終章 三話 「イーノックが見つけた正義」

文字数 2,218文字

カンボジア・ベトナム国境地帯での激戦からイーノックが瀕死の状態で帰還してから二年…、時は瞬く間に過ぎたが、その間にも世界中では様々な変化が起こった。アジアでは南ベトナムが崩壊し、三十年に渡るベトナム戦争が集結するとともに、米ソの間では地下核実験制限条約が締結され、冷戦は新たな様相を呈しようとしていた。そんな慌ただしい時代の流れの中でアメリカに帰国すると同時に陸軍を除隊したイーノックは当時交際していた女性と籍を入れた後、CIAのリロイのツテから、アメリカの孤児院で匿われていたレジーナを養子として迎え入れたのだった。
もし自分が帰らなかった時は、娘が成人するまでアメリカ合衆国政府が彼女の後見人となり、十分な教育と安全を保証すること…、それがクレイグ・マッケンジーの提示した、あの作戦への参加条件だった…。イーノックはクレイグにせめて戦場で受けた恩を形にして返したいと思い、国に変わって自らがその誓いを果たそうとしているのだった。
今、レジーナは十一歳になろうとしている。イーノック達の前では決して様子に出さないが、仕事に行くと言って未だに帰ってこない父親に何が起きたのか、彼女も悟っているはすだった。イーノックはいつか話さなければならないと考えていた。
君の本当のお父さんは私を守るために命を犠牲にしたんだよ、と…。
だが、その残酷な真実を告げることができないまま、時間だけが過ぎていった。まだ無垢なる少女に戦場の狂気とそれに対決したクレイグの最期を説明するのは簡単なことではなかったからだ。しかし、イーノックは覚悟していた。いつかはクレイグの身に起きたことをレジーナに話さなくてはならない時が来ると…。

二年前にベトナムに旅立った頃と同じ、冬が開けたばかりの初春の二月のある日、イーノックは家族を連れて、ある場所を訪れていた。
アーリントン国立墓地…、アメリカ合衆国の栄光と安全のために多大な貢献を為した軍人だけが埋葬される戦没者墓地である。そこにあの作戦で戦死したブラボー分隊の隊員達の墓もあった。勿論、行方不明となったクレイグ・マッケンジーの墓も…。
レジーナは父親の墓の前で何かを伝えるかのように、静かに目を閉じて佇み続けていた。その後ろ姿を見た時、イーノックは何とも表現できない後悔と無力感に襲われるのだった。
自分には何もできなかった…。恐らくは自らの最期を予期しながらも、敵陣へ一人斬り込んで行ったクレイグの背中を引き止めることができなかった。自分にできるのは彼にとって最愛の娘だったレジーナの身を守ることだけ…。
「すみません…。」
イーノックは戦士達の墓前で静かに涙を流し、彼らの運命を変えられなかった自分の無力さを詫びた。その涙、言葉の意味を妻とレジーナが問うことはなかった。
「ありがとうございます…。」
自分に家族を持ち、平和の中で生きる機会を与えてくれた戦士達に精一杯の感謝の念を伝えたイーノックは静寂に包まれた国立墓地の敷地を後にした。

「本当に軍隊を辞めちゃって良かったの?」
墓地からの帰り道、妻がイーノックに問うた。イーノックは微笑んで静かに頷いた。
「ああ…、今の俺には国よりも守りたい大事なものがあるからさ。」
それを聞いて、妻は嬉しそうな顔をした。だが、イーノックにとって、軍を辞めた理由は他にもあった。
彼は確かめたのだ。自分が求めていたもの、兄が戦場で見たものを…。それを確かめた彼にこれ以上、軍隊にいる理由はなかった。
「幸せに暮らそう、三人で…。」
後ろについてくるレジーナにも微笑み、そう言ったイーノックに妻は静かに頷いた。静かで温かな時間だった。きっと今も地球の片隅では狂気や暴力が人々を苦しめているのであろうが、今の自分にできる精一杯のことは家族と今ここにある幸せを守ることがだけだと、イーノックは思っていた。
全てを守る正義など要らない…。大切な人とその幸せを守ることができれば良い…。
イーノックがそう胸中に決意した時、家路につく三人に心地よい風が吹きつけた。春の到来を知らせる温かい風だった。
「わぁ、もう春だねぇ。」
レジーナと妻は喜んだが、イーノックは呆然として立ち尽くしていた。彼には散っていた戦士達の声が風の中に聞こえたような気がしたのだった。そこにはあの男の声も…。
イーノックは背後の国立墓地を振り返った。その視線の先にはその男の墓もあった。ウィリアム・R・カークス…、全てを救う正義を戦場に求めた兵士、今は会えぬその影がイーノックには見えた気がした。
「僕の正義は戦場には見つかりませんでした…。だけど…。」
きっとどこからか自分のことを見つめているウィリアムにイーノックは自分の決意を伝えた。
「僕の正義はここにある。だから、僕はこの場所で自分の正義の道を生きます…!」
そう言って踵を返すと、妻と娘の後を追ったイーノックの後ろ姿を墓地に葬られた戦士達の魂はいつまでも見守り続けているのであった。

イーノック・アルバーン:生還、アール・ハンフリーズ、ジョシュア・ティーガーデン、トム・リー・ミンク、アーヴィング・S・アトキンソン:戦死、イアン・バトラー:敵に捕縛された後、行方不明、クレイグ・マッケンジー:戦闘中行方不明、ウィリアム・ロバート・カークス:回収ターゲットとともに行方不明…、"サブスタンスX"は回収され、米国内の極秘施設にて厳重管理中。オペレーション「インフィニット・ジャスティス」は以上にて完了…。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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