第二章 十五話 「夜営」
文字数 3,036文字
「敵影、なし。サーマルモニターの目にも不審な熱源は認められません。」
熱帯樹の上に登り、二本の防水ケーブルで外部バッテリーから電力を供給する大型暗視装置を先端に装着したライフルスコープの目で、闇に包まれたジャングルの中を監視していたイアンは、周囲に不審な動きがないことを確認して、隊内無線に定時連絡を告げた。
目標地点までは、まだ距離があるので、ブラボー分隊の隊員達は小山の頂上付近に見つけた洞窟に臨時の野営キャンプを作って、四人ずつが三時間ごとに交代で仮眠を取り、監視任務につく体制で夜営していた。
現在、監視にアールとリー、イアンとクレイグがつき、他の四人は洞窟の中で休眠を取っている。イアンが高所に付き、広い視界を確保しようとしたものの、ジャングルの生い茂った草木がその視界を邪魔したため、四人では監視しきれない範囲にはワイヤートラップ式のM18クレイモア指向性対人地雷の他、AN/GSS-9動体探知機などを仕掛けてカバーしていた。
「こちら、サブリーダー、了解した。こちらも異状なし。リー、クレイグ、異常ないか?」
イアンの隊内無線に答えたアールが同じく警戒につくリーとクレイグにも問う。
「異状なし。」
「こちらも異状なし。」
暗闇と静寂の中、隊内無線に静かな返答が返ってくる。未だに動体探知機や仕掛けたトラップも沈黙したままだ。
「了解した。あと、一時間で交代だ。気を緩めるな。何者も見逃さぬよう、目を見開いて警戒を続けろ。」
ジャングルの暗闇の中を見回した後、そう返したアールは隊内無線を閉じ、傍らのストーナー63LMG軽機関銃を抱き寄せると、残り一時間の監視体勢維持の姿勢についた。
アールが監視についている位置から西に十五メートルほど離れた木の根の窪みの中でAKMSを抱いたクレイグは昼間には、その力のせいで不要な動揺を分隊に引き起こしてしまった"感"を働かせて、周囲の気配と動きに意識を集中させていた。彼が六歳の時に起こった事件がきっかけで目覚めたこの能力は体調や周囲の状況に、その感知範囲が影響されるが、特に森林内という状況においては最大で半径五十メートルの範囲にいる生物の気配を感じ取ることができた。久しぶりの戦場の匂いに、かつて戦闘マシーンとして訓練された本能が喜んでいるのか、今は森の中をかける小動物の動きまで、はっきりと感じ取ってしまうクレイグは昼間と同じ過ちを繰り返さぬよう、感覚野に知覚する気配が人でないかをしっかりと確かめながら、闇の中、監視を続けていた。
そんな時、微かに彼の背後で気配が動き、藪の影が揺らいだ。動物や風が移動するような、微かで自然な動きに見せかけているが、クレイグにはそれが人であることが、はっきり分かった。周囲に敵らしい気配もなく、物音のする方を見ていると茂みの中からHK33SG/1を抱いたイーノック・アルバーンが姿を現した。
気づかれずに近づいているつもりだったのか、クレイグと目があった彼は、「准尉、気づいてたんですか?」と微かに驚いた声を出し、「まだまだ、動きが不自然なのかな…。」と反省しているようだったので、「いや、偶然だよ。」とクレイグは嘘をついた。嘘と言っても、よほど感覚の研ぎ澄まされた人間でない限り、彼の動きには気づかないであろうことは事実だ。
それよりも問題は何故彼が今、自分の元に来たかだった。監視の交代はまだ一時間先、何となく理由は察していたが、クレイグは問うた。
「それよりも、お前、なんでここに来たんだ?」
何を当然のことを聞くのか、という風な表情でイーノックが答えた返答はクレイグの推測通りだった。
「いや…、交代の時間なので…。」
