第二章 二十五話 「戦端」
文字数 3,208文字
混乱を防ぐため、ゲートや各歩哨には単に、警戒せよ、というだけの命令が伝えられただけで、北側ゲートの部隊にも、正面の戦車を中央棟の前に回せ、としか指示は出されていなかった。戦車などを中央棟の前に回してどうする?、と民族戦線の戦車兵達が命令を不審に思いながら、それでも本部の指示に従って、五九式戦車の車体を基地の方に向け、ゲートに向かって橋を渡り始めた時、悲劇は起きた。
セットされた起爆時間になり、時限装置が作動した十基のC4爆弾が長さ五十メートル、幅十数メートルの橋を支える鉄骨の足を尽く破壊し尽くし、大きく揺れた橋の中ほどにいた五九式戦車は死地を乗り切るため、エンジンを一気にふかし、全速力で加速したが、その努力も空しく数メートルも進まない内に、コンクリートの道路はひび割れ瓦解し、五九式戦車は崩壊した橋の鉄骨やコンクリートとともに灰色の噴煙が巻き上がる谷底へと落下していった。北側ゲートの兵士達が、目の前で死んだ仲間達の悲惨な最期に息を呑んだ刹那、闇と噴煙に覆われた谷底で赤い炎が煌めき、腹を震わせるような爆発音が響いた。谷底に落ちた衝撃で戦車に積んでいた砲弾の信管が誤作動して、炸裂したのだろう。
そして、突然の出来事に思考が働かず、愕然とするしかなかった北側ゲートの民族戦線兵士達にも死の気配は迫っていた。監視塔についていた一人が狙撃されたのを皮切りに、見張りの兵士達が四人、五人と、音もなく正確な狙撃に頭を撃ち抜かれて死亡した。運良く狙撃されなかった兵士達は闇の中から狙撃してくるスナイパーに対して、盲撃ちで手に持ったAK-47や機関銃を掃射したが、暗闇の中、それも谷の反対側、百メートル以上も離れたジャングルの中から、銃口に大型のサプレッサーを装着した狙撃銃で狙撃してくるイアンの姿を彼らが見つけるのは至難の技で、標的を正確に捉えない無秩序な射撃は、逆にマズルフラッシュの閃光で自分達の位置を知らせることとなり、物陰から身を出して、銃を撃った次の一秒後には彼らは七.六ニミリの狙撃弾に頭を撃ち抜かれて死んでいた。
M21マークスマンライフルの狙撃で、北側ゲートに加え、北西側の銃座に配備されたZU-23-2高射機関砲にも一発の発砲もさせずに、射手を狙撃して無力化したイアンはM21を構える方向を変えて、今度は兵舎区画をスコープの中の視界に映した。
北側の橋で起こった爆発の音は距離の離れた兵舎区画の兵士達にも聞こえていた。何が起こったのか分からず、兵舎から出て、爆発音の聞こえてきた方を見つめ、仲間達と話し合っていたベトナム人兵士達だったが、危機は彼らの元にも迫っていた。
突然、一番南端の兵舎が吹き飛び、すぐ間近で起きた爆発に兵士達が驚いた瞬間、起爆時間になった別のC4爆弾が炸裂し、また別の兵舎が吹き飛び、一秒後には隣接する兵舎も真下から突き上げたプラスチック爆弾の爆発に木造の柱を粉々に散らしていた。兵舎の中で眠っていた兵士達は建物共々、木っ端微塵になる運命を辿り、外に出ていた兵士達も突然の襲撃に統制を失い、ただただ地面に身を伏せて、爆発の連鎖が終わるのを待つことしかできなかった。床下で三つの遺体が転がる兵舎で、酒飲みを楽しんでいた兵士達も襲撃に備えようと、銃を取って外に出ようとしたが、酒の酔いが頭に回ったせいで、兵舎の外に出ることもかなわず、間もなくして、リーが床下に仕掛けたC4爆弾が爆発し、兵舎ともども粉々になった。
正体不明の爆発に襲われている兵舎の姿をすぐ近くで確認していた南側ゲートの銃座に座る兵士達は無線を開いて、本部との連絡を取ろうとしたが、状況がつかめず、各部隊の交信が入り乱れる無線から返事が返ってくるよりも先に、彼らの足元に転がり込んできた二発の破片手榴弾が爆発した。更に南側ゲートの二つの銃座が手榴弾の炸裂で吹き飛ばされたのと同時に、その脇に立つ二つの監視塔の兵士達の頭にも、発電施設建物の屋上に陣取ったイーノックの狙撃弾が突き刺ささり、南側ゲートは一瞬の内に制圧された。
