終章 二話 「亡き親友に宛てる手紙」
文字数 1,381文字
「上佐!」
ノックするのも忘れ、重い扉を勢い良く開けて、慌てた様子で執務室に飛び込んで来たのはブイの副官の潘頼道(ファン・ライ・ダオ)だった。常ならば、無礼を叱るところだが、ファンの余りにも焦燥した様子に、ただならぬ事態の発生を察知したブイは沈黙したまま、話を聞く体を副官の方に向けた。
「サイゴンが…、墜ちました…。」
副官のその一言を聞いた時、ブイは表情一つ変えなかったが、彼の胸の中では奇妙な感情が沸き立っていた。
戦いに勝った…。戦いが終わる…。そのことは喜ばしく、自分の悲願であったはずなのに、心の何処かが去っていた戦いの日々を恋しく思っている…。あれほど終わって欲しいと願った戦争のはずなのに…。
「遂にやりましたね!我々の勝利です!」
満面の笑みで喜び、舞い上がるファンの声に我に返ったブイはまだ若い副官を諭した。
「残念だが、勝利はまだだ。」
ブイのその言葉に驚き、固まったまま、「え…?」と一声だけ発したファンにブイはこれから自分達の国に待ち受けるであろう苦難を説いた。
「考えてみろ、我々の国は二十年間も戦争をし続けていたのだぞ。枯れ葉材と爆撃で荒れ果てた国土は二十年の分裂により、北と南で更に分断が深まった。」
ブイの戒めを聞いて、ファンは何かを察したかのような深刻な表情で沈黙したまま、上官の話を聞き続けた。
「加えて、西には数日前に国家権力を掌握したクメール・ルージュのカンボジアが、いつ国境を越えて侵攻してくるか分からん!そして、北には中華人民共和国も我が国の権益を狙っている!」
今まで以上の苦難が予想される国の未来を思うが故に、思わず語気が強くなったブイは気圧された部下の様子を見て、一つ咳払いをすると、自らの憂いを冷静な言葉で口にした。
「我々がこの国を本当の意味で再建するまでに、あとどれほどの犠牲と時間が必要だというのか…。」
遠いところを見るような目で窓から一望できるハノイの景色を眺めて、そう言ったブイの机の上には一通の手紙が置かれていた。それは戦死した阮公簡(グエン・コン・ジャン)の家族に送る手紙だった。勿論、グエン自身もグエンの家族も、もう既にこの世に居ないのだが、それでもブイにとって、その手紙は旧友との思い出に別れを告げるためにも書かねばならないものだった。
幼き日から同郷で一緒に過ごし、同じ理由で共に戦場に出て、その最期まで見届けた親友…。今は復讐の念から解き放たれて、黄泉の国で家族と穏やかに過ごしていて欲しいと願う親友の生き様を思い出し、心に刻み付けるために、その手紙を書くことは必要なのだった。
あとどれほどの犠牲が必要なのだろうか…。
ファンが敬礼をして出ていった後、ブイは別れの手紙を書きながら、胸中で独り言ちた。
願わくば、私とグエンのような人生を歩む不幸な若者がいなくなる世の中が来ることを望む…。
今のブイにとって、それが唯一の願いであった。