第五章 一話 「圧倒的戦力差」
文字数 2,895文字
揺れる荷台の中、コンパスと地図を照らし合わしながら、アールは現在位置を確認していた。この隠密作戦は敵の指揮所の位置を掴むのが目的なので、自分達の現在位置を見失っては意味がない。
「俺達の陣地からは直線距離でおおよそ四キロほどか…。」
一時間半ほど走ったが、山などの自然の障害物を避けるために道が蛇行していたり、停車している時間も多かったため、直線距離で考えるとタン中将の本陣からは、まだそれほど離れていない。タン中将のARVNレンジャーが持つM30 一〇七ミリ迫撃砲の射程は最大で七キロ、それを越える場所に敵の指揮所があった場合は本隊からの支援は当てにしないで、アール達だけで敵の本部を攻撃する必要があったが、捕虜の吐いた情報を信頼する限りは、敵が指揮所を構えている可能性のある二箇所はいずれも迫撃砲の射程内にあった。
だが、もし自分達だけでやらなければならなくなった時はその時だ。
アールは荷台の後方に準備した物資を振り返った。大量のC-4爆弾にクレイモア地雷…、まだ夜は明けていない。暗いうちに敵陣に潜入できれば、単独での破壊工作も不可能ではない。
アールが完全孤立状態での隠密作戦を想像して、覚悟を決めた時、彼らの乗るトラックが停車した。
「どうした?」
アールが"部隊長"に問うと、"部隊長"は荷台と運転席の間の連絡窓から、運転席の"剽軽者"にベトナム語で何かを話しかけた。"剽軽者"がベトナム語で答えると頷いた"部隊長"はアールの方を向いて、片言の英語で答えた。
「前の車が停まった、それだから。」
「またか…。」
アール達が奪ったトラックで敵の車列の最後尾についてから一時間半、今までにも何度か停車することはあった。どうやら先頭のジープの調子が悪いようで、そのラジエーターの機嫌が直るまで停車していたようだったが、今回は単純な休憩のようだった。
前のCA-30大型トラックの荷台から数人の北ベトナム軍兵士が降り、その内の一人がアール達のトラックに近づいてきた。アールは"部隊長"と"ラジオ"に身を低くするよう伝えると、右腰のホルスターからMk22 Mod0 "ハッシュパピー"を取り出して、その銃口にサプレッサーを装着した。
トラックの運転席の隣にやって来た北ベトナム軍の兵士が車外から"剽軽者"に話しかける。荷台では"部隊長"が身を伏せたまま、アールの脇に寄ってきて、二人の会話を小声で翻訳し始めた。
「ランはどうした、と聞いてる…。」
恐らくは自分達が始末した運転手の名前だろうと、アールは思った。返答した"剽軽者"の声が緊張で上ずり、動揺で早口になるのが言語は理解できずともアールには分かった。
「寝てる、後ろで。」
"部隊長"が翻訳した時、北ベトナム軍兵士が何かを言いながら、荷台の後ろに周って来ようとするのが幌布越しの気配と砂利を踏む音で分かった。もう"部隊長"に男の言葉を翻訳する余裕は無かった。
「くそ…、まずいな…。」
小声でそう独り言ちたアールはサプレッサーを装着したMk22 Mod0 "ハッシュパピー"をトラック後部の荷台入り口に向けて構えた。男の砂利を踏む足音がトラックの後ろに周り、その手が荷台の幌布にかかった瞬間、軽金属を叩くような乾いた音がアールの背後で響き、アールは慌ててMk22 Mod0の引き金にかけた指をトリガーガードに戻した。
"剽軽者"が運転席の扉を叩きながら、何かを叫んでいる。幌布を巻き上げて、今にも荷台の中を覗こうとしていた男の気配が砂利を踏む足音とともに荷台の脇を通り過ぎ、運転席の方へと遠ざかっていく。それでも気を緩めることなく、アールは幌布越しにMk22 Mod0を構えたまま、男の気配を追った。
運転席の脇で足音が止まり、"剽軽者"が男に何かを話しかけた。"部隊長"は緊張でその会話に聞き入っており、翻訳する事を完全に失念している。
北ベトナム軍兵士の男が言葉を返し、"剽軽者"と男が二、三言喋った後、"剽軽者"がトラックの窓から身を乗り出す気配がして、男は上機嫌そうな声を出した。同時に北ベトナム軍兵士の男が吹いていると思われる口笛が聞こえ始め、その口笛とともに男の足音は遠ざかっていった。どうやら男は自分の車両に戻ったようである。荷台の一同は緊張から解放されて、大きな溜め息を吐いた。
「何を話したんだ?」
アールはMk22の銃口からサプレッサーを外しながら、額に脂汗をかいている"部隊長"に聞いた。まだ、緊張が抜けきっていないためか、"部隊長"は片言の英語で通訳し始めたものの、呂律が回っていない。アールはMk22を腰のホルスターにしまいながら、"部隊長"の説明を聞いた。どうやら、"剽軽者"は珍しい煙草を手に入れたと言って、荷台を覗こうとした北ベトナム軍兵士の注意を引いた後、男にその"珍しい煙草"を渡したらしい。もちろん、その"珍しい煙草"というのはアールが待ち伏せ地点に向かう途中で"剽軽者"に与えた米国製の煙草だった。吸ったことのない煙草の味に満足した北ベトナム軍兵士は荷台で寝ているはずの同僚と話すことも忘れて、自分の車に戻ったらしい。
「グッジョブ!グッジョブ!」
連絡窓からそう言って労ったアールに"剽軽者"は頷きながら、「デルヨ。」と片言の英語で言うと、アクセルを踏み、すでに発進した前の車両に続いて、トラックを発車させた。発見されるかもしれない緊張から解き放たれ、溜め息をついて、荷台の床に腰掛けたアール、"部隊長"、"ラジオ"の三人だったが、間もなくして、今度は地面を伝わってトラックを揺らしてきた震動と幌布の向こうから聞こえてくる重鈍な機械音に彼らは再び驚かされた。
アールが荷台後部の幌布を僅かにめくり、外を確かめると、アール達の乗ったトラックとは反対方向に向かう北ベトナム軍の車両部隊が丁度すれ違うところだった。ジープやトラックなどの大小の輸送車両が二十両ほどすれ違った後、戦車や装甲車などの機甲車両が続いた。現在地と彼らの向かう方向からして、行き先は疑いようがなかった。タン中将の陣地だ…。
「北ベトナムの主力部隊か…。」
五九式主力戦車が六両に、PT-76水陸両用戦車が四両、加えてBTR-60PB装輪装甲車が三両、その他にも六三式装甲車が六両…。
すれ違う敵車両の種類と台数を記憶しながら、アールは深い絶望感に襲われていた。先遣部隊の規模から分かっていたが、戦力差が圧倒的過ぎる…。しかも、この車両群も敵主力部隊の本の一部だろう。
彼はこの事実を本部に連絡すべきかどうか迷った。この戦力差では敵の指揮所を叩いたところで勝つのは難しい…。今すぐ陣を捨てて、敵と遭遇しないように撤退することを無線で進言するべきか…。だが、今、連絡したら自分達の存在が敵にばれる可能性が大いにある。それに今さら連絡したところで、あれほどまでの戦力差で包囲されていては、敵に見つからずに戦線を離脱するのも至難の業だろう。
やはり、やり切るしかない…!
無線で窮地を仲間に知らせたい衝動を押さえ、腹を決めたアールは敵車両の数を数える作業に徹した。