第二章 十八話 「奇妙」

文字数 4,670文字

現地時刻三月十日十九時、タイ空軍基地、迫りくる作戦開始の時を前に、ブラボー分隊から支援を要請されるかもしれない"ゴースト"の各隊員達の間には緊張感が漂っていた。
予期せぬアクシデントで作戦に参加することができず、ありうるかもしれない応援要請に備えて、今度こそは、と部下達にもフル装備の準備を命じていたウィルフレッド・サンダース少佐は次の作戦では整備漏れがないように、整備員達を鼓舞しにヘリコプターを格納するB棟格納庫に行ったところで、不都合な真実を知らされ、狼狽していた。
「何っ!アパッチは飛ばせんというのか?!」
アパッチの専属パイロットから、致命的な性能不良の事実を知らされたサンダースは驚いた声を出して、パイロットの言葉を繰り返した。
「はい。メインとテールローターの回転調節部位に不調が見られます。こいつは整備不良というより、根本的な設計の問題ですから、一度DARPAの研究施設に戻すしかないかと…。」
専属パイロットは申し訳なさそうに言った。
ウィリアム達が襲撃する軍事顧問団基地は対空砲を大量に備えたハリネズミのような拠点だ。もし、仮に支援要請を受けても、攻撃ヘリコプターの援護がなければ、ヘリボーン作戦は実行できない。サンダースは舌打ちをついた。
「くそ!ブラックホークといえ、一体どうなってんだ!それでも最新ヘリコプターなのか?」
「仕方ありませんよ。こいつらは本当は実戦投入まで、五年はかかるはずだったんです。それを強引に完成を早めて、試作品のまま、実戦に投入しようとしてるんですから…。」
パイロットに非があるわけでもなく、これ以上責めるわけにもいかないサンダースは足元の地面を睨んで、「くそ…!」と悪態をついた。
その様子を少し離れた場所から見ていたA-10のテストパイロット、ソリッチ少佐が今こそ自機をアピールすべき時と二人のもとに歩み寄ってきて、
「うちのA-10なら、いつでも飛ばせますよ。」
と自信満々に宣言したが、サンダースの返答は辛辣なものだった。
「夜間のヘリボーン作戦の護衛に対地攻撃機が役立つか!真下の俺達もろとも爆撃することになるぞ…!」
そう言って、声を荒げたサンダースは踵を返して、格納庫の外に出る歩を進み始めた。格納庫内に響いた怒声に他のヘリコプターパイロットや整備員達もアパッチの方を振り向き、居心地が悪くなったのか、ソリッチも「くそ!どうして、地上部隊のやつらは、あんなやつらばかりなんだ!」と悪態をつくと、固定翼機を格納するC棟格納庫の方へと戻って行った。