南西と南東に配置された機銃陣地の兵士達は突然の敵の襲撃に、楽しい談笑の時間から唐突に戦場へと引きずり出され、何とか銃座に設置されたZU-23-2高射機関砲を南側ゲートの方へと向けたが、既に遅かった。
「高射砲がこっちを向いている!撃ってくる前に潰すぞ!リー!」
隊内無線に叫んだアールの怒声とともに、アールとリーは伸縮式の発射筒を展開し、安全装置を解除して担いでいたM72LAWの照準をそれぞれの目標の銃座に瞬時につけ、民族戦線兵士達が高射砲を発射準備できる前に、ロケットランチャーの発射トリガーを押した。爆音と猛烈な後方噴射煙とともに、二発のM72LAWロケットランチャーの発射筒から対戦車弾が同時に発射され、高温ガスの推力で、それぞれの目標へと飛翔した対戦車弾はコンマ一秒後には標的に突き刺さり、二つの機銃陣地は高射砲もろとも粉々に吹き飛んだのだった。
「ヘリを飛ばせ!哨戒中のハインドを呼び戻すんだ!急げ!」
管制塔タワーで部下達に怒声をあげていたソ連人管制官は次の瞬間、眼下のヘリポートで次々と起こった爆発の衝撃波に、タワーのガラスが粉砕されると同時に後ろに吹き飛ばされた。その時、既に管制塔からの命令に従って、ベトナム人、ソ連人両方のパイロットやクルー達がそれぞれのヘリコプターに取り付き、飛行準備を整えていたが、そのどれも飛び立つことはできなかった。まずは基地の南側に並んで駐機していた三機のUH-1がパイロットの搭乗と同時に次々と爆発し、それに続いて東側に停まっていた二機のOH-6小型観測ヘリコプターが仕掛けられていたコンポジション4の炸裂で橙赤色の炎を上げて四散した。眼前で自分のヘリコプターが爆発したOH-6のベトナム人パイロットは衝撃波で十数メートル後ろに吹き飛ばされ、背後に駐機していたOH-58観測ヘリコプターの機体側面に、背骨を折るほどの勢いで背中をぶつける羽目となった。
次々と飛行場の他のヘリコプターが爆発する中で、いち早くパイロットとクルーが乗り込んだMi-24Aはエンジン起動からわずか二分で一気に上昇し、クルーとパイロットは周囲に隠れている敵を探して、周辺に監視の目を向けていたが、彼らの危機は機体の外ではなく、機体の中にあった。まず最初に兵員室に積み上げられた弾薬箱と燃料タンクの裏に、二名の死体とともに隠すように設置されていたC4爆弾が爆発し、後部兵員室を紅蓮の炎が包むと、爆発を起こした兵員室からモクモクと黒煙を吐きながら機体をスピンさせるMi-24Aのコックピットで、ベトナム人パイロットは何とかして機体の制御を取り戻そうとしたが、兵員室の爆発から十秒おいて操縦席下で爆発したC4爆弾の炸裂で、パイロット、コパイロット双方とも死亡し、完全に制御を失ったMi-24Aハインドは腰を抜かしたソ連人管制官が悲鳴をあげるコントロールタワーへと正面から突っ込んでいった。コンクリート製の管制塔の建物に接触して、四本の大型ローターをばらばらに四散させながら、機首からコントロールタワーにめり込んだハインドは、兵員室まで突っ込んだところで、内部に積載した弾薬や燃料、更にはスタブ・ウィングに搭載したロケット弾やミサイルの誘爆で爆発の火球へと姿を転じ、重装甲の機体を闇夜に散らした。
その直後、コントロールタワーが爆発した管制棟の隣では、一番多くの爆弾が仕掛けられていた大型輸送ヘリコプター、Mi-6が一際大きな爆発を起こして、明るい橙黄色の炎と黒煙が混乱する管制棟建物の横で大きく広がり、飛行場での爆破工作の最後を締めくくったのだった。