第三章 四話 「待ち伏せ」

文字数 3,356文字

「これはまずいですよ…。」
HK33SG/1マークスマンライフルのスコープ越しに、姿の拡大された多数の敵を見つめながら、イーノックは回線を開いた隊内無線に呟いた。前進を止めた本隊を後ろにして、斥候に出たイーノック達が、ジャングルの茂みの中に身を隠している敵の歩兵部隊を発見したのは本隊から百メートルも前進しない内だった。敵は擬装を施した塹壕の中に身を隠しており、待ち伏せを警戒して前進しなければ、その存在に気づけないほど完璧にジャングルの景色の中に溶け込んでいた。
「イーノック、そっちからは何人くらい見える?」
敵の待ち伏せラインから五十メートルほど離れた位置で茂みの中に身を伏せ、反射防止用の加工を対物レンズに施した双眼鏡を使って、敵の陣容を見つめていたリーが隊内無線の回線を開いて問う。
「見えるだけでも、二十人以上はいます。武装はカラシニコフ自動小銃にロケットランチャー、茂みの中には擬装した重機関銃が少なくとも一基…。ですが、待ち伏せラインが横に長いので、恐らくはこちらの視野外にもっと居るものと思われます…。」
横に並んで迎撃体制についているリーとアーヴィングのさらに十五メートル後方で、熱帯樹の上に登り、警戒についていたイーノックはライフルスコープの目で敵の前線戦力を観察しながら答えた。
「了解…、機関銃から目を離すな…。」
そう言って隊内無線を閉じたリーは双眼鏡からXM177E2カービンに手元の装備を持ち替えると、「くそ…。」と毒づいた。
「何で俺達のことを待ち伏せしてるんだ…?」
リーは自分の数メートル脇で木の陰に半分身を隠しながら、ストーナー63A汎用機関銃を伏射の姿勢で構えているアーヴィングに囁いた。
「もしかしたら、俺達がここに来た日に捕まえた子供達が何か言ったのかも…。」
機銃掃射の体制を取り、前方を睨んだままのアーヴィングがそう答えると、カービン銃を構えたリーは舌打ちに続いて悪態をついた。
「あのバカがガキを殺させなかったせいで、俺たちが皆殺しにされようとしてる…。とんでもねぇことだぜ。」
暗にクレイグのことを非難しているリーに、アーヴィングは、
「あの二人がベトコンの回し者だなんて、誰にも分からなかったさ…。」
と諭したが、それだけでは彼の苛立ちを収めることはできなかった。
「それが今この状況だろうが!大尉に連絡しろ!」
敵には聞こえないように小声で、だが確かに怒りの籠もった声を発したリーに従い、アーヴィングは隊内無線を操作し、本隊との無線回線を開いた。
「大尉、大尉。こちら、リコン・チーム。見つけました。前方に敵の防衛線です。」