一九七五年三月十一日、午前一時五五分

カンボジア、サモットクラアムから北西に四十マイル、他に集落などのない山間部に、今回の作戦地点となるソ連軍事顧問団基地はあった。南を除く周囲ニ七〇度を深さ五十メートルの谷に囲まれたこのソ連軍事顧問団ベースキャンプは元からの天然の要塞としての性質に加え、鉄条網のフェンスで囲まれた基地の全周に等間隔で土嚢を積んだ機銃陣地が十個並んでおり、その内の北と南は外部からの車両用通路が繋がっていることがあって、監視塔と重機関銃を備えた機銃陣地、車止めが置かれ、特に厳重な警戒を施している。北と南以外の機銃陣地には、かつてはアメリカによる空爆を警戒して設置されたZU-23-2対空機関砲が口径二十三ミリの連装砲を今は来たるべき侵入者に向けて、構えていた。
ネズミの侵入すら許さない警戒体勢で、探照灯の光が絶えず監視の目を動かし続ける軍事顧問団基地の北西側、基地を囲む谷をまたいで反対側の台地には、ジャングルを抜け、夜の闇に紛れて基地に接近した"ゴースト"・ブラボー分隊、八名の隊員達が身を潜めて、敵基地内の様子を偵察している姿があった。彼らの上空には基地周辺を哨戒飛行するMi-24Aハインド攻撃ヘリコプターがサーチライトの光を照らして、赤外線の眼を眼下に向けており、ウィリアム達はその眼にも見つからぬよう、対赤外線シートを被って偵察していた。
「アール、作戦計画書を。」
サーマルスコープ機能の付いた双眼鏡を覗き、防御陣地の様子を窺いながら口を開いたウィリアムの横で対赤外線シートを被ったアールが背嚢から耐水性の機密書類用封筒を取りだした。封筒には特殊なダイヤルロックが付けられており、もし間違えたコードを入力した場合、封筒内部に書類とは別の容器に入れられた特殊溶媒が漏れ出し、機密書類が消滅するような仕掛けになっていた。
「コードをお願いします。」
「A493629。」
ウィリアムが告げたコードをアールがダイヤルに入力すると、封筒は内部の特殊溶媒を漏れ出すことなく、その封を開いた。
アールが開封した封筒の中から書類を取り出すと、更に透明の防水袋に包まれた数枚の作戦計画書が姿を現した。その内の一枚をアールがウィリアムに手渡す。しばらくの間、その地図と基地の双方を交互に見ていたウィリアムは、
「見てみろ。」
と言って、基地の方を睨んだまま、双眼鏡をアールに手渡した。上官の指示のまま、双眼鏡を通して拡大された基地の姿を目にしたアールは最初こそ要塞のごとく重装備で武装した防御陣地を前にして、アルファ分隊の支援を得られない状況の逼迫に嘆息を胸中で漏らすしかなかったが、すぐにウィリアムが自身に双眼鏡を手渡した理由を理解した。違和感である。彼が初めて戦場に出てから十年…、SEALs時代に様々な特殊任務についてきたが、今、双眼鏡の中に映っているような事態を彼は一度も体験したことがなかった。
ありえない…。
そう胸中で呟いたアールが双眼鏡から離した目を、傍らの上官に向けると固い表情を浮かべたウィリアムは、アールを見返して小さく頷いた。ウィリアムも敵基地と地図を見比べて、アールと同じ感想を抱いていたのだ。
「防御陣地の構成、見張りの配置と装備、全て作戦計画書の通りだ。」
「しかし、大尉。そんなことがあり得るのですか?」
そう疑念を口にしながら、信じられない思いで作戦計画書の敵基地配置見取り図に顔を近づけて、その詳細を読みとろうとするアールの横で、再び双眼鏡による監視を始めたウィリアムが続けた。
「敵の配置だけじゃない。警戒の手薄な部分、有効な侵入経路と効率的な爆弾設置箇所までご丁寧に示してある。」
「あの内部に内通者が?」
アールが鮮黄色の人工の光に包まれた基地を指さしながら言う。ウィリアムは双眼鏡から目を離し、アールの方を向いて僅かに首を傾げた。
「さぁな。だがその配置図は午前一時三十分から二時三十分の間のものだ。こいつが価値を発揮するのもあと三十五分しかない。」
「やつがあんな子供達に拘ってなけりゃ、もっと早くに着けたのに…。」
昼間のクレイグとのいざこざを思い出すように唇をかんで悪態を付いたアールをウィリアムは諭した。
「あそこで我々が発見されたことに関しては、クレイグには何の落ち度もない。責任は私にある。それに…。」
ウィリアムは続けた。
「問題は時間の切迫だけではない。爆薬の量も計画より少ない。アルファ分隊が持ってくるはずだった残りの半分量をここで調達する。」
そう言ってウィリアムは見取り図上の一点を指した。
「武器庫だ。爆発物の類いもあるはずだ。私はクレイグとジョシュア、イーノックを連れて谷に降りた後、橋に爆弾を仕掛け、東側の監視所から階段を登って侵入する。お前は谷を降りた後、リーとアーヴィングとともに基地の西側から階段を登って兵舎区域に侵入。兵舎に爆弾を仕掛けた後、隣にあるこの武器庫で足りない量の爆薬を補い、作戦の準備を進めろ。時間に余裕があれば、標的が匿われている中央棟の隣、南側の発電所の電力設備も破壊してほしい。二時二十分に最初の爆弾を爆発させると同時に混乱に乗じて、脱出を開始する。」
そう言うと、ウィリアムは今度はイアンの方を向いて命令を出した。
「イアン、基地全体が見渡せる位置につけ。我々の脱出後は二時五十分に、集合地点にて合流だ。」
「了解。」
こちらを向いて短く返事をしたイアンがM21狙撃銃とそのスコープに装着する特殊大型暗視装置の、バッテリーを含むフル装備の入ったケースを両手に持って、森の中に走り去っていく背中を見送ると、ウィリアムとアールはそれぞれが連れて行く分隊員達に、先程の説明をする準備を始めた。

