第四章 五話 「空戦」
文字数 3,657文字
「八時の方向からも来るぞ!おい、直掩機はどうなってんだ!」
「こちら、フォックス・ファイブ!メーデー!メーデー!墜落します!」
濃い雪雲による悪視界の中でも自分の目しか頼るもののないアメリカ軍輸送機編隊とは違い、地上のレーダー部隊からの連絡により敵位置を正確に知ることができていたMiG-15の要撃編隊は前方の二方向から四機ずつで攻め込んでくると見せかけて、直掩機のマスタングを陽動したところで、後方から接近していた八機のMiG-15が護衛のいなくなったアメリカ軍輸送機部隊に対して一気に奇襲をかけるという高度な戦術で攻撃を仕掛けてきた。自己防衛用の固有武装のないC-47ではMiG-15に応戦することはできず、回避行動すら行えない内に、二機のC-47が三七ミリ機関砲の餌食となって墜落した。
「六時の方向だ!あっ!九時の方向にも!」
「フォックス・セブン!一機、そっちに行ったぞ!上方三〇度、三時の方向だ!避けろ!」
「クソ!直掩機はどうなってる!俺達を援護してくれ!」
丸裸の輸送部隊が八機のMiG-15に次々と撃墜されていく中で、無線から聞こえてきた悲鳴と怒号をマスタングのパイロット達も聞いていなかった訳ではなかった。濃い黒雲に遮られ、再び姿の見えなくなった敵機よりも、後方で襲撃されている本隊を救出するべく、彼らは機体を反転させ、後方に戻ろうとしたが、その行動が逆に仇となった。反転したことで加速していた機体が減速し、加えて背中を見せたことで全ての武装が使用不可能になったマスタング部隊の後ろに、雪雲を突き破って姿を現したMiG-15の編隊、四機が襲いかかり、三機のF-51Dが瞬く間に撃墜された。不意をつかれた味方機が後方から放たれた三七ミリ機関砲の掃射によって、片方の水平尾翼と垂直尾翼を破砕され、尾部から黒煙を上げながら墜落していくのをコクピット・ガラス越しに見せつけられたマスタング・パイロットの一人は前方へと飛び去っていった敵機を追って機体を加速させようとしたが、その瞬間に側面から撃ち込まれた三七ミリ弾の嵐に機体ともども体を四散させられ、直後に爆発した自機の中で身を散らした。後方から攻撃を仕掛けたのとは別の編隊を組んでいた四機のMiG-15が撤退するマスタング部隊に対して側面から攻撃を仕掛けてきたのだった。突然の奇襲に継ぐ、さらなる奇襲によって混乱し、完全に統制を失ったF-51Dマスタングの編隊はバラバラに散開すると、個別で迎撃行動を取り始めたが その時には彼らが護衛すべきはずの輸送機編隊は既に五機のC-47を撃墜され、残った機体も各部に機関砲弾の直撃を受けて満身創痍の状態で飛行していた。
「くそ!一方的にやられてる!直掩機は何をしてるんだ!」
「右エンジンをやられた!推力ゼロ!高度を保てない!」
「母さん、助けてくれー!」
一機のC-47の中ではパイロットや搭乗した空挺連隊の兵士達が悲鳴や命乞いの声、怒声を張り上げる中で、ミグの機関砲弾がキャビンの中央を右から左へと突き抜け、兵士達が恐怖に悲鳴を上げた直後、脆弱になった被弾部から機体の後方が轟音ととに剥ぎ取れ、丁度その境界に座っていた空挺連隊の兵士達は何の準備もないまま、低温と低酸素の高空へと悲鳴とともに放り出された。
「もう無理だー!」
「諦めるな!手を離すんじゃない!」
機体から放り出されかけた空挺兵の手を、その隣に座っていた仲間が掴み、強風が吹き込んでくる中で必死に離さないように歯を食いしばって仲間の手を引き込もうとしていたが、次の瞬間、破損仕掛けていたエンジン部分が爆発し、誘爆の炎が分解した機体の前方部分の全体を包んだため、彼らは二人とも一瞬にして広がったガソリン燃料の炎に包まれて火だるまとなった。
「三番機、大破!空中分解!」
「大隊長!このままでは降下地点まで持ちません!隊長…、大隊長!」
隊長機の中で窮迫した状況に部隊司令官の指示を仰ごうとした中隊長は、その時になって初めて目の前に座っている大隊長が機関砲弾の破片を首に受けて、大量の血を流し、項垂れていることに気が付いた。
「衛生兵!」
