第二章 十四話 「下船」

文字数 2,715文字

幾度も緊張が走ったが、最も忌避していた戦闘に巻き込まれることはなく、トンレ・スレイポック川を二時間ほど下流へと航進した後、ウィリアム達の乗る木造船は下船する地点にたどり着いた。
「イアン、アール、岸を警戒しろ。」
乗員室の壁の継ぎ目から、これから上陸する岸を見つめながら、ウィリアムは隊内無線に指示を出した。ギリースーツを着込んだイアンが双眼鏡越しの監視の目を岸の周辺、対岸にも向ける。
「岸に数人、岸沿いの木の上にも狙撃手がいます。こちらを攻撃するつもりがあるとは思えませんが…。」
イアンの声が隊内無線に返ってくる。その声は骨伝導マイクが耳小骨を直接震わせて聞こえてきたものなので周囲には聞こえていないはずだったが、傍らに座っていた工作員長の男はウィリアム達の様子から状況を察したのか、「岸にいるのは、我々の仲間だ。」と言うと、床下のエンジンルームにいる部下に船を岸の方につけるように、クメール語で指示を出した。
木造船が岸に近づくと、イアンの言っていた通り、武装した現地兵風の格好の男達が四、五人ほど藪の中から出てきた。彼らの手にはAK-47やM1918A2 BAR軽機関銃が握られている。
「下船するぞ。周辺警戒を怠るな!」
船が岸につくと同時に、ウィリアムが指示すると、六人の隊員達は乗員室から後部甲板へと出た。先に船をおりて、岸に上がっていたイアンとアールが他の隊員達の上陸をカバーするように、周辺警戒についていたが、その周囲を取り囲むように先程の男達が警戒の体勢を取っていた。
工作員長の言う通り、敵ではないようだ…。
ブラボー分隊の隊員達が全員下船し、隊形を整えると、代わりに警戒体勢を解いた先程の五人のアジア人兵士達が木造船の中へと乗り込んだ。
「隊長さん、お気をつけて…。」
ウィリアムが部隊の隊形を整えさせ、目的地へとジャングルの中に進もうとした時、背後から片言の英語の声がかけられた。振り返ると、船の後部甲板に工作員長が立っていて、意味有りげな笑みを浮かべていた。ウィリアムが何かを答えることはなかった。工作員長を一瞥だけすると、ジャングルの中へと歩き出した。
木造船が川の下流へと航走していき、ブラボー分隊の隊員達も目的地へとジャングルの中を十数分ほど前進した時、リーから乗員室の中での出来事を聞いたと思われるアールがウィリアムに詰め寄ってきた。
「大尉!この作戦は既に危険に晒されています!本部と無線を開きましょう!」
ウィリアムは、ハインドサインとともに隊内無線を開いて、前進停止と周辺警戒の命令を伝えると、アールの顔を見返して静かに答えた。
「無線封鎖は…、解除しない…。」
「何故です!」
反論したアールの声は周囲を警戒して大きくはなかったが、それでも芯の強いものだった。
「奴ら、武器をベトコンに売ってるんですよ!我々の情報も売られてる可能性があります!」
部下を落ち着かせるように、暫しの沈黙を挟んだ後、ウィリアムは静かに口を開いた。
「もしも情報を流されていて、彼らの狙いが我々を罠にはめることなら、あのボートに乗り込んでいる間が一番都合が良かったはずだ。だが、実際には何も起きなかった…。それに…。」
ウィリアムは深い溜め息をついた。静寂に包まれた熱帯林の暗がりに溶け込むような重い嘆息だった。
「あの男は馬鹿ではない。アメリカの特殊作戦の情報を垂れ流して、一生CIAに追われる身になるようなことはしないはずだ。」
まだ、納得し切った訳ではないが、説得は無理だ、と悟ったアールはウィリアムの顔を見つめて、
「彼が我々よりも賢くないことを祈りましょう。」
と残し、元の配置に戻っていったが、その目には反感の意思が残っていた。

「現在時刻、十六時です。予定ではブラボー分隊は工作船を降りたころですが…。」
回収直前まで無線封鎖のため、今は非常時に備えることしかすることがなく、手持ち無沙汰な通信士が背後を振り返って言った先では、メイナードとヘリコプターの不調であえなく戻ってくることになったサンダースが壁に貼り付けられた電子板を見つめて並んで立っていた。
「ウィリアム達は上手くやっているでしょうか?」
通信士の言葉を聞き、電子板の上に光の点で映された現在のブラボー分隊の移動地点を見つめながら、サンダースが呟いた。
「隠密行動だ…。数は少ないに越したことはない…。」
サンダースの隣で腕を組み、同じように電子板を見つめていたメイナードは静かに答えた。
「しかし、一個分隊だけでは基地を襲撃する際に火力が足りません!特に、爆弾などは半分しか持って行けなかったわけですから…!」
唐突に声を張り上げ、メイナードの方を向いて提言したサンダースの声に、通信士達は溜め息をつかざるを得なかった。無線封鎖のため、やることのないこの数時間、彼らは退屈だけでなく、背後で繰り返される二人の口問答に参らされていた。
「私はブラボー分隊の奇襲と同時にへリボーン作戦を展開することを提言します!」
よほど、作戦に参加できなかったことが不服らしい。異議からの自分達を投入する提案、細部は違っても、サンダースが求めることはこの数時間ずっと一緒だった。そして、それに答えるメイナードの返答も常に一緒だった。
「ネガティブだ。まず、第一に彼らが、どのタイミングで爆弾を爆破させるか分からず、奇襲のタイミングを正確には把握できない。そんな状況で機密事項の新型ヘリコプターを敵地で飛行・待機させ続けるのはリスクがある。作戦地点のすぐ隣では、北と南の支配区域がコロコロと変わっているわけだしな。」
表情も声色も全く変えずに淡々と言うメイナードの言葉がサンダースの提案をまたしても挫いていくのを、通信士達は静かに聞いていた。
「第二に目標施設はベトナム戦争中に米軍の爆撃に備えて、対空砲とミサイルを大量に装備している。ブラボー分隊が侵入に当たって、その全てを破壊するわけではない。よって、へリボーン展開のためにヘリが目標施設に接近すること自体が危険だ。」
「では、アパッチを投入すれば…。」
自分の意見を殆ど挫かれ、最後の抵抗を見せようとしたサンダースだったが、無駄であった。
「それでも、無線封鎖を継続した状態では、いつブラボー分隊の攻撃が始まるのか分からず、ヘリボーン部隊が敵地上空で待機しなければならなくなる。」
ゆっくりとサンダースの方を向いたメイナードの双眸は静かな色を保っていたが、その静寂の中に得体のしれない強い光を見て、サンダースは目を逸した。
「君達も、アパッチの投入も、ウィリアム達からの支援要請があってからだ。」
何を考えているか底知れぬ上官に諭され、サンダースは項垂れることしかできなかった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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