第四章 三十話 「待ち伏せの決定」
文字数 3,156文字
「敵の指揮所と思われる地点はこことここ、両方ともここからは七キロしか離れていないのか…。前線監視所からなら一〇七ミリ重迫撃砲でも十分狙えるかもしれないぞ…!」
捕虜の男が手にしていた書類の情報を基に地図上に描き出された敵の拠点位置を確認していたアールが独り言ちたのと同時に、先程の男に対する尋問を終えたタン中将の副官が指揮所テントの中に入ってきた。
「奴が吐きました!本隊の攻撃開始は明朝六時。それに先行して今から数時間後に戦車、装甲車を装備した先遣中隊が威力偵察を行う予定だそうです。」
頬に捕虜のものと思われる返り血が付着している副官の横顔を見て、先程の凄惨な拷問を思い出したウィリアムは目を背けたくなったが、その非道な行いがあったおかげで自分達の死地を切り開くかもしれない有益な情報が得られた事もまた否定できない確かな事実だった。副官は男から得られた他の情報も指揮所の全員に共有した。
「車両二十両、兵員五〇〇人、先遣部隊とはいえ、我々の戦力の数倍はあるな…。さて、どうする?大尉。」
副官の報告をまとめ、試すような視線をこちらに向けてきたタン中将に向き直ったウィリアムは毅然とした態度で返答した。
「先制攻撃をかけます。敵が奇襲を予想せず、尚且つ未動きが取れない一本道の途中で敵の車列の前後を押さえ、敵が混乱状態から抜け出すよりも先に集中攻撃を叩き込んで無力化する。これしか我々が優位に立つ術はありません!」
自分の問いにはっきりと答えたアメリカ人士官の提言に深く頷いたタン中将は「私も同じ考えだ。」と同意の念を示すと、続いて副官に問いを投げた。
「敵先遣中隊の進行ルートは分かるな?」
「はい、男が吐きました。」
即答した副官の言葉に、よぉーし、と気合を入れる声を出したタン中将は竹の枝を流用した指揮棒を手にとって、大机の上に貼り出された作戦地図を叩いた。
「その進行ルート上で待ち伏せに最適と考えられる候補地点を全て上げよ!」
総指揮官の威勢の良い声に活気のある返事をするとともにARVNレンジャーの幹部達は作戦地図に取り付いて作業を始めた。例え絶望的な状況でも指揮官が不安を見せず、逆に小さな希望さえも大きな好機と捉えることができれば、部下達の士気を高めることができるのだという実例を目の前で見せつけられたウィリアムはタン中将の傍らに歩み寄ると敬礼をした。
「それでは我々は攻撃のための装備を準備をして来ます。」
ウィリアム達の方にゆっくりと体を向けたARVNの中将は、うむ、と頷いた。
「宜しく頼みたい。奇襲部隊の指揮は貴方がたに任せることになろうからな…。」
タン中将の言葉に「心得ております」と返し、敬礼を解いたウィリアムはアールを引き連れて、指揮所テントの外へと出て行った。
「あの副官が聞き出した、敵の先遣部隊が来るというルートは本当に正しいのでしょうか?」
指揮所から掩体壕に戻る途中でアールが不安気な顔をウィリアムに向けた。無理もないであろう。得られた情報はたった一人の捕虜から、それも手荒な拷問によって引き出されたものなのだから…。
「信じるしかない…。」
ウィリアムは部下を安心させる言葉をかけてやりたかったが、偽りを交えずに返せる言葉はそれだけだった。
掩体壕の中に戻ると、指揮所に向かった時と同じようにイーノックとユーリは相変わらず、それぞれ壕の反対側の壁にもたれ掛かって俯いているままだった。ユーリを守るかのように彼の傍らの簡易ベッドに座り、それぞれの作業をしつつも、イーノックに警戒の注意を向け続けていたリーとアーヴィングはウィリアムとアールが壕の中に戻ってくると同時に起立し、直立不動の敬礼を為した。その動きに反応してか、イーノックとユーリも顔を上げて、壕の中に入ってきたウィリアム達の方を凝視した。部下達に敬礼を返したウィリアムは彼らが聞けなかった指揮所での情報を話し始めた。
