第二章 九話「不慮」
文字数 2,858文字
突然、フォートブラッグのオフィスに殴りこんできた二人のCIA幹部に、第1特殊作戦部隊の責任者であるランシング大佐は困惑していた。彼のオフィスに突撃してきたCIA幹部は勿論、リロイ・カーヴァーとコーディ・マーティニーの二人だ。彼らはメイナードが合衆国や"シンボル"の手を離れて、独自の考えで行動を取っている可能性があることを説明し、それを止めるために新設の"デルタ"をタイへ派遣することを求めているところだった。
「装備も人員も既に実戦対応可能な程度にまで揃っていると聞いています。どうかお願いします…。」
「いや、しかし、私の一存だけではなぁ…。」
渋い顔をして、決して首を縦に振ろうとはしないランシングにリロイは詰め寄った。
「"シンボル"の承諾が必要なのですか?」
「君、その名前を…。」
リロイが組織の名前をあげると同時に、ランシングは顔をしかめ、口の前に人差し指を立てると、デスクの引き出しの中からタバコを取り出した。
「頼むよ…。分かってくれ。とにかく、今はまだ"デルタ"は動かせんし、私の一存であの作戦を止める訳にもいかん。」
タバコに火をつけ、回転椅子に深く腰掛けたこの陸軍大佐が今のままの交渉方法では動かないと悟ったリロイは、「コーディ!」と部下の名を呼んだ。
後ろに立っていたコーディが、「はっ!」という凛とした返事とともに、手にしていた革鞄から取り出した書類をリロイに手渡した。
「エルヴィン・メイナードに関する資料です。ここ数年の行動記録から思想分析、封印対象となった彼の生い立ちまで全てをまとめました。」
「おい!お前、封印て…、機密資料ってことだろ?」
資料をランシングのデスクの上に置いたリロイは狼狽するランシングに静かに告げた。
「我々はそこまで覚悟があります。大佐には御座いますか?彼が我々を導いた先の世界で責任を追う覚悟…、いえ、生き残る自信が…!」
もうこれ以上、言えることはなかった。オフィスの中に暫くの間、沈黙が流れた後、ランシングは深い溜め息を付きながら、椅子にもたれかかった。
「君には負けたよ…。良いだろう。確かにメイナードは今、タイで秘密作戦の指揮を取っている。だが、その行動は我々の意思によるものだ。彼の意志ではない。」
「彼は"シンボル"の作戦を利用するつもりです!」
「我々の…、組織の作戦を利用するだと…?」
即答したリロイに、ランシングは問うた。
「それで奴の狙いは何なのだ…?」
「彼の生いだちに関する資料を読めば、自ずと分かるはずです。」
静かに答えたリロイの言葉に、「生いだちだと…?」と疑るような声を出したランシングはリロイが持ってきた資料に目を通し始めた。
「まさか…。」
しばらく、紙のページをめくる音だけが部屋の中にした後、ランシングはそう言って、両手で頭を抱えた。
「我々は一体…、何という男に、この任務を任せてしまったのか…。」
どれほど訓練とシュミレーションを重ねても軍事行動に、こと特殊作戦に限っては不慮の事態はつきものだった。タイの基地を離陸して、二十分ほど経ったころ、司令室とヘリコプター部隊の無線交信に異変が生じた。
「こちら、イーグル・ワン。右エンジン出力低下。フットペダルの反応も弱い。何らかの異常で油圧が下がっている模様。」
「こちら、コマンド。目標地点には辿り着けそうか?」
「分からない。だが、予想以上に状況は悪いようだ。」
ブラックホークのパイロットが自信なさげにそう言って、無線交信を閉じたのと同時に、今度は隊列の最後尾につくアパッチとの回線が開いた。
「こちら、ヴェノム・ツー。イーグル・ワンの機体後部より黒煙を認める。オーバー。」
唐突の事態に返答に困って、こちらを振り返った通信士の代わりにメイナードが無線に出る。
「イーグル・ワン、こちら、コマンド。目的地までは飛べそうか?」
「コマンド。きついかもしれません…。少なくとも基地まで往復することは不可能でしょう。」
イーグル・ワンのパイロットの苦しそうな声を聞いて、数秒の間、メイナードは沈黙とともに、次に取るべき行動を考えた。再度、出直すべきか、それともウィリアム達のブラボー分隊だけでも行かせるべきか…。思索の後、周囲の通信士達が自分の顔を見つめる中、意を決したメイナードは無線の回線を開き、命令を伝えた。
「了解。イーグル・ワン、即座に方向転換し、基地に戻れ。無理だと思ったら、不時着しろ。他の三機は所期の予定通り、目的地へ向かえ。」
「イーグル・ワン、了解。帰投する。」
イーグル・ワンに続き、他の三機のパイロット達からの返信を聞いたメイナードは通信交信を閉じて、目の前の壁にかけられた各ヘリコプターの位置を地図上で示した電子板を見つめて沈黙した。
「戻るのか?」
機長からの突然の通告に兵員室にいたサンダースは隊内無線に思わず、聞き返した。その声に反応して、他の隊員達が一斉に彼の方を向く。
「ええ…。申し訳ありません。エンジンが不調なもんですから…。」
無線の向こうからパイロットの苦しそうな声が聞こえる。
「ウィリアムは…、ブラボー分隊はどうするんだ?」
「他の三機は予定通りに動きます。」
たった八人で…、無茶だ…。
そう頭の中で思った次の瞬間、サンダースは隊内無線に叫びこんでいた。
「頼む!何とか着陸して、俺らだけでも向こうのブラックホークに乗せてくれないか?」
「無理です!敵勢力圏内ですよ!いつ、襲撃されるか分かりません。」
そんなこととんでもない、といった声色のパイロットにサンダースは頼み込んだが、返答は非情なものだった。
「頼む!そこを…。」
「駄目です。コマンドの許可が得れません。」
くそ…、と毒づいたサンダースは一瞬の思考の後、パイロットとの無線交信を再び開いた。
「イーグル・ツーとの回線を繋いでくれ。」
「おい!イーグル・ワンが方向転換して帰っていくぞ!」
イーグル・ワンのブラックホークと並行して飛行していた左側の窓に張り付いていたトム・リー・ミンクが叫ぶと同時に、ブラボー分隊の隊員達は一斉に彼と同じ方向の窓に飛びついた。
「ローターの下あたりから、黒煙みたいなもんが出てるな…。」
夜闇の中、遠ざかっていくブラックホークを見つめながらアーヴィングが呟いた時、ウィリアムの隊内無線が開いた。相手はイーグル・ワンに乗るサンダースだった。
「ウィリアム…、すまん…!我々は作戦に参加できない!」
ヘリの不調だ、基地に帰還せねばならん…、と続けたサンダースの声に、ウィリアムは自分の方を見つめる隊員達の顔を見返した後、「我々は…、大丈夫です。」と静かに答えた。
「健闘を祈る…!」
そう静かに言った後、「助けが必要になれば、いつでも救援に行く!」と無線の向こうから付け加えたサンダースに、
「ありがとうございます。任務は必ず成功させます。」
と残したウィリアムは無線の回線を閉じた。二人の分隊長の交信を聞いていた七人の隊員達の顔は緊張で強ばっていた。