第四章 九話 「生存への希望」
文字数 2,759文字
起爆プロテクトの解除…?
時折、装置から聞こえてくる女の声のナビゲーションから、上官の操作しているものの正体を悟ったメイナードがロキの方へとゆっくりと足を踏み出した瞬間、彼の足元で固まっていた雪の塊が潰れ、静寂に包まれた機内に鳴り響いた物音に、ロキはひどく驚いた様子で傍らに置いていたコルトM1905を構えた。
「なんだ…、お前か…。」
音も立てずに近づいてきていたのが自分の部下だと認識したロキは大きな溜め息を吐くと、消音短機関銃も手榴弾も全て置いてきて何の武器も身につけていないメイナードの姿を見て、
「装備はどうした?」
と聞いたが、全く反応を見せず直立したままのメイナードに、もう一度深く溜め息を吐くと、
「敵が来たら、これで応戦しろ。」
と言って、構えていたコルトM1905をメイナードの方へと雪の上を滑らせて渡した。その様子は普段のロキからは考えられないほど焦燥したもので、行動も早計だった。その上官の姿を見た瞬間、メイナードは自分自身が先程、再認識した己の役割が正しいものだということを再び悟った。
この男もこの男の信条にも、自分の命をかける価値などない…。
そう直感した瞬間、足元の自動拳銃を素早く拾ったメイナードは金属のスライドを後ろに引いて、薬室に初弾が装填されているのを確かめると、両手に握ったコルトM1905をロキの首に向かって構えた。爆弾のプロテクト解除と起爆コードを打ち込むことに集中しすぎて、傍らの部下の行動に全く気づかなかったロキだったが、起爆に必要な最後のマイクロフィルムを取ろうと、腰につけたポーチに手を伸ばしたところで、ようやく自分の置かれた状況を認識した。
「お前…、何してるんだ…?」
メイナードの方を見つめて、そう呻いたロキの呆然とした目も震えた声も、普段の彼よりも幾分弱々しいものであり、そのことを察知した瞬間、メイナードはさらに重要な事実を悟った。
自分はこんな弱々しい人間を目の前にしても引き金を引くことに何の躊躇いも感じていない…。自分はもう、かつての瑞木泰彦としての自分に戻ることはできないのだ…。
その冷酷なまでに不動の事実を悟った瞬間、メイナードは構えたコルトM1905の引き金を引き切った。メイナードが構えた自動拳銃が.四五ACP弾を撃ち出したのと、ロキがズボンの腰裏に隠し持っていったレミントン・デリンジャーを引き抜いて発砲したのは殆ど同時だった。二発の銃声が連続して爆撃機の中に轟いた一秒後、メイナードの額を温かい血の温もりが流れ落ち、首のすぐ真下を撃ち抜かれたロキは胸から赤黒い血を大量に流し、空気の漏れ出す音とともに大きな息を一つ吸うと、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。僅かに頭蓋をずれて、頭皮の表面を擦過していた四一口径リムファイア弾の残した傷を手で触り、弾丸が外れたことを確認したメイナードは倒れ込んだロキの死体の方へと歩み寄った。そして、爆弾の脇腹に取り付けられた機械装置が種々の表示灯を点滅させる脇で倒れているロキの右手から小型拳銃を弾こうとした瞬間、突然動き出したロキの左手がメイナードの足首を掴んだ。
「貴様も…、道連れに…。」
そう言って掴んだメイナードの足首を支えにして新型爆弾の方に体を一気に引き寄せたロキは最後の力を振り絞って、右手に握っていたマイクロフィルムを装置の中へと押し込もうとしたが、それよりも先にメイナードの手に握られたコルトM1905がロキの頭蓋を頭頂部から撃ち抜いた。体の末端に指示を与える中枢機能が失われたことで、ロキの大柄な体からは一気に力が抜け、雪の積もった床の上に顔を打ち付けるようにして今度こそ力尽きた。腰を屈め、息絶えた大男の右手からマイクロフィルムをもぎ取ったメイナードは、その小型記録媒体を自分のポーチの中に収めた。それと同時に、
「お前が…、殺った…のか?」
と背後から聞こてきた、狼狽した声に後ろを振り返ったメイナードはトンプソンを構えたまま直立している曹長と目があって、静かに口を開いた。
「自殺しようとしていた…。この爆弾を使って、俺達全員を巻沿いに…。だから殺した…。」
メイナードがゆっくりと真実を語り終えると、目を伏せた曹長は死んだロキの方を見て、
「そうか…。」
と力なく呻いた。機体の外から聞こてくえる銃声と爆発音が格納庫の中で低く響く中、メイナードと曹長の間には暫しの沈黙が流れた。任務の最初から憎かった男だが、彼がそうしようとしたように新型爆弾を起爆させることでしか、アメリカを守ることはできないのか…。曹長がロキの死体を見つめて、そんなことを考えていた時、重苦しい沈黙を破って、抑揚のない女の声が格納庫の中に響いた。
「警告。コクピットシステムからの操作を介さずに起爆プロテクトが解除されました。プロテクトを完全に解除するにはマイクロフィルムを挿入して下さい。」
新型爆弾の起爆解除装置の脇に取り付けられたスピーカーから聞こえてきた警告ナビゲーションの声に曹長は思わず苦笑いした。
「まさか、こんなところで、こんな物騒なものと一緒に最期を迎えることになるとはな…。」
そう言って、戦闘服の胸ポケットから防水ビニールに包まれた一枚の写真を取り出した曹長は敵が突撃してくるまでの数分の間、モノクロの写真に写った妻と二人の子供達の姿を目に焼き付けようとしていたが、一定間隔で繰り返される爆破装置の警告ナビゲーションの声を静かに聞いていたメイナードの考えはそんな諦めとは程遠く、状況を打開する一手を考えついていた。
「曹長…、無線を貸してほしい…。」
背後の空挺指揮官を振り返り、唐突に発したメイナードの言葉に、感傷に浸っていた曹長はその意味をすぐには理解できなかった。
「無線だ!一か八かだが、生き残れるかもしれない…!」
再度そう言ったメイナードの言葉、そして、生き残れるかもしれない、という言葉に突き動かされた曹長は慌てて家族の写真を仕舞うと、墜落機の外へと走って行った。本来であれば、少年の考えを聞いてから行動するのが、指揮官としてあるべき態度だったのだろうが、もう二度と会えないと覚悟していた家族と再び会うことができる可能性があると告げられた曹長には、そんな冷静な行動を取ることはできなかったのだった。