぜ…。」
戦友の言葉にアーヴィングは余計な言葉ではなく、無言のまま頷いて答えを返した。そんな二人の前に敵の車列はあと百メートルの距離にまで迫っており、ヘリの羽音や車両のエンジン音とともに二十両以上の戦闘車両が醸し出す唸りのような地響きが彼らの真下の地面を揺らしていた。
「来るぞ…。」
傍らの戦友にそう言い、仰向けになっていた体を起こしたトム・リー・ミンクはXM177E2カービンのチャージングハンドルを引くと、藪の中に身を潜めて戦闘態勢についた。