「ご苦労。まだ、皆それぞれに動揺や迷いがあると思うが、どうやら敵は我々の心の準備が整うのを待つつもりも、ましては我々が逃げ出すのを許すつもりもないらしい。」
そう言って、話を切り出したウィリアムは部下達に指揮所での話を全て伝えた。敵の本隊の総規模は一万人近い大部隊であること、しかしながら敵の前線指揮所は想像よりも距離が近く、ARVNレンジャーの装備する重迫撃砲でなら攻撃可能かもしれないこと、また敵の先遣部隊が迫っており、それに対する待ち伏せ攻撃が決定したこと…、それら作戦会議での協議事項を話し終えたウィリアムに最初に質問をしたのは、やはり好戦的なトム・リー・ミンクだった。
「待ち伏せ地点はどこでありますか?」
二十発弾倉を装填したXM177E2カービンを抱え、既に戦闘態勢に入っているリーを見て微笑んだウィリアムは「今、敵の進行ルートを元にタン中将の副官達が考案してくれている。」と返した。
「後は捕虜が漏らした情報が正しいかどうかですね…。」
狭い掩体壕の中で高身長の頭を天井にぶつけないよう、腰を折った状態で腕組みをしているアーヴィングは先程のアールと同じ不安を漏らした。
「そこは信じるしかない。」
やはり、アールに言ったのと同じ返事を返したウィリアムは部下達に本題を切り出した。
「タン中将は我々に待ち伏せ部隊の指揮を任せると仰った。当然、この陣地の防衛がある関係上、全員は出せない。そこでアールと話し合った結果、彼を部隊指揮官として二人を我が隊から出すことになった…。リー、アーヴィング、お前達だ。」
指名された二人の部下は動揺した様子で「いや、しかし…。」と呻いた。勿論、彼らは戦いへの恐怖のために狼狽えた訳ではない。むしろ、この八方塞がりの状況を打開するためなら、彼らは戦闘でも何でもすぐにしたいと思っていたが、二人が動揺したのはウィリアムがイーノックをユーリとともに残すと決断した事にあった。
「大尉、それでは…。」
異を唱えようとするリーの言葉をウィリアムは右手を前に出して制した。そこから先を口に出させては、イーノックの士気を今以上に下げる事になる。現在の追い詰められた状況では一人でも優秀な戦力が必要だ。そのためにウィリアムは今以上、戦力を失わないための行動を取ったのだった。
「大丈夫だ、私も居る。ここの事は私とイーノックに任せて、お前達は敵の先遣部隊を全力で叩いてくれ。」
分隊長にそう説得された上でも更に反抗するほど、リーもアーヴィングも未熟な兵士ではなかった。
「了解しました!」
「任せといて下さい、ベトコンどもの死骸の山を築いてやりますよ!」
返答と同時に二人の部下が装備の準備始めたのを確認したウィリアムは「私は指揮所に戻って、中将達と作戦を協議する。」と伝え、掩体壕の出口へと踵を返したが、一歩目の足を踏み出そうとした瞬間、何かを思いついて部下達の方を振り返った。
「アール。」
「はい。」
その瞬間、何の予感かウィリアムの胸の中に静かな痛みが風のように走った。これが見納め…、胸中に走った根拠のない胸騒ぎに一瞬の間、囚われそうになったウィリアムは直ぐに目の前の課題に意識を引き戻すと、要請をアールに伝えた。
「出来れば、敵の本拠地を割り出したい。捕虜でも情報書類でも回収できそうなら持ち帰ってくれ。余裕があればで良い。」
「了解しました。」と返答して敬礼をした部下の姿を背中に、ウィリアムは先程感じた予感がジョシュアを亡くす前の胸騒ぎと同じだと気付いていたが、何があっても己の正義を貫くと決意した彼は後ろを振り向くことなく、分隊の掩体壕を後にした。