第一章 十四話 「拒絶」
文字数 1,939文字
帰るように催促されていると感じたウィリアムは焦りに急かされ、口を開いた。
「今日、話しに来たことはそれだけではないんだ。」
和やかだったその場の雰囲気が変わるのをウィリアムは敏感に感じ取ったが、クレイグは心の中の不快感を表情には出さないようにしているようだった。
「分かっているさ…。俺の昔の経歴を見て、リクルートしに来たんだろ?残念だけど、もう俺はあんなに強くない。それに決めたんだ、俺はあの子と...。」
先程の話を聞いていれば、クレイグが再び戦場に戻らないことは明らかだった。だが、このカナダまでやって来たのは、彼の過去を確かめるためではない。ウィリアムは咄嗟に口を開いた。
「アール・ハンフリーズも私の部隊にいる。」
その言葉を耳にすると同時に、クレイグが固まるのが分かった。ウィリアムは畳みかけるように一気に続けた。
「君に辿り着いたのは、ハワードが死ぬ直前に彼に渡すよう、あるライターを手渡したからだ。」
クレイグの表情が曇っていくのが分かった。それでも、ウィリアムは続けた。
「だが、あれは本来、君自身が彼に渡さなくてはならなかったんじゃないのか?」
ハワードがカナダを去った時に、自分がそのライターを手渡したことまで見抜かれているような気がしたクレイグは苛立っていた。
「そんなもの知らないな。大体、俺がそんなものをハワードに渡したなんて一言も言ってないぜ。」
ウィリアムは既にクレイグの言葉を聞いていなかった。
「君自身、まだ終わらせ切れていないはずだ。」
クレイグは胸の中で溢れそうになっている不快感を押し込めながら、なるべく冷静を保った。
「いや、俺はもう新しい一歩を踏み出している。」
「それは嘘だ。君は逃げているだけだ。七年前はハワードに頼り、今はあの少女に自分の影を重ねて、この森の中に逃げこんでいるだけだ。」
畳み掛けたウィリアムの言葉に、ついにクレイグは声を荒げた。
「俺が何から逃げてるっていうんだ!俺は自分から選んで、ここに来た!」
家の中から聞こえてきた怒声に、庭にいるイーノックと少女が窓の方を振り向く。だが、ウィリアムは退かなかった。
「君は怖くて逃げ続けている。あの戦争からも自分の中に潜む悪魔からも!」
「黙れ!あんたに俺の苦しみの何が分かる!」
思わず、椅子から立ち上がったクレイグは、ミニテーブル越しにウィリアムを睨み、怒声をあげたが、すぐに冷静さを取り戻し、椅子に座り直すと、右手で額を押さえながら呻くように声をだした。
「俺はあの子と静かに生きる…。望むのはそれだけだ。だから…、だから、頼む。もう帰ってくれ…。」
もうこれ以上、説得することは今この場所では不可能だと判断したウィリアムは彼の言葉に従った。
森の中の家を去ろうとするウィリアムとイーノックの後ろ姿を、玄関から仁王立ちで睨んでいるクレイグの後ろに隠れるようにして、レジーナは見つめていた。背後を振り返ったイーノックがそれに気づき、笑顔を浮かべて、手を振ると、少女も静かに手を振り返した。
それに気づいたクレイグがふと、レジーナの方を向くと、彼女は小さくなっていくあの若者の後ろ姿を目で追いながら、珍しくその眼に警戒心ではなく、もう少し一緒にいたい、という願望の光を宿していた。自分以外の他人にそんな目を向ける彼女にクレイグは少し驚いた。
「また、あのお兄さんに会いたいか?」
二人の姿と気配が煉瓦の壁の向こうに消えていったのを確認したクレイグは身を屈めて、レジーナに聞いた。その問いかけに二人が消えていった壁の方を見つめながら、少女は静かに、だが、はっきりと答えた。
「あの人…、やさしかったから…。」
肩を落として帰ってくる二人の姿を見てCIAの男はどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「だから、無理だって言ったろう?」
ウィリアムとイーノックが乗ると、車はすぐに山を下り始めた。
「駅に行くかい?」
顔を半分、こちらに振り向け、運転手が聞く。イーノックが確かめるように、ウィリアムの方を向く。ウィリアムは硬い表情のまま、頭を横に振って答えた。
「いや、このあたりに泊まれる宿はないか?」
運転手は前を向いたまま、不機嫌と呆れの両方を含んだ声を出した。
「なんだ。まだ諦めてないのかよ。」
ウィリアムはそんな言葉、耳に入れていないようでフロントガラスの向こうに広がる雪に包まれたイエローナイフの山々を見つめていた。
「まあ、俺はどうでもいいけどよ。」
吐き捨てる運転手。車は雪の残る細い山道を麓に向かって降りていった。もうそろそろ夕刻だ。ウィリアムの見つめる景色の上の空には厚く、黒い雲が浮かんでいた。
今夜は雨が降りそうだ...。