第四章 三十七話 「アンブッシュ」
文字数 4,188文字
そうなれば、部隊は全滅する…。
死そのものに対する恐怖とともに、残してきたウィリアムへの責任を果たせないことに対する恐れるアールの神経を逆撫でするように、待ち伏せ地点まで五十メートルの距離に接近したヘリコプターの羽音と車両群のエンジンの振動が地面を震わせて轟き、アールは何としても作戦を成功させなければならないという覚悟を決めた。
アールは右肩にM18無反動砲を抱えた状態で左手に持った軍用ペンライトの光を用いて、左側に数メートルほど離れた位置で積み上げた土嚢とブローニングM1919A4重機関銃とともに攻撃開始の時を待っている南ベトナム陸軍兵士達に攻撃準備のサインを送った。無言のそのサインを確認した他の南ベトナム軍兵士達もアールの周囲で各々の武器を手に攻撃態勢に移り、本隊に砲撃支援を要請する無線兵はアールの隣に移動してきた。
もう三十メートルもないほどの距離に接近してきた五九式戦車の、地響きのような低く重たいエンジン音が熱帯の夜気を震わせ、アール達の背後から鳥達が一斉に飛び立った。その姿を見やったアールは傍らの無線兵と本隊に対する迫撃砲の攻撃ポイント指示に関して、最後の確認をすると再び目の前の小道に視線を戻した。
戦車が更に近づいてくる。腹の底に反響する地響きと小道を照らすヘッドライトの光がますます強くなり、アールは中腰の状態から腰を少し浮かせ、五七ミリ無反動砲の発射筒を構えた。左に数メートル離れた位置でM1918BAR軽機関銃とM2カービンを手にした二人のARVN兵士も臨戦態勢に入るのが視界の隅に映る。
更に十数メートルの距離にまで接近した車両群のエンジンとヘリコプターのメインローターが発する激震がアール達の周囲に生える熱帯林の太い幹までも小刻みに震わせる。
「遂に来たか…。」
そう独り言ちたアールが無反動砲の安全装置を解除した瞬間、待ち伏せ部隊の目の前を覆う黒い闇が白い閃光で満たされ、ヘッドライトの双眼を灯した鋼鉄の怪物が夜の闇の中から姿を現した。
「来やがったな…。」
アールは無反動砲の発射に備えて、右横に着く無線兵に頭を低くさせ、本部への一発目の砲撃指示を最初の無反動砲攻撃の直後に出すよう、ハンドサインで伝えると、敵の先頭車両を注視した。
平べったい形状の砲塔に一〇〇ミリ・ライフル砲の主砲を要した中国製MBT、五九式戦車はその砲塔の上に数人の北ベトナム軍兵士を乗せており、上空からのサーチライトの加護の下、ゆっくりとした速度で砂利の小道を踏みしめながら前進していた。
アールは電源の残量の少ない暗視ゴーグルを装着すると、敵車列の更に詳細な偵察を開始した。ヘッドライトを煌々と点灯しているのは、まだこちらの監視網を警戒していないからなのか、それとも敵の戦意を挫くためにあえて見せびらかしているのか、主力戦車の砲塔上に乗った北ベトナム軍兵士達は警戒の目線を周囲に向けてはいるものの、暗視装置の類いは身につけておらず、上空の小型偵察ヘリによるサーチライトの探索も限定的なものであり、そのお陰でアール達は藪の中に姿を隠し続けることができた。
アールは先頭の五九式戦車から数メートル離れた後方を追走してきているPT-76水陸両用戦車にも暗視装置の視線を移したが、こちらも先頭のMBTと同様に砲塔上に数人の兵士が乗っているだけで警戒の態勢を取っているようには見えなかった。
地響きとエンジンの唸り声の大きさが頂点に達し、目の前の小道を五九式戦車が行き過ぎようとする。敵車列の偵察を終え、攻撃の算段を瞬時に立てたアールは無反動砲を敵主力戦車に向けて構え、緑がかった視界の中で照準を装甲の最も薄い砲塔上部につけた。
悪く思うなよ…。
これから始まる凄惨な戦闘を予感し、視界の中の敵兵士達にも同情と哀悼の念を胸中に念じたアールは無反動砲のトリガーガードにかけた指を滑るように引き金に移動させると、躊躇うことなく、そのまま押し込んだ。
ジャングルの暗闇の中で突如、弾けたバックブラストの白煙と破裂音に、五九式戦車の砲塔上部に乗った北ベトナム軍兵士達が緩んでいた意識を迎撃へと集中させるよりも早く、彼らの傍らに突き刺さった五七ミリ無反動砲弾は弾頭に装填されたM306A1榴弾を炸裂させ、敵主力戦車の砲塔を随伴歩兵もろとも損傷した。車列の先頭で突然生じた爆発に先遣部隊の兵士達全員が状況を知ろうとしたのと同時に今度は車列最後尾のCA-30大型トラックが四〇ミリグレネード弾の直撃を受け、搭載していた燃料・弾薬を巻き込みながら、赤く立ち昇る炎へと姿を変える。