偵察に出たアーヴィングの声が隊内無線から聞こえてきたのは、三人が斥候に出てから数分後のことだった。
「大尉、見つけました。我々の正面、距離五十メートル。本隊からは一三〇メートルほどでしょうか。ここから確認できるだけでも二十人。その奥にはもっと大勢いるようです。恐らく、小隊規模以上かと…。」
双眼鏡を覗きながら、観察した状況を伝えているらしいアーヴィングに、ウィリアムはさらに問うた。
「装備は?正規兵か民兵か?」
「カーキ色の戦闘服に丸い帽子を被ってます。恐らくはNLF(南ベトナム解放民族戦線)の正規兵かと……。」
「規模と武装は?」
「ほとんどがAK-47と五六式自動小銃ですが、イーノックによると、B-40ロケットランチャーや藪の中に擬装された重機関銃も確認できるとのことです。」
「付近に活動拠点のある民族戦線が偶然パトロールしていたという可能性は?」
潜入前の作戦説明で、この周辺にNLFの小さな拠点が幾つかあることを知らされていたウィリアムは一縷の望みをかけて聞いてみたが、隊内無線から帰ってきた返事は彼の期待を裏切るものだった。
「パトロールなら、もっと少数でそれも円陣状に兵士を配置するはずです。それにロケット弾や据え付け型の重機関銃も必要ないでしょう。」
アーヴィングの正確な分析に、ウィリアムも現実を受け入れざるを得なかった。
「明らかに何かを待ち受けているというわけか…。」
「ええ…、それも我々が通るルート上でです。」
ウィリアムは深い溜め息を一つ吐いた後、無線の向こうの部下に指示を出した。
「了解した。進行ルートを変える必要がある。一先ず、目の前の敵から目を離さず警戒を継続してくれ。」
「了解しました。また、動きがあれば無線で伝えます。」
「頼んだ。念のために地雷も仕掛けておけ。」
そう言って隊内無線を切ったウィリアムは、斜面を二百メートルほど下った眼下を流れるトンレ・スレイポック川を見下ろした。川幅八十メートルほどの河川には船の姿は一つも見えず、静まり返っている。
回収予定時刻まで、まだ一時間ほどある。それまでに待ち伏せしている敵に気取られぬよう部隊を哨戒艇に回収させる計画を即座に考えたウィリアムは、数メートル離れた木の陰でストーナー63LMGを構えて周囲を警戒しているアールのもとへ駆け寄った。
「網を張られている。」
その一言を聞くと同時に、はっとして、ウィリアムの顔を見上げたアールは、
「やはり待ち伏せを…、敵の規模はどの程度ですか?」
と矢継ぎ早に問うた。
「正確にはわからんが、最低でも二個小隊規模。ロケットランチャーに重機関銃まで装備しているらしい。」
そう答えると、ウィリアムは地図を広げて、民族戦線の部隊が待ち伏せしている一点を指で示した。
「丁度、我々の進行するルート上ですか…。」
敵の待ち伏せポイントを確認して、アールは溜め息を吐いた。
「脇を逸れて行くのも可能だが、我々を待ち伏せしているとして、やつらが正面にだけ陣取ってるとも思えん。」
「幅広く、待ち伏せのラインを取っている…。とすれば、川側に斜面を下りて回り込みながら進むのは不可能。山の尾根を越えて、大回りに回避していくルートもありますが…。」
アールは、その道を指で辿りながら、言葉を詰まらせた。そのルートでは途中、両脇に隣接した民族戦線のベースキャンプを通り過ぎねばならなかった。
「遠回りして、回収地点に辿り着くのは至難の技だ。時間にも間に合わないだろう。そこで…。」
ウィリアムは、自分の考えた進路を地図の上でなぞりつつ続けた。
「今の場所から後ろに後退しつつ、斜面を下り、二百メートル南西の岸に出ようと思う。」
指示を聞いて、アールが同意の頷きを返すと、ウィリアムはクレイグとイアンを呼び、先程アールに伝えた新ルートを示した。
「前方に多数の敵が待ち伏せラインを形成している。突破は厳しい。よって、新しく設定したこのルートから三次回収ポイントに向かおうと思うが、その偵察を頼みたい。」
簡略な説明だったが、二人はすぐに理解した。しかし、任務を理解してもクレイグには疑問もあった。
「今出てるリコン・チームが戻らない状態では、本隊の戦力が著しく削がれます。彼の安全は大丈夫でしょうか?」
「彼」と言ったところで、アールの傍らにうずくまっているユーリ・ホフマンの方を向いたクレイグに、ウィリアムは選択の余地がないことを答えた。
「後ろまでも完全に包囲されてしまえば、最悪の事態になる。だが、前方で待ち伏せしている敵から目を離す訳にもいかん。心配しなくても、彼は我々で守る。」
そう言いながら、ユーリの方を一瞥したウィリアムにクレイグは頷き返すと、イアンとともに後方の川岸へと偵察に向かった。
「ジョシュア、本部に無線連絡だ。敵の待ち伏せを目視で発見。予定の進行ルートでの回収地点への前進は厳しく、座標ポイント〇-三-〇での回収を願うと伝えろ。」
ウィリアムがジョシュアに命令を出す傍らで、会話の流れから事態を察知したユーリが微かに体を震わせながら、
「また、戦いになるのか…?」
とアールに聞いた。恐らくは自分の不安が無用のものである、と否定して欲しかったのだろうが、斜面の下を悠々と流れるトンレ・スレイポック川を見つめるアールの答えは、
「かもしれんな…。」
と素っ気ないものだった。嘘でも否定して欲しかった厳しい事実を叩きつけられ、ユーリは震えながら、溜め息をついた。
「頭だけは守っとけ。そこ以外は弾が当たっても、すぐには死なん。」
そう言って、ユーリの元を離れたアールは不意の襲撃に備えて、斜面上方へと警戒に向かった。
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登場人物紹介

