第三章 二十一話 「狂気の目覚め」

文字数 4,054文字

部下の姿が消えて無くなるという異常事態に班長は他の三人の班員を集めると、自分で背負った無線機を使って本隊と回線をつなぎ、班員の一人が行方不明になってしまったため捜索を行う旨を伝えた。
「了解。敵の妨害の可能性もある。注意して捜索せよ。」
本部の指示を受けて無線を切ると同時に、班は二人ずつに別れて、二つのグループを作ると、前進しつつ、行方不明になった兵士の捜索を開始した。
右方向に捜索範囲を広げつつ、前進し始めたグループの先頭は先ほど茂みの中の小動物を敵と勘違いした若い兵士だった。彼は今、ファムという同僚の兵士が消えたことに深い罪悪感を感じていた。自分の誤認のせいで、班員全員の注意が逸れている間に彼は姿を消した。仮に敵に殺されてなかったとしても、この状況で他の班の目の前に姿を現せば、敵と間違えられ、誤射される可能性もある。
自分はなんと愚かな勘違いをしてしまったのか…、自分のせいで仲間の命が危険にさらされている…。
そんな後悔が胸を占める中、若い民族戦線兵士の脳裏には思い出したくない光景が蘇っていた。先程、部隊の方を振り返った時、確かに網膜に映った、自分に敵意の視線を向ける黒い影…。
一体、あれは何だったんだ…。
一瞬のことだったから見間違いをしたに違いない、と自分に言い聞かせても、頭の中に浮かんでしまう真っ黒な男の姿に、若い民族戦線兵士が恐怖で震えた時、彼の視界の右端で不意に何かが動いた。
反射的にそちらを振り向き、五六式自動小銃を構える。またしても自分の勘違いかと思ったが、五メートル後方についてきている仲間と目を合わせて、そうではないことを確信した。彼の仲間も恐怖に引きつった顔で、若い民族戦線兵士と同じ方向にAK-47を構えていた。二人が人影のようなものを見た先には、二〇メートルほど離れた位置に大きな熱帯樹があった。
お互いに目配せした二人の民族戦線兵士は相互に援護できるように五メートルの間隔を維持し、直線上に横に並んだまま、木に向かって前進を始めた。
味方であれば、こそこそと隠れる必要はない。これが人であれば、おそらく敵だ…。
二人は銃を握った手に汗が滲み出るのを感じつつ、足元に地雷がないことも確認しながら、ゆっくりと一歩ずつ歩を進めた。そして、問題の木の手前まで来たところで、同士討ちをさけるため、両側から木の裏側を確かめる愚はおかさず、若い民族戦線兵士が先に前に出て、彼の同僚がそのすぐ後ろにつくという形で木のクリアリングを始めた。
まだ小動物の血が乾ききっていない銃剣を着剣した五六式小銃を構えて、ゆっくりと大木の裏側をクリアリングする。太さが五メートルはありそうな大木は近づいてみるとより大きく見え、敵が向こう側に隠れているかもしれない状況でクリアリングするのは骨の折れる作業だった。緊張で足が震え、加えて足場も悪いので、何度か体勢を崩しそうになりつつも、数分をかけて、ようやくクリアリングを終えた若い民族戦線兵士は五メートルほど離れた後ろにいる仲間と目を合わせて、安堵の息を漏らしつつ、手と首を小さく横に振って、何でもなかった、と伝えた。後ろで警戒の態勢をとっていた彼の仲間も同じように手を振り、自分達の勘違いだったことを悟った若い兵士は緊張が一気に体から解け、銃口を下ろして、仲間の元に歩み寄ろうとしたが、その瞬間、仲間の顔が硬直し、彼が手にしたAK-47の銃口を持ち上げるのを見て、恐怖を感じるよりも先に五六式小銃の銃口を上げながら振り返った。
しかし、すでに遅かった…。振り返ったと同時に、土泥の膜を全身にまとい、草木のカモフラージュを被った黒い影の姿が彼の目の前にあり、次の瞬間、恐怖とともに鳩尾に感じた痛みが若い民族戦線兵士の人生で感じる最後の感覚となった。