事態を把握できぬまま、先頭と最後尾の車両を潰された先遣部隊の北ベトナム軍兵士達が前後を挟まれて身動きがとれなくなった窮地を察知するよりも先に、今度はジャングルの中に潜んでいた伏兵達の機関銃がマズルフラッシュの閃光を上げた。車列の先頭ではブローニングM1919A4重機関銃の猛射が荒れ狂い、六三式装甲兵員輸送車やその後ろに続く輸送車両から飛び出した兵士達に襲いかかる一方で、車列の後端ではアーヴィングのストーナー63A汎用機関銃と南ベトナム陸軍兵士の撃つM60機関銃の掃射が、トラックから飛び出したものの、状況をつかめず立ち往生した北ベトナム軍兵士達を次々と撃ち倒し、続いてリーのM203から放たれた二発目の四〇ミリグレネード弾が燃え上がったCA-30大型トラックを押し出して、脱出路を作ろうとしていたM35軍用トラックの荷台に直撃し、新たな爆発の炎が車列後端に更なる混乱を引き起こした。
だが、北ベトナム軍先遣部隊に対する試練はそれだけで終わりではなかった。追い討ちをかけるように今度は夜空の暗闇が真昼のごとく明るく輝き、一〇七ミリ迫撃砲から放たれた照明弾が反撃に出ようとした北ベトナム軍先遣部隊の視力と注意を奪ったのだった。
ブローニングM1919の猛烈な機銃掃射が敵を打ちのめし、隣ではARVNの狙撃手が反撃しようとした六三式装甲車の機銃手をスプリングフィールドM1903A4スナイパーライフルでヘッドショットしていたが、攻勢が成功しつつある状況でもアールの心情は穏やかではなかった。
「くそ、やれなかったか!次弾装填、急げ!」
背後につく装填手がM18無反動砲の砲筒後部を開いて、次の五七ミリ砲弾を装填する中、アールは無反動砲を砲塔の燃え上がる敵戦車に構えたまま、スコープの狙いをつけ続けていた。十字線が描かれた視界の中では先ほどの一撃では破壊しきれなかった五九式戦車が茂みの中の襲撃者に向けて、砲塔をゆっくりと動かしているのが映っていた。
「急げ!」
アールは背後の装填手に英語で叫んだ。言葉は分からなくても、剣幕と状況から言っている意味は理解できた装填手は蒸気を上げる発射済みの無反動砲弾をを排出し、次弾を装填しようとしたが、緊張で手が震えてしまって、うまく弾頭が発射筒の中に入らない。
「Fuck…!」
その間に砲塔をこちらに向けた戦車は一〇〇ミリ・ライフル砲の仰角をアール達に合わせようとしていた。
間に合わんか…?
一時待避し、体勢を立て直してから攻撃するかどうか、アールが一瞬迷った瞬間、「オーケー!オーケー!」という片言の英語とともに装填手がアールの左肩を叩いた。後方確認するもなかった。既に照準をつけていた五九式戦車の砲塔・主砲上部に向けて、アールは無反動砲の引き金を引き切った。
猛烈な後方噴射煙とともにM18無反動砲の砲口から五七ミリ無反動砲弾が発射されたのは、五九式戦車の砲塔内部で北ベトナム軍の戦車兵が照準をつけた目標に主砲を撃ち込もうととした時だった。発射筒内部に一時的に滞留した燃焼ガスが高めた砲腔圧力によって、秒速一五〇メートル近い高速で撃ち出された無反動砲弾は三十メートルほどの距離を一瞬で飛翔すると、既に一発目の対戦車弾の直撃で弱っていた五九式戦車の主砲上部に命中した。鋳造鋼板の装甲を貫通して、砲塔内部でM306A1榴弾の炸薬を散らした無反動砲弾の爆発が戦車の車内を荒れ狂い、乗員達は自分達の死を自覚することもできないまま、炸裂した対戦車弾の破片によって、一瞬にして体を引き千切られた。無反動砲弾の爆発の炎と衝撃波によって、内蔵の一〇〇ミリ砲弾や機銃弾を誘爆させた五九式戦車は鋳造鋼板の砲塔を散らした後、更に逃げ場を探した爆発の炎と圧力によって、運転席ハッチと車体下部からも紅蓮の炎を吹き出して、総重量三十六トンの車体を宙に浮き上がらせた。
敵部隊にとって虎の子の五九式戦車が激しく燃え上がるのを確認したアールは一瞬の安堵を感じたが、次の瞬間、戦車を包んだ炎の中から飛び出してきた一〇〇ミリ砲弾の姿を見た彼は目の前に迫った死の気配に体を強張らせ、眼を見開いた。
「伏せろ!」
無反動砲弾がヒットする直前、北ベトナム軍戦車兵が撃ち込んだ最期の置き土産、敵戦車の主砲弾が頭上ギリギリを掠め、熱気が首元を焦がす感覚の後、アールは地面を震わせた震動に顔を上げた。僅かに照準がずれていた戦車砲弾はアール達の後ろ百メートルの位置に着弾して、紅蓮の炎とともにジャングルの木々を黒色土ともども亜熱帯の夜空に巻き上げた。
運が良かった…。
すぐ側を走って去っていった死の気配に安堵すると同時に電池切れになった暗視ゴーグルを外したアールは傍らの装填手に更に次弾を無反動砲に装填することを命じると、手にした対戦車兵器を燃え上がる五九式戦車の残骸の後ろで立ち往生するPT-76水陸両用戦車に向けた。その上空では南ベトナム軍の陣地から撃ち出された一〇七ミリ迫撃砲弾が夜の闇に覆われた空に白い硝煙の軌跡を残しながら、甲高い降下音とともに続々と落下してくる情景が広がっていた。