ウィリアムとアールが作戦について協議している間、他の分隊員達も茂みの中に身を伏せ、これから潜入する谷の反対側の敵基地を双眼鏡などで、それぞれ偵察を続けていた。
「うわぁ…。いるなぁ…。」
明るい照明に照らされた基地の中を走る車両や歩哨の兵士達の姿を単眼鏡で確認しながらぼやいたジョシュアの隣で、H&K HK33SG/1マークスマンライフルの銃口にサプレッサーを装着しながら、イーノックは昼間から気になっていたことをジョシュアに聞いた。
「一等軍曹…。少尉と准尉は昔、何かあったんですか?」
敵基地の観察に集中していたところ、突然横から声をかけられたジョシュアは、「ん?ああ…。」と少し動揺した様子を見せると自分の知っていることを話し始めた。
「あの二人は元々同じ部隊にいたんだよ。SEALs時代にな。」
ジョシュアのその言葉にイーノックは驚いた。アールとクレイグの二人が同じ元SEALsの隊員だということは知っていても、まさか同じチームに所属していた、ということは知らなかったからだ。驚いた表情のイーノックをよそにジョシュアは続けた。
「それで越境作戦の任務に当たっている時、作戦途中で現地の少女に部隊を目撃された…。口を封じるため殺すか、それとも少女を信じて解放するか議論になった際、クレイグ准尉が敵意は感じない、て言ったから解放することにしたんだそうだ。そして、その結果が十一人のSEALs・CIDGチームが二百人のベトコンに包囲されることになったわけさ…。」
疑いようはない。秘密作戦で潜入した部隊をそれほど多くの敵が偶然に包囲することなどありえない。途中で逃した少女が米兵の存在を大人達に知らせて、敵の大部隊を呼び寄せたのだ。クレイグの判断は誤っていたのだ…。
「勿論、部隊は壊滅。分隊指揮官も死亡し…、その指揮官こそが少尉のお兄さん…、ジョセフ・ハンフリーズ中尉だったわけだ…。」
「アール少尉にお兄さんが…。」
半ば呟くように返したイーノックに、ジョシュアは頷いて返すと、苦笑いを浮かべながら続けた。
「そんな事件を聞いてたもんだから、俺もあの准尉の"感"なんて、オカルトチックなもの信じるつもりはなかったんだが…。昨日の昼間は准尉が居なきゃ、俺達はここに辿り着けなかっただろうからな…。」
工作員達と合流した時のことを言っているのだろう。あの時、クレイグが止めなければ、分隊はもう少しのところで工作員達と戦闘になっていた。
「一等軍曹は今はマッケンジー准尉の力を信じてるんですか?」
真剣な顔をして問うてくる新兵に、ジョシュアは苦笑を浮かべながら首を傾げた。
「いや、分かんねぇよ。目に見えるもんでもないしな。だが、もしそんな不可思議な才能があの人にあるのだとしたら、どうにか、この不利な状況を打開してほしいもんだ…。」
ジョシュアがそう言って、単眼鏡をしまったところで、ちょうどアールと話し合いを終えたウィリアムが二人のもとに歩み寄ってきた。
「ジョシュア、クレイグ、イーノック、私の元に集合してくれ!」
ウィリアムの指示で集合した三人の数メートル脇では、アールのもとに集合した別動隊のリーとアーヴィングが副分隊長の作戦説明を聞いていた。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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