第五章 四話 「戦いの前、最後の会話」
文字数 4,496文字
「ヘリは完全に破壊され、ひどい状態でしたが、遺体は発見されませんでした。」
「肉片すらもか?」
メイナードが奪って逃走に使用し、ジェイラス・ダーク大尉の放ったFIM-43レッドアイによって撃墜されたUH-1ヘリの残骸は今は"ゴースト"の航空部隊が機体を収納しているのと同じ格納庫に隠匿され、リロイが本国から引き連れてきたCIAの技官達によって、徹底的に調査されていた。
「はい。機体の残骸からは僅かばかりのDNAを検出することができましたが、残念ながら標的の死亡を断定することはできないレベルだそうです…。」
無念そうにそう言ったコーディだったが、その言葉に食いついたのは上司であるリロイではなく、ヘリを撃墜したダーク大尉の方だった。
「マッハ一.七のMANPADS(携対空ミサイル)が数百メートルの距離で直撃したんだ!生きていられるはずがない…!」
目の前の事実を否定し、何としてもメイナードが死んだことにしたいダークの様子を見て、リロイはそれとなく彼の心情を理解した。自分自身を地球上で最も優れた兵士だと思っているダークはそんな自分を軽く超える存在が現れたことを何としても否定したいのだろう。だが、メイナードが並の人間の適うような相手ではないことを、かつて幾つもの死地を仲間として乗り越えてきたリロイは身に沁みて分かっているがために、ダークの態度はかえって痛々しく見えた。
「大尉がミサイルを準備している間に奴はヘリコプターから飛び降りたんかもしれん。」
コーディは静かに諭したが、プライドから来る執念に取り憑かれたダークの反論は止まらなかった。
「しかし、ヘリは撃墜される直前、確かに回避行動を取りました!撃墜直前まで奴がヘリに乗っていたという証拠です!」
ならば、ヘリの爆発すらも凌いで、あいつは生き延びたのだ…。リロイはそう言いたい気持ちを抑えて、ダークの肩を優しく叩いた。
「君の意見は十分理解した。我々も奴が君に殺されたと信じたい。だが、確証がない以上、今は再度の襲撃に備えて準備していてくれ。」
事実を否定しないながらも、ダークの苛立ちを上手く丸めたリロイだったが、心中は穏やかではなかった。
奴がここを再度襲撃することなど、絶対に無い…。あるとすれば、ブラボー分隊との合流のみ…。その前に何としても"サブスタンスX"を我々が確保せねば…!
メイナードが言っていた絶対正義の世界、絶え間ない暴力と戦争が真に生きるべき人間を取捨選択するという世紀末的な世界を想像したリロイは身震いする感覚を抑えながら、部下達にメイナードとブラボー分隊の捜索続行を命じた。
時刻は午前五時、東の空が薄っすらと赤らみ始めた頃、タン中将の南ベトナム軍レンジャー中隊は事前の作戦会議での決定事項に従って、既に臨戦態勢を整えていた。タン中将と四十人のARVN(南ベトナム軍)兵士が南を防衛し、ウィリアムとイーノックが三十人のARVN兵士とともに北側の防衛を担当、残った三十人の南ベトナム軍兵士が待ち伏せより帰還したリーとアーヴィングとともに北西側を防衛する形で整えられた防衛線には作戦会議での予定通り、迫撃砲から救命所、指揮所までに至る全ての機能が最前線に集結していた。
そんな防衛線の北側、ジャングルに掘られた塹壕の一つの中でウィリアム・R・カークスは待ち伏せから帰還した部下から聞いた報告を思い起こしながら、戦いの準備を進めていた。
アールが単独で敵陣に潜入した…。その報告に別れの時に感じた予感が現実になるような不安を感じ、武器を準備しながらも、ウィリアムの頭の中からは敵地で孤立している部下のことが離れなかった。
イアン、クレイグ、ジョシュア…、私は更に部下を失うのか…?