暗がりの中ではっきりとは分からなかったが、とぼけたような顔した新兵に、
「交代は、まだ一時間先だぞ。」
とクレイグが教えてやると、イーノックは、
「あれ?そうでしたっけ?」
と言って、キャップ帽越しに頭をかきながら、洞窟の方へと戻ろうとしたので、クレイグはその背中を引っ張り、自分が身を隠す木の根本に引き込んだ。
「あんまり、ウロウロするな。見といてやるから、ここで寝てろ!」
そう言って、強引にHK33SG/1スナイパーライフルを取り上げ、足元にイーノックを寝転がしたクレイグは頭上を見上げた。
その視線の先では月明かりの光がうっすらと掛かった雲の灰白色の輪郭を、ぼんやりと浮かび上がらせていた。夜はまだ長く、日の出は遠かった…。
その同時刻、同時刻と言っても時差でこちらは昼間の午後二時だったが、アメリカ・ノースカロライナ州、シーモア・ジョンソン空軍基地では陸軍の極秘部隊"デルタ"の一個小隊が装備をまとめて、C-130Eハーキュリーズに乗り込んでいた。
「A中隊所属の特別派遣小隊、乗機完了しました!」
目の前に走ってきて、敬礼とともに自分の率いる小隊の出撃準備が整ったことを報告しに来たジェイラス・ダーク大尉に、リロイは敬礼の代わりに「了解した。ご苦労。」と返した。敬礼を解いたダーク大尉が回れ左をして、C-130の方に走っていったのと同時に、今度は自分のチームを率いたコーディがやってきた。
「室長。我々も準備できました。」
「よし、君達はあっちのC-130に乗ってくれ!」
リロイが"デルタ"の乗り込むC-130の向こう側に駐機する別の輸送機を指すと、コーディの部下達はそちらに向かった。
「本当に存在したんですね。"デルタ"は…。」
新型の携対空ミサイルの入ったガンケースを後部ハッチからC-130に乗せる"デルタ"の隊員を染み染みと見つめながら、コーディは呟いた。存在は聞いていたが、本物の隊員達を目にするのは、リロイもコーディも、この日が初めてだった。
「室長。"デルタ"の件をランシング大佐に説得しに行った時、彼に何を見せたんですか?」
問うたコーディの顔を、ちらりと一瞥したリロイは平然とした顔で答えた。
「メイナードの記録だ。君も見ただろう?」
「私が見ることができたのは、封印されていない記録だけです。彼が"ゴースト"に入隊する前、二十代以前の記録は一切見ていません。」
コーディの顔はどうしても真実を知りたいという様子だった。説得の時、封印事項のメイナードの生い立ちを目にした瞬間、ランシングの顔色が一転したのを覚えていたのだろう。部下の顔から目を逸したリロイは微笑をを浮かべ、口を開いた。
「向こうに行けば、すぐに分かる…。だがね、コーディ、彼の出生の記録が封印されたのはね…。」
リロイとコーディの間に、アメリカ東海岸の冷たい冬風が流れた。
「彼はこの世に生きていること、そのものが奇跡だからだよ。いや、彼の生まれを奇跡と呼ぶのはふさわしくないかもしれない…。彼は人が道を踏み誤った時、その犠牲となった七万四千人の声を代弁するために再び、生を与えられたんだ…。」
「声を代弁…?生を与えられた…?」
意図が組みきれず、思わず聞き返したコーディに頷いたリロイは頭上の青空を見上げた。そこには太陽が煌々と輝いていたが、これから向かう亜熱帯の地は、もっと近い場所で太陽が熱く輝いているはずだった。
「そして、彼は自分に課せられた務めを果たそうとしている…。我々は彼がそれを実行する前に止めねばならん…。そうでなければ…、やつはあの太陽の光さえも消してしまうだろう…。」
リロイは、人の為すことなど小さすぎて構いはしない、といった様子で天空に輝き続ける核融合の光を見つめて呟いた。