一目見て無駄だと分かっていながらも、首から血を流している大隊長の出血を止めようと、座ったまま沈黙している初老の指揮官に中隊長が歩み寄ろうとした瞬間、キャビンの天井から突き抜けた機関砲弾が中隊長の体を頭頂部から尻の先まで突き抜け、目の前で上官が木っ端微塵になった光景に傍らの兵士達が悲鳴をあげた瞬間には追い打ちの掃射をかけた三七ミリ弾が両翼のエンジンにも直撃して、隊長機のC-47は一瞬にして機体全体を炎に包まれると、直後にその機体を大空に散らした。全長一九メートル超の大きな機体を四散させたC-47の爆発の炎の中を、上から下へと向かって飛び出してきたMiG-15のパイロットは敵指揮官機を撃墜したことに浮かれ、単座式コクピットの中でガッツポーズを浮かべていたが、その体は直後に側面からコクピットガラスに殺到した一二.七ミリ弾の掃射によって、一瞬の内に肉片へと分解された。敵の奇襲を受け、まともな抵抗をする間もなく、戦力の半分を失った直掩機隊の一機がようやく輸送機編隊の元に戻ってきて一矢を報いたのだったが、そのマスタングも尾部から濃い黒煙を発しており、次の瞬間には後方から追撃してきたミグの機関砲弾を集中砲火で浴びて、爆発の炎とともに空中分解した。既に九機のC-47を失った輸送機編隊は満身創痍の状態になりながらも降下地点へと向かって飛行を続け、その周囲では本隊の元へ帰ってきた直掩機のマスタングがミグと空戦を繰り広げていたが、すでに多数の銃弾を機体に受けた輸送機部隊はどの機体も中破しかけであり、戦力の半分以上を失った直掩機部隊も彼らの保護対象を効果地点まで守り切るには既に数が少な過ぎた。
「降下用意!」
まだ、降下地点より数キロ手前の地点だったが、これ以上は機体がもたないと判斷したロキは自身も空挺降下用の装具を身につけると、キャビンの中の少年達に命令を下した。その怒声が輸送機の中に響き渡ると同時に、少年達は傍らで死んでいる仲間の姿を振り返る事もなく、無言のままで立ち上がり、キャビン後部で油圧系機器の作動音とともにゆっくりと開いてくハッチの方を向いて降下の姿勢を整えた。開いたハッチの隙間からは高度八,〇〇〇メートル、気温はマイナス三〇度の極寒の空気が機体の中に吹き荒れて少年達の肌を厚い防寒具の上から冷やした。被弾による油圧系のダメージで後部ハッチが半分しか開かなかったため、ジープや装甲車の投下は不可能だった。
「降下始め!」
少年達はロキの命令とともにハッチに近い方から次々と機外へと身を投げ出し、深い雪雲の中へと姿を消していった。隣で死んだ少年の返り血で濡れた戦闘服に身を包んだメイナードも、機外へと飛び去っていった前方の仲間の背中を追い、キャビンの金属の床を蹴って全力で走り出すと、後部ハッチの向こうに広がる漆黒の世界へと飛び出した。
空挺降下の訓練は実際に何度も行ったことがあったものの、こんな悪視界、そして航空機同士が乱戦を展開する中でのエアボーンは初めてのことであり、視界を遮る厚い雲の中でメイナードは無重力が原因で平衡感覚を失いかけたが、それでも体の下から打ち付ける空気の流れを感じて、その感覚を頼りに何とか体勢を立て直した。その瞬間、厚い雪雲のベールが剥がれ、彼の目の前には地獄のような光景が広がった。重力に引かれて降下するメイナードの数十メートル下を炎の熱感を感じられるほどの近距離で、機体の左翼エンジンから炎を吹き出したC-47が飛行していき、その側面ハッチから体勢を整える間もなく、生き残るのに必死になった空挺連隊兵士達がパニックを起こしながら、機外へと姿勢を崩した状態で飛び出し、そのまま大空の塵となって消えていく姿が見えた。同時にメイナード達の頭上では、機体の全体が燃え上がったC-119フライング・ボックスカーから全身を炎に包まれた"愛国者達の学級"の少年達が平然とした様子で後部ハッチから外へと降下しており、その光景を奇妙な思いで見つめていたメイナードのすぐ脇を今度は二機のMiG-15が高速で飛び去っていくと、先程、彼のすぐ真下を飛行していった瀕死のC-47に対し、後方から急接近すると同時に、二基の三七ミリ機関砲と予備装備の二三ミリ機関砲の大口径弾を殺到させて飛び去っていった。一瞬で三〇発近い機関砲弾を機体全体に浴びせられたC-47はミグが飛び去っていった直後、機体内部から閃光を発すると同時に鋼鉄の機体を炎の火球へと転じた。輸送機部隊は全滅し、残された直掩機のマスタングとMiG-15が交戦をする曳光弾の輝きと爆発の閃光が厚い雲の向こうで遠雷の如く煌めき唸る中、八,〇〇〇メートルの高空にダイブしたメイナード達は体を真下へと引き込む重力に身を委ねて降下していった。