大木の幹に登って、敵のクリアリングをやり過ごしたところで、十メートルの高さから柔らかい草木と黒色土の上に、音もなく飛び降りたクレイグ・マッケンジーは目の前にいる若い兵士が自分の存在に気づいて振り向けた銃口を避けつつ、鳩尾に左膝の蹴りをいれると同時に、兵士の体を盾にしながら、その頭と肩の脇から右手を伸ばし、AK-47を構えているもう一人の民族戦線兵士に向けて、手にした拳銃の引き金を引いた。
銃口に大型のサプレッサーを取り付けたMk22 Mod0 "ハッシュパピー"がくぐもった銃声をあげ、照準の先にあった民族戦線兵士の左肩に九ミリ弾が直撃し、その体勢を後ろに崩させた。敵に弾が当たったのを確認するよりも早く、引き金を引いたと同時に、拳銃の銃口を下ろしたクレイグは、足元で鳩尾を蹴られた痛みに呻き、倒れ込んでいる民族戦線兵士のうなじにMk22 Mod0の銃口を押しあて、躊躇なく引き金を引いた。再度のこもった銃声と弾丸が肉を貫く音が微かに周囲の空気を揺らすと、クレイグは絶命したての若い兵士の首を左手でつかみ、足を踏ん張って、全身の力を使いながら前に押し飛ばした。
肩に残留した拳銃弾の衝撃から何とか立ち直り、痛みを堪えながらAK-47を構えた民族戦線兵士だったが、目の前に飛び込んできたのはクレイグが投げつけた彼の仲間の死体だった。一瞬、抱き止めるようになりながらも、その死体を横に流した民族戦線兵士は再度、前方に向けてAK-47を構えたが、すでに仲間の命を奪った男の姿はなかった。不意に地面に倒れた仲間の死体を見ると、首に銃弾を撃ち込まれた同僚は、自分の死を自覚する間もなかったのだろうか、鳩尾を蹴られた痛みに苦しんだ表情のままで顔を強張らせており、その形相が一人残された兵士に、より強い恐怖をかきたてた。
仲間の返り血が頬についた顔を強ばらせながら、AK-47を構えた兵士はゆっくりと周囲を振り返った。
「ど…、どこだ…、どこだ…ッ!」
そう叫んで兵士が背後を振り返った瞬間、その声に答えるかのように突然、茂みの中から飛び出してきたクレイグは、すれ違いざまにバルカン・ダイバーナイフで兵士の頸部を切り裂き、頸動脈から鮮血を吹き出したベトナム人兵士は続いて背中から心臓を貫いたナイフの一閃により、手にしたAK-47の引き金を引く間もなく絶命した。

行方不明になった兵士を捜索中、班長を含むもう一つのグループは二人で死角を補いながら前進していたところで、ジャングルの中から微かに流れてきた呻き声を聞き、その声の元へとゆっくりと進んでいった。最初は風が森の中を吹き抜ける音かとも思った声が一歩、一歩進むごとに、はっきりとした声として聞こえてくる。
「た…、たすけて…、助けてくれ…。」
かすれた声が明瞭になり、かき分けた茂みの下で呻き声を上げる正体を見つけたとき、捜索していた班長は思わず吐き気を催した。
「誰がこんなことを…。」
茂みの下には姿を消していた若い兵士の姿があった。いや、姿とはいってもそれはすでに人間の形を失ってしまっており、大型の刃物で四肢を切り取られたらしい若者は、悲鳴が漏れぬよう口に巻きつけられた猿ぐつわから必死に助けを求める呻き声を出していた。
虚ろな瞳でこちらを見つめる若者に、言葉を聞かずとも彼が求めているものを悟った班長は手にしたPPSh-41短機関銃のボルトレバーを引き、薬室に銃弾を装填すると、その銃口を若者に向けた。それを見て、血に染まった草原に倒れた若い兵士は、やっと楽になれることに対する喜びを、痛みで引きつった顔に浮かべたが、しかし次の瞬間には、その顔は再び恐怖に引きつった。その視線の先を追って背後を振り返った班長の目に映ったのは、後ろで援護に控えていた部下が頭部を失い、切断された首の断面から鮮血を噴水のように吹き上げている姿だった。そして、その隣には血で汚れた大鉈のマチェーテを手にした黒い影の姿があり、その泥で覆われた黒い影の中から白い目が殺意を帯びてこちらを睨んでいた。
慌てて、PPSh-41の銃口を向けた班長だったが、その銃口が標的をとらえた時には、すぐ目の前に黒い影が迫り、M1942マチェーテの長い刀身が彼の心臓を貫いていた。もはや痛みなど感じず、瞬間的に視界がぼやけ、口から大量の血を吐き出しながら座り込んだ班長は朦朧とする意識の中で、目の前の黒い影…、若い兵士の四肢を生きたまま切断し、さらに二人の人間を一瞬の内に殺害した残虐な狩人の正体をその目で確かめようと顔をあげたが、彼の網膜が目の前の男の全身を捉えるよりも先にマークⅡ・ガーバーナイフの細長い刀身が班長の頭頂部に頭蓋骨を割って突き刺さり、脳幹の機能が停止した班長の体は即座に息絶えた。

全身から大量の血を吹き出して死んだ兵士の死体からM1942マチェーテとマークⅡ・ガーバーナイフを抜き取ると、絶命した男の体は力なく地面に倒れた。
一番最初に、他の兵士達が小動物に気を取られている内に気づかれることなく拉致し、手足を切断して罠の餌にした若いベトナム人兵士が仲間を目の前で惨殺したクレイグに憎しみの目を向けて、切り落とされた四肢をばたつかせながら、必死に憎悪の言葉を叫んでいた。猿ぐつわをされているせいで、その叫びは呻き程度にしかなっていなかったが、猿ぐつわにしたロープに血が滲むほど必死で叫ばれた言葉は、クレイグにはしっかりと聞こえていた。
「恨むのなら、恨んでくれ…。」
そう静かに言い、男の脇に歩み寄ったクレイグは右手にもったマチェーテを振り上げ、男の首に向けて一気に振り下ろした。
首の骨が絶たれる鈍い音とともに、呻き声は止まり、ジャングルには静寂が帰って、命の灯火がまた一つ消えた。クレイグはマチェーテとナイフを握った両手を見た。戦闘用のグローブに包まれた掌は返り血で染まっており、その中では封印していた何かが次の殺人を求めて疼いていた。その正体が自分の中で徐々に蘇りつつある戦場の狂気であることを直感で悟ったクレイグは、その狂気に飲まれることに恐れを感じながらも、仲間が逃げる時間を稼ぐため、次の標的の攻撃へと向かった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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