第四章 三十五話 「"正義の語り手"が与えた答え」

文字数 3,662文字

「"語り手"を失い、人生で一番大切だった親友まで失っても、私は未だに"語り手"の与えてくれた答えが分からない…。」
遠い過去の記憶を語り終えたウィリアムは頭上に広がる星空を見上げながら独り言つように言った。数秒か数分か、湿った静寂が流れた後、上官の封印していた心の苦しみを知ったイーノックがウィリアムと同じように夜空を見上げて、口を開いた。
「"語り手"が大尉に与えた答えが何なのか、僕には分かるような気がします…。」
想像していなかった部下の言葉に思わず、その顔を見つめたウィリアムの横でイーノックは星空を見上げたまま続けた。
「"語り手"は大尉に答えの出ない正義の問いを出し続けた。それはきっと、この世界は相容れない正義が対立し合ってできていて、その中で僕達はどちらの正義を取るか常に選択を強いられているということを伝えたかったんじゃないかと思うんです…。」
部下の考えをウィリアムは口を挟むことも否定すこともなく、静かに聞き続けた。
「そして、どんな時も大尉の答えを否定しなかったのは、そんな選択の連続の中で悩み抜いた結果、選んだ正義が生み出した結果は例えそれがどれだけ酷いものであったとしても間違いであることは無いのだと…、そう伝えたかったのではないでしょうか?」
"語り手"は何らかの一つの定義に基づいた正義を教示してくれると思っていた…。その思い込みのせいで考えもしなかった部下の考察を聞き、呆然とした表情のままで宙空を見つめたウィリアムは納得した様子で独り言ちた。
「だからこそ彼は、答えは既に与えている、と言ったのか…。」
どちらが正しいのか選びきれない選択だったとしても、常にその選択に全力で臨み、答えを出そうとすること、人生や世界に対するその姿勢こそが絶対的な正義なのだと"語り手"は伝えたかったのかもしれない。
どんな時でも正しい絶対の正義など無い…。だが、どんな時にも貫くべき正しき人生の生き方はある…。
直ぐ側にあったのに気付かなかった"語り手"の真意に部下の言葉で初めて気付かされたウィリアムはその瞬間、この数年間心の中に住み着き続けていたトラウマ、そして"彼"の幻影が消えていくような気がした。
「ありがとう…。」
礼を言い、部下の顔を見たウィリアムの目は涙に濡れていた。そして、その感謝の言葉は部下だけでなく、心の中から去り行く"親友"にも向けられたものだった。
ありがとう、友よ…。君が居なければ、私はこの正義を見つける事はできなかった…。
亡き友に対し、胸中に感謝を告げたウィリアムは涙をしまい込むと、瞬時に指揮官としての顔を取り戻し、もう一度イーノックの顔を見返した。
「そろそろ時間だ。アール達の援護の準備をするぞ。」
過去と向き合い、数年間に及ぶ悩みを断ち切った上官に敬礼で感謝と敬意を伝えたイーノックは踵を返すと、南ベトナム軍が待ち伏せ部隊を援護するために一〇七ミリ迫撃砲を準備している方へと走って行った。その背中を見送ったウィリアムに、このベトナムへ戻ってくる前までの迷いは既に無かった。

