終章 三話 「イーノックが見つけた正義」
文字数 2,218文字
もし自分が帰らなかった時は、娘が成人するまでアメリカ合衆国政府が彼女の後見人となり、十分な教育と安全を保証すること…、それがクレイグ・マッケンジーの提示した、あの作戦への参加条件だった…。イーノックはクレイグにせめて戦場で受けた恩を形にして返したいと思い、国に変わって自らがその誓いを果たそうとしているのだった。
今、レジーナは十一歳になろうとしている。イーノック達の前では決して様子に出さないが、仕事に行くと言って未だに帰ってこない父親に何が起きたのか、彼女も悟っているはすだった。イーノックはいつか話さなければならないと考えていた。
君の本当のお父さんは私を守るために命を犠牲にしたんだよ、と…。
だが、その残酷な真実を告げることができないまま、時間だけが過ぎていった。まだ無垢なる少女に戦場の狂気とそれに対決したクレイグの最期を説明するのは簡単なことではなかったからだ。しかし、イーノックは覚悟していた。いつかはクレイグの身に起きたことをレジーナに話さなくてはならない時が来ると…。
二年前にベトナムに旅立った頃と同じ、冬が開けたばかりの初春の二月のある日、イーノックは家族を連れて、ある場所を訪れていた。
アーリントン国立墓地…、アメリカ合衆国の栄光と安全のために多大な貢献を為した軍人だけが埋葬される戦没者墓地である。そこにあの作戦で戦死したブラボー分隊の隊員達の墓もあった。勿論、行方不明となったクレイグ・マッケンジーの墓も…。
レジーナは父親の墓の前で何かを伝えるかのように、静かに目を閉じて佇み続けていた。その後ろ姿を見た時、イーノックは何とも表現できない後悔と無力感に襲われるのだった。
自分には何もできなかった…。恐らくは自らの最期を予期しながらも、敵陣へ一人斬り込んで行ったクレイグの背中を引き止めることができなかった。自分にできるのは彼にとって最愛の娘だったレジーナの身を守ることだけ…。
「すみません…。」
イーノックは戦士達の墓前で静かに涙を流し、彼らの運命を変えられなかった自分の無力さを詫びた。その涙、言葉の意味を妻とレジーナが問うことはなかった。
「ありがとうございます…。」
自分に家族を持ち、平和の中で生きる機会を与えてくれた戦士達に精一杯の感謝の念を伝えたイーノックは静寂に包まれた国立墓地の敷地を後にした。
「本当に軍隊を辞めちゃって良かったの?」
墓地からの帰り道、妻がイーノックに問うた。イーノックは微笑んで静かに頷いた。
「ああ…、今の俺には国よりも守りたい大事なものがあるからさ。」
それを聞いて、妻は嬉しそうな顔をした。だが、イーノックにとって、軍を辞めた理由は他にもあった。
彼は確かめたのだ。自分が求めていたもの、兄が戦場で見たものを…。それを確かめた彼にこれ以上、軍隊にいる理由はなかった。
「幸せに暮らそう、三人で…。」
後ろについてくるレジーナにも微笑み、そう言ったイーノックに妻は静かに頷いた。静かで温かな時間だった。きっと今も地球の片隅では狂気や暴力が人々を苦しめているのであろうが、今の自分にできる精一杯のことは家族と今ここにある幸せを守ることがだけだと、イーノックは思っていた。
全てを守る正義など要らない…。大切な人とその幸せを守ることができれば良い…。
イーノックがそう胸中に決意した時、家路につく三人に心地よい風が吹きつけた。春の到来を知らせる温かい風だった。
「わぁ、もう春だねぇ。」
レジーナと妻は喜んだが、イーノックは呆然として立ち尽くしていた。彼には散っていた戦士達の声が風の中に聞こえたような気がしたのだった。そこにはあの男の声も…。
イーノックは背後の国立墓地を振り返った。その視線の先にはその男の墓もあった。ウィリアム・R・カークス…、全てを救う正義を戦場に求めた兵士、今は会えぬその影がイーノックには見えた気がした。
「僕の正義は戦場には見つかりませんでした…。だけど…。」
きっとどこからか自分のことを見つめているウィリアムにイーノックは自分の決意を伝えた。
「僕の正義はここにある。だから、僕はこの場所で自分の正義の道を生きます…!」
そう言って踵を返すと、妻と娘の後を追ったイーノックの後ろ姿を墓地に葬られた戦士達の魂はいつまでも見守り続けているのであった。
イーノック・アルバーン:生還、アール・ハンフリーズ、ジョシュア・ティーガーデン、トム・リー・ミンク、アーヴィング・S・アトキンソン:戦死、イアン・バトラー:敵に捕縛された後、行方不明、クレイグ・マッケンジー:戦闘中行方不明、ウィリアム・ロバート・カークス:回収ターゲットとともに行方不明…、"サブスタンスX"は回収され、米国内の極秘施設にて厳重管理中。オペレーション「インフィニット・ジャスティス」は以上にて完了…。