第五章 三話 「過去との別れ」

文字数 3,686文字

午前四時、敵先遣部隊を奇襲してから二時間が経った頃、アール達が奪ったCA-30トラックは北ベトナム軍の監視所を通過したところだった。
「警備が厳重になってきている…。敵の本部が近い証拠だな。」
幌布の陰から、小道の両脇に即席の機銃陣地と物見櫓を擁した監視所を見送ったアールは"部隊長"の脇へ動くと、次に取る命令を伝えた。それを"部隊長"が運転席の連絡窓から"剽軽者"に伝える。言語が分からないため、自分の命令の趣旨がしっかりと伝わったかどうか、アールは不安だったたが、トラックは彼の命令どおり、前を走る車両に怪しまれないようにゆっくりと速度を下げると、前の車両の視界から外れて数秒後に道を逸れてジャングルの中へと入っていった。熱帯樹を避けながら、茂みを踏み潰し、不整地を走破しながら、アール達のトラックはジャングルの中へと姿を消して行く。右に左に揺られるトラックの荷台は、とても乗り心地の良いものではなかったが、アールはその中でもしっかりと地図を見つめていた。
先程の場所に監視所があったということは敵が拠点を構えそうな場所は一つしかない……。
アールは敵拠点の位置と見定めた地図の一点を睨み、ジャングルの中を進む自分達の位置もリストコンパスを片手に見失わないように追い続けた。地図の情報によれば、トラックで行けるのはもう僅かだ。
「よし、そろそろ止めよう。」
アールの命令を"部隊長"が連絡窓越しに"剽軽者"に伝えると、トラックは深い緑に囲まれたジャングルの中で動きを止めた。サプレッサーを装着したMk22を片手に停車したトラックの荷台後部から飛び降りたアールは周囲を警戒して、敵の姿がないことを確かめると、トラックの荷台を叩いて、後の二人に合図を送った。その合図と同時に"ラジオ"と"部隊長"が爆発物とM18五七ミリ無反動砲を抱えて、荷台から飛び降りる。最後にストーナー63LMG軽機関銃を取り出したアールは運転席の前に回ると、"剽軽者"に車を隠すよう指示を出した。アールの誘導に従い、CA-30トラックは四方を茂みの中に囲まれたジャングルの一角にその車体を完全に隠した。
アールは"剽軽者"が武器を荷台から取り出してくるのを待って、地面に置いた地図を前に、三人に現在の状況とこれからの計画を話し始めた。
「もうそろそろ本部が近い。俺の見立てでは敵の拠点はここだ。そして、俺たちの今の位置はここ。敵の警戒は厳重なはずだ。気を引き締めて行け!」
アールの言葉を理解はできなくても、表情と声のトーンから意味は読み取れた無線兵の"ラジオ"が顔に緊張を浮かべる一方で、"剽軽者"は獲物のM2カービンを持ち上げて、おどけた仕草をして見せた。
「その調子だ。だが、警戒心だけは失うなよ。爆発物を持ってくれ、行くぞ!」
そう言って肩にスリングで無反動砲を、両手にはストーナー63LMGを構えたアールはC-4爆弾とクレイモア地雷を満載した木箱を手にした三人の南ベトナム軍兵士を先導して、敵本部へと続くジャングルの中を分け入っていった。