アール達が黎鄭勝(レ・チン・タン)中将から借りた二十人の南ベトナム軍兵士とともに、敵の先遣部隊がやって来るという北西の方角に陣地を出発してから五時間ほどの時間が経過していた。暗く高い夜空には星々が眩いばかりの輝きを発しており、アメリカで見るよりも大きく近くに見える三日月が赤黄色の光を灯している下では、アール・ハンフリーズが十人のARVN兵士とともに、周囲より小高くなった丘の茂みの中に身を潜めて、目の前の小道に敵の先遣部隊の車列が現れるのを待ち伏せしていた。
アール達が隠れている小道の反対側は湿地帯になっており、車両の走行には向かない地形であるため、敵の車列は通らないと思われたが、来たるべき"作戦"のためにアール達はそこにも幾つか仕掛けを設置しておいた。M14対人地雷、大型の飯盒のような形をした歩兵用の非金属性地雷と重戦闘車両用のM19対戦車地雷、合計三十基以上のトラップを仕掛けてある。小道の右側、アール達が陣取っている位置は高さ三十メートルほどの崖を挟んで丘になっており、襲撃を受けた敵車両が回避するのは湿地帯の側しかないという判断からの地雷敷設だった。
「果たして敵はどれほどの規模だ…?」
全ての準備を終え、茂みの中に身を隠したアールはストーナー63のグリップを握りしめながら独り言ちた。敵の車列は二十両程と聞いているが、それがたった一人の敵から聞き出しただけの情報である以上、どの程度の信憑性があるのかは懐疑的だった。
もしも三十両以上の車両が来れば、太刀打ちできない…。
胸中に一抹の不安を感じながら、アールはリーとアーヴィングも同じような憂慮を抱いているだろうなと思った。二人はアール達の待ち伏せ位置から左手に数百メートルほど進んだところで、アールの部隊と同じように道の右側の丘の上で待ち伏せの態勢についているはずだった。
敵車列の先頭と最後尾を同時に奇襲し、右手は崖、左手は地雷原の湿地帯に囲まれた敵を混乱の内に殲滅する…。その時は本隊からの重迫撃砲による援護砲撃も予定されていたが、それでもアールは不安を感じずにはいられなかった。より敵部隊が来る位置に近い場所で待ち伏せしているリーとアーヴィングにも確認を取りたかったが、現在は敵に作戦を知られないために無線封鎖を続けている状態であり、その欲求を満たすことはできなかった。
待ち伏せの準備を整え、来るかも分からぬ敵を待ち続けて一時間半、痒いところに手が届かぬもどかしい思いを募らせながら、敵の先遣部隊を待っていた時、アールは視界の隅で不意に左手の茂みが動いたような気がして、グリップを握っていたストーナー63LMGを寝転がった状態のままで、そちらに構えた。
まさか、敵…?
アールが伏兵の気配に危険を察知し、動いた茂みに向かって、軽機関銃を掃射しようとした時、背の高い象草を揺らして、トム・リー・ミンクが飛び出してきた。
「味方だ!撃たないでくれ!」
そう叫びながら藪の中から飛び出してきたトム・リー・ミンクは持ち場から全速力で走ってきたのか、アールの前に辿り着くと、地面に膝をついて肩で息をした。
「危ないだろ!もう少しでお前のことをバラバラにするところだったぞ…!」
部下の軽率な行動に呆れながら、ストーナー63軽機関銃の銃口を下ろしたアールに、何とか息を整えたトム・リー・ミンクは報告を伝えた。
「すみません!三キロほど先に敵と思われる車列を発見しましたが、通信傍受の可能性もあって無線機が使えず、急いで走ってきたもので…。」
「敵の車列だと?規模はどのくらいだ?」
急かして聞くアールに、一度呼吸を整えて顔を上げたトム・リー・ミンクは僅かに躊躇うような様子を見せながら口を開いた。
「情報通り、車両は大小合わせて二十両余りです…。ですが、上空にはヘリが一機ついています…。」
「ヘリが…?」
思わず聞き返したアールにリーは偵察で得た報告を続けた。ヘッドライトの数から車両の数は十五両から二十両。その上空五十メートルほどを一機のヘリコプターが飛行しており、地上部隊と連携しながら、サーチライトの光で車列の前方を照らしているという。
「本隊を総攻撃するには数が少なすぎるな…。情報通り、威力偵察が目的の先遣部隊か…。」
アールは耳を澄ませたが、ヘリコプターの羽音はまだ聞こえず、聞こえてくるのは虫の鳴き声と風の音だけだった。周囲が平地で音を反響するような山が無いことも影響しているだろうが、この静音性は小形の偵察ヘリだな、とアールは推察した。
「進行速度からして、ここにたどり着くのは二十分後かと…。」
リーの報告を聞いて、遂に来たるべき戦いが目の前に迫ったのを実感したアールは高ぶる緊張感と闘争心を胸に抱きながら部下に指示を出した。
「既定の作戦通り、アンブッシュの最終チェックを済ませろ。敵の戦力は我々の数倍だと言う事を忘れるな。最初の攻撃を失敗すれば、俺達は全滅するぞ。」
上官から戒めの言葉を受けたトム・リー・ミンクは敬礼を返すと、XM177E2カービンを抱えて、再び藪の中に飛び込んでいった。その姿を見送ったアールは周囲で待機するARVN兵士達にハンドサインを出し、先程までのリーの報告を伝えると同時に臨戦態勢を命じた。その指示を十数メートルほど離れた位置で見た南ベトナム軍の機銃手達が設置したブローニングM1919A4重機関銃のチャージングハンドルをコッキングして、弾帯ベルトの初弾を薬室に送り込む一方で、アールは傍らに横たえていたM18 五七ミリ無反動砲を持ち上げた。タン中将の部隊で唯一の対戦車兵器であるクロムスキット式無反動砲の砲筒後部を開いたアールは南ベトナム軍兵士から受け取った砲弾を装填すると、砲筒のロックを閉め、再び無反動を自分の傍らに置いた。
「来るなら来い…。」
最初の奇襲に失敗すれば全滅する…。余りにも大きな危険を胸の中で闘争心に変えながら、アールは独り言ちた。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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