第四章 三十九話 「理不尽な怒り」
文字数 2,139文字
グエンの怒声に連絡を告げにきた指令部付きの通信士だけでなく、指揮所にいた幹部達の全員が驚いて、思わず自分達の総指揮官の方を振り向いた。その中でただ一人、驚きも動揺も見せなかったブイは無言のままで親友を落ち着かせようと、グエンのの肩を静かに叩いた。
「ああ…、すまん…。」
親友の無言の忠告で我に返ったグエンは気まずそうに詫びると、無線兵に再度、通信内容を報告させた。
「先遣中隊は敵拠点より四キロの地点で待ち伏せ攻撃に会い、壊滅。車両は九割が大破、若しくは稼働不可能であり、士官は総指揮のウー中佐以下、主要幹部は全員死亡。現在、生存した下士官の中で最高階級の上級曹長が指揮を取り、残存兵力を本部に撤退させて来ています…。」
先遣部隊からの無線連絡を読む下士官の声は震えていた。
「ウーが死んだだと…?」
部下の報告の内容に気を動転させ、再び激昂しそうだったグエンにブイは静かに言葉をかけた。
「部下を失ったばかりの時に、こんなことを言うのは心苦しいが、数だけで落とせる相手ではないことは君も痛感できただろう…。」
我々も多くの部下を失った、と付け加えたブイの言葉に、
「ああ…。中々に手強い相手のようだ…。」
と呻いたグエンは作戦指揮用の大机の上に両手をつくと、大きな溜め息を一つ吐いた。
今、彼は自分の判断の誤りで三百人の部下を地獄に落としてしまったことを悔いている…。加えて、自分が最も信頼していた指揮官も失ったのだ…。
誰もグエンにかける言葉がなく、指揮テントの中を暫くの間、沈黙が支配したが、その場に何も知らずに入り込んできた物資補給担当の幹部が意図せず、その重たい静寂を破ったのだった。
「只今、第一六五機械化中隊が到着しました!」
状況を知らずに入ってきたため、場違いに明るい声で援軍が到着したことを伝えた幹部に対し、テントの中の他の幹部達の中には、何と悪いタイミングで…、と思いながら睨む者もあったが、グエン本人はその報告に明るい声を発すると、希望を取り戻した明朗な表情で物資補給担当の幹部の方を振り向いた。
「何!最後の部隊が辿り着いたか!」
活気に満ちた声でそう言ったグエンは補給担当の幹部の元へ歩み寄ると、
「指揮官に会わせてくれ。」
と言い、補給幹部を連れて、指揮テントを出ていった。感情の激しい起伏に加え、指揮所を突然に離れた総司令官の行動に戸惑いを隠せない幹部達に対し、
「休んでいてくれ。」
と一声かけたブイはグエンの後を追って、指揮テントを出たのだった。
グエン・コン・ジャンは確かに情熱的で血の気が多いがあまり、作戦行動中に情緒が不安定になることは過去にもあったが、今日ほどに我を失っているのをブイは見たことがなかった。
やはり、あのアメリカ軍特殊部隊のせいか?
そんなことを考えながら、追っていった先でブイはまたしても部下に対し激昂し、怒鳴り散らしているグエンを見つけたのだった。
「少将!第一六五機械化中隊の指揮を任ぜられました、ダン少佐でありま…。」
「なんだ、この装備は!私は戦車を寄越せと言ったはずだ!」
部隊指揮官の少佐が挨拶を済ませるよりも早く、彼らの搬送してきた装備を見たグエンは怒鳴った。その場に数秒遅れて到着したブイは困惑した表情の少佐の肩を叩き、「ご苦労だった。」と任務の完遂労うと、親友の脇に立って彼の不徳を叱咤した。
「グエン、もっと冷静になれ。部下達が混乱するぞ。」
親友の真剣な表情と強い語気に反省した様子で、
「ああ…、すまない…。」
と力ない声を漏らしたグエンだったが、何かを思い出しかのように顔をあげると再び声を荒らげて、ダン少佐が搬送してきた車両群を指差した。
「だが、これを見てくれ!」
その指と不満に満ちた視線が指した先には、五台のCA-30大型トラックと二両のAT-T砲兵トラクター。そして、軍用トラクターに牽引された二基のS-60 五七ミリ対空機関砲があった。
「俺は戦車を送ってくれ、とハノイの司令部に頼み込んだのに!こんなものばかり送ってきやがる!」
それなのに難解な要求だけは突きつけてきやがって、と青筋を立てるグエンをブイは冷静に宥めた。
「ホー・チ・ミン作戦で余裕が無いんだろう。増援を送ってくれただけ、ありがたいものだ。思い出してみてくれ。テト攻勢の時には命令だけで北は俺たちに歩兵一人も寄越してくれなかったじゃないか。あの時と比べれば、ハノイはまだ筋の通った行動をしてるよ…。」
ブイの説得に少し落ち着きを取り戻したグエンは不貞腐れた様子で、
「確かに、それはそうだが…。」
と漏らした。
「どんなに困難な状況であっても、我々指揮官は死んだ部下達のためにも何としても命令を遂行せねばならない。」
ブイの"死んだ部下"という言葉に先程の無線連絡の内容を思い出したのか、目に涙を浮かべ、震える声で「お前…。」と漏らしたグエンの肩を叩いたブイは指揮所へと戻る足を踏み出した。
「さぁ、テントに戻ろう。部下達が君のことを待っている。」
振り返ってそう言ったブイの言葉に震える声で「ああ…。」と返したグエンも急ぎ足でその後に続き、その場には長旅の心労の末に理不尽な怒りをぶつけられて不服そうな第一六五機械化中隊の兵士達と補給物資だけが残されたのだった。