「砲兵の準備、完了しました。」
「戦車大隊の配置、あと数分で完了します。」
OT-64装甲指揮車の中で前線からの連絡をオペレーターの声を通して聞いていたブイとグエンは明朝に仕掛ける予定の総攻撃に関して、最後の詰めを議論していた。
「戦車は二〇両、水陸両用戦車は二五両に加え、装甲車類が五〇両以上、この機甲戦力を有用に使わない術は無い。よって、最初の攻撃は車両が投入できる北と南と北西の三方向から仕掛ける。」
あくまで自分達の機甲戦力を全面に押し出して戦いたいと見えるグエンに、ブイはその隠れた真意を知りつつも、代案を提案した。
「しかし、その三点から来るであろうことは敵も想定しているぞ…。地形は厳しいが、車両の攻撃は控えて、西側から奇襲攻撃するのはどうか?」
無駄だと思いつつ、提案したブイだったが、グエンの返答は彼の予想通りのものだった。
「駄目だ。敵は歩兵戦力に対して、圧倒的な兵力を持っている。そのことは君の部下が先の戦いで証明したじゃないか、なぁ?」
そう言って、ブイの隣に立つファンの方を一瞥したグエンの目には侮蔑の念が籠もっていた。たった八人に対して、二百人もの犠牲を出した上に敵に逃げられた…、そのことを責める意図もあったのだろうが、その視線にもっと別の意思が籠もっていることをブイは知っていた。だが、そんな意図を知る由のない傍らのファンが不快感とともに苛立ちを募らせるのを察知したブイは部下の士気を下げないためにも話を元に戻した。
「分かった。だが、戦力評価のために最初は我々の部隊が攻撃を仕掛ける。戦車と装甲車の前線への投入はそれからで…、それで良いか?」
ブイの提案にグエンは不服そうだったが、親友の提案であることもあって承諾した。
「良かろう。」
その返事の声の調子も、先程のファンへの視線も、久しぶりに会う旧友の様子の不自然さにブイは感づいていた。
やはり、アメリカが関わっているからか…?
ブイとグエンは同郷の出身で十代の時にフランス軍の攻撃で家族を失って、ベトミンに参加して以来、この二十年間、国の独立のために戦い続けている。そして、その戦いの中で二人とも一度は失った家族を新たに手にする事ができた。一生の伴侶と子供達…、再び幸せを取り戻したかのように思えた二人だったが、戦争は無慈悲にもグエンから新たな家族も奪った。低空接近してきたF-105D サンダーチーフの両翼から撃ち込まれた二.七五インチ対地ロケット弾、民間住宅をベトコンの隠れ家と断じ攻撃したアメリカ軍機の爆撃により、グエンは再び家族を失った。それ以来、彼は国のためではなく、アメリカへの復讐のために戦い続けている。復讐のための戦いなど、何にもならないとブイは諭そうと思い続けていたが、家族が居て幸せがまだ残っている彼が復讐の鬼と化したグエンにかけれる言葉は無かったのだった。そして、ベトナム人民軍(北ベトナム軍)にリクルートされたグエンは憤怒と報復の念だけで少将の階級にまで上り詰め、ブイの前に戻って来たのだった。外見は変わっていなくても、中に宿した本質的な人間性は別人に変わってしまったグエンの暴走をブイは何とか押し止めようとするので精一杯だった。
「前線指揮はアシル・ベル・ナルディに任せたいが、良いな?」
「ああ…、彼は優秀な人材だからな。前線に出て、不法入国者のアメリカ人どもを捻り潰してもらわねば…。」
米国への怒りを握りしめた拳に込めたグエンだったが、そんな彼の怒りをブイはもう相手にしていなかった。代わりにファンの方を向いたブイは若き副官に命令を与えた。
「ファン少尉、ベル顧問に北側の前線へ回るように伝えてくれ。」
敬礼をすると、指揮車をいそいそと出ていったファンの後ろ姿を見送るグエンの目はやはり侮蔑に満ちていた。数百人の戦力を持っても、アメリカ人を一人も殺せなかったことを無能だと責めているのだろう。また、同時に自分なら全員殺せていたと思っているに違いない。そんなグエンの視線には触れず、ブイは攻撃開始の時間について話を進めた。

あの北ベトナム軍指揮官の態度、気に食わない…!
胸中で煮えたくる怒りを燃やしながら、ファンはベルが陣取っているテントの方へと向かって行った。今や自分に気を使って、指揮車の外に出る機会をくれたブイの心遣いさえも厄介者払いのように思えてしまうほど、ファンは苛立っていたが、不意に風にのって漂ってきたウィンドソングの香りが彼の注意を逸したのだった。
「女の香水…?」
戦場のジャングルには場違いな艶かしい香りに、ファンは匂いの後を追った。そして、辿りついたのが、あろうことか彼が向かうべきアシル・ベル・ナルディのテントだった。
あんなフランス野郎が香水なんて…。
そう思いながらも、「ファン・ライ・ダオ、入ります!」と宣言して、テントの中に入ったファンが目にしたのは暖炉に向いた椅子に座っているベルの背中だった。普段の陽気な雰囲気とは明らかに異なる白人の作戦顧問の様子にファンは声をかけるのを一瞬躊躇ったが、そんなファンにベルの方が先に気がついた。
「お前か…。」
そう言って立ち上がったベルは「そうか、時間なんだな…。」と傍らの装備を背負うと、敬礼するファンの傍らを無言のまま歩み去って、テントの外へと出ていった。
「火の始末だけ頼む。」
そう言ったベルの静かな声に、「はっ!」と返したファンは自分が最も嫌いな人間に対して、実直な返事を返した事に驚いた。それと同時に先程追ってきたの香水の香りがテントの暖炉の中からしていることにファンは気がついた。彼は思わず、暖炉に駆け寄ると、静かに揺れる炎の中で消えていく古いモノクロ写真と数枚の便箋を見つけた。純白のワンピースを着た女が田園地帯を背景にして佇んでいる古い写真の横で焼け焦げていく手紙に目を凝らしたファンは微かに読み取れる文字を一人読んだ。
「"正義の語り手"へ…?」
その言葉の意味を"その男"に会ったことの無い彼が理解することはなかった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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