*ウィリアム・ロバート・カークス


本作の主人公。階級は大尉。米陸軍特殊戦用特殊部隊「ゴースト」のブラボー分隊を率いる。

八年前、ベトナム戦争従軍中、ベトナム共和国ダクラク省のチューチリンで起きた"事件"がトラウマとなり、現在でも戦闘中に襲ってくるフラッシュバックに悩まされている。


ゲネルバでの大使館占拠事件の際には、MC-51SD消音カービンを使用し、サブアームにサプレッサーを装着したH&K P9Sを使用する。


#特徴

黒人

身長は一八〇センチ台前半。

髪の毛はチリ毛だが、短く刈っている上に何らかの帽子などを被っていることが多いため、人前に見せることは少ない。

#イーノック・アルバーン


第七五レンジャー連隊・斥候狙撃班に所属する若きアメリカ兵。階級は登場時は上等兵、「ゴースト」の作戦に参加したことで伍長へと昇進した。


彼の兄で、ベトナム時代のウィリアムの戦友だった故ヴェスパ・アルバーンの代わりに、「ゴースト」へと招集される。


実戦を経験したことはないが、狙撃の技術に関しては、兄譲りの才能を見せる。


#特徴

白人

身長一八〇センチ前半台

短い茶髪 

*クレイグ・マッケンジー

元Navy SEALsの隊員でアールと同じ部隊に所属していたが、参加したカンボジアでのある作戦が原因で精神を病み、カナダに逃亡する。その後、孤児だったレジーナを迎え入れ、イエローナイフの山奥深くで二人で暮らしていたが、ウィリアム達の説得、そして自身の恐怖を克服したいという願いとレジーナの将来のために、「ゴースト」に参加し、再び兵士となる道を選ぶ……。


*特徴

年齢29歳

くせ毛、褐色の肌

出生の記録は不明だが、アメリカ先住民の血を強く引く。

*アール・ハンフリーズ


序章から登場。階級は少尉。「ゴースト」ブラボー分隊の副官として、指揮官のウィリアムを支える。 

その多くが、戸籍上は何らかの理由で死亡・行方不明扱いになり、偽物の戸籍と名前を与えられて生活している「ゴースト」の退院達の中では珍しく、彼の名前は本名であり、戸籍も本来の彼のものである。


ゲネルバ大使館占拠事件では、ウィリアムと同じくMC-51SD消音カービンをメイン装備として使用する他、H&K HK69グレネードランチャーも使用する。


#特徴

白人

身長一九〇センチ

金髪の短髪

*イアン・バトラー


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で階級は先任曹長。戦闘技能では狙撃に優れ、しばしば部隊を支援するスナイパーとしての役割を与えられる。

年齢は四十代後半であり、「ゴースト」の隊員達の中では最年長で、長い間、軍務についていたことは確かだが、正確な軍歴は分隊長のウィリアムでも知らない。


ゲネルバ大使館占拠事件では、降下してくる本隊を支援するため、サプレッサーを装着したレミントンM40A1を使用して、敷地内のゲネルバ革命軍兵士を狙撃する。


#特徴

白人

やや白髪かかり始めた髪の毛

*ジョシュア・ティーガーデン 


「ゴースト」ブラボー分隊の通信手を務める一等軍曹。巻き毛がかった金髪が特徴。周囲の空気を敏感に感じとり、部隊の規律を乱さないようにしている。


各種通信機器の扱いに長け、リーと同様に通信機器に関してはソビエト製のものや旧ドイツ、日本製のものでも扱える。


#特徴

白人

身長一八〇センチ台前半

金髪

*トム・リー・ミンク


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で、階級は一等軍曹。身長一七〇センチと「ゴースト」の中では小柄な体格だが、各種戦闘能力は高く、特に近距離でのナイフ戦闘技能と爆発物の扱いには優れている。特にミサイル、ロケット系の兵器に関しては、特殊訓練の結果、ソビエト製兵器でも使用できる。


気の強い性格から、他の隊員と口論になることもあるが、基本的には仲間思いで優しい性格である。

だが、敵となったものに対しては容赦のない暴力性を発揮する。


同部隊のアーヴィング一等軍曹とはベトナム戦争時から同じ部隊に所属しており、二人の間には特別な絆がある。


#特徴

アジア系アメリカ人

身長一七〇センチ

*アーヴィング・S・アトキンソン 


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員の一人で機銃手を務める大柄な黒人兵士。 階級は一等軍曹。


その大柄な体格とは逆に性格は心優しく、穏やかであり、部隊の中でいざこざが起こったときの仲裁も彼がすることが多い。


トム・リー・ミンクとはベトナム戦争時代からの戦友。


#特徴

黒人

身長一九五センチ

*ハワード・レイエス


「ゴースト」ブラボー分隊の隊員で、前衛を務める。階級は曹長。

父親は不明、母親はメキシコからの不法移民でヒスパニック系の血を引く。7歳の時、母親が国境の向こう側へ送還されてからは、移民が集合するスラム街で生活。学校にも通っていなかったが、自発的に本から学んだことで、米国の一般レベルを上回る知能、知識を持ち、スペイン語をはじめとする語学に堪能。


ゲネルバでの作戦時には、部隊の先頭を切って勇敢に突撃したが、後にウィリアムの身代わりとなって死亡する。

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