新たに部下を失うことに対する不安が襲ってくる中、その一方でここに居ることの出来なかった部下達のためにも絶対に作戦は完遂しければならないという意思も彼の中で強くなりつつあった。数十メートル後方で狙撃の位置についているイーノック、北西側の陣地の防衛についているアーヴィングとリー、敵地へと単独で切り込んだアール、そして作戦のために自らの身を殉じたイアン、クレイグ、ジョシュア、七人の部下達のためにウィリアムは傍らで身を丸めているユーリと彼の持つ"物質"だけは守らなければならないと心に決めていた。
世界が破滅するかもしれないという机上の空論よりも自分は部下達の信念を守りたい…。そう胸に決めていたウィリアムはM16に最初の弾倉を装填すると、傍らのユーリの肩に手を置いた。
「何があっても、君だけは守る。私の部下達のためにもな…。だから、私から絶対に離れるな。」
ウィリアムを見返したユーリ目にも何としても生き残るという強い意思があった。ブラボー分隊の隊員達が抱いている葛藤を目の前で目撃した彼は自分の命が自分だけのものではないと痛み知っているのだろう、とウィリアムは推し量ったが、ユーリの生きようとする意思の理由はそれだけではなかった。
「本当は復讐したかったんです…。」
再び武器の点検に意識を集中させようとしていたウィリアムは突然、発せられたユーリの声に驚いて思わず聞き返した。
「復讐?」
ユーリは静かに頷き返すと、自分の言葉の真意を説明し始めた。
「僕の父親も科学者でした…。」
第二次世界大戦前後、反ユダヤ主義が広がっていたソ連でユーリの家族は迫害を受けていた。難民としてアメリカへ脱出することにも失敗し、貧しい生活の中で苦しんでいた大戦の末期、ユーリはまだ赤子だったが、彼の父親は家族を残して唐突に姿を消した。
「研究の功績が認められ、アメリカに渡ることができたんです。」
家族にまた戻ってくると言い、国を去った彼の父親はしかし、再びユーリ達のもとに戻ってくることはなかった。事故にあったのか、突然に途絶えた父親の消息に悲しみながらも、ユーリと兄弟達を育て上げた母親の生き様は力強かったが、その母が父親の形見である衣服を抱いて静かに泣いている姿をユーリは何度か見ることがあった。
「父が消えてしまった理由を、そのまま知ることがなければ良かったんです…。」
ユーリはウィリアムに静かにそう言ったが、現実はそのようにはならなかった。ユーリが二十歳の時、突然彼の研究室を訪れたKGBの局員が彼の父親の居場所を暴き出したのだった。
「父親はアメリカで生きていました…。」
マンハッタン計画…、アメリカが対独・対日戦に勝利するための切り札として、核分裂連鎖反応を利用した新型爆弾を開発するために、世界中の英知を結集した作戦計画。ユーリの父親はその計画の中心に関わっていたことをKGBの局員は彼に知らせた。そして、マンハッタン計画の成就に大きな貢献をした父親がその見返りにアメリカでの新たな戸籍と永住権を与えられ、自由の国で今は新しい家族も居るということもユーリは同時に知ることとなった…。自分を、家族を捨てた父親が異国の地で新たな人生を手に入れ、新たな家族とともに幸せを謳歌している…。ユダヤ人迫害の厳しい生活の中で生きてきたユーリがその事実を知った時の感情はウィリアムにとって想像しえないほど壮絶なものがあった。
「復讐を誓いました…。だが、父親の存在は遠く届かない。そんな時に…。」
KGBの士官はこう言った。
「核を、君の父上が創った兵器を無効化する技術を完成させれば、父親に復讐できるのではないか?」
子供騙しのように聞こえるその言葉はしかし、父親の裏切りを知ったばかりのユーリには、とてつもない行動の起爆剤となった。復讐の念を研究の力に変え、それまで以上に"ある物質"の完成に心血を注ぎ続けたユーリは十年近くの歳月の後、遂に父親の創った最強の兵器を亡き者にする技術を創り上げた。それが"サブスタンスX"だったのだ…。
「そうだったのか…。」
今まで"救出対象"という存在でしかなかったユーリにも自分達と同じ重たい過去があったことを知ったウィリアムにユーリは続けた。
「だから、今は死ねません…!この"サブスタンスX"を渡すべき人のもとに預けるまでは…!」
その言葉にはユーリの生きたいという強い思いが籠もっていた。その声を聞き、目を見返したウィリアムに既にアールの安否を不安に思う迷いは無く、これから赴く戦いに対する覚悟だけがあった。
「その願いを果たすまで、君の身は我々が必ず守る…!」
ウィリアムがユーリの意外な過去を耳にした時、二人が身を隠す塹壕から数十メートル離れた熱帯樹の陰ではイーノック・アルバーンが愛銃のH&K HK33SG/1のスコープを最終調整しているところだった。軍事顧問団基地での戦闘に加え、ジャングルでの激戦…、予定以上の長期戦によって、各所に狂いが生じてきていたマークスマンライフルをタン中将の部隊から入手した補修キッドで修理していたイーノックはふと傍らの茂みをかき分けて現れた小柄な陰に驚いて、整備中の銃を地面に落とすところだった。
「すまんな、最後の調整中だったか…。」
現れたのはトム・リー・ミンクだった。
「軍曹…。」
安心感とともに、表現しようのない気まずさがイーノックを襲った。あの掩体壕での一件以来、彼はリーやアーヴィングとは話していない。特にジョシュアが死んだ時に激昂したリーとは関係を元に戻せないのではないかと、イーノックは心の何処かで思っていたのだったが、唐突に現れた上官は彼の想像していたことなど全て杞憂だと証明するかのように優かった。
「最後の戦いの前に、どうしてもお前に話しておきたいことがあってな…。」
そう言ったリーはイーノックの肩に手を置いた。
「俺は見ての通り、戦闘狂だ。だけどよ、人を殺したいがために無差別に人間を殺すようなやつに俺はなりたくはない。ましてや、誰かの命令のために何も考えずに人を殺めるなんて、まっぴらゴメンだ。」
自分の顔を見返し、静かに話を聞く部下を相手にトム・リー・ミンクは続けた。
「お前はそれを俺に思い出させてくれたんだ…、これで例え死んだとしても、俺は自分の信念と一緒に死ぬことができる。だからよ、何というかな…。」
上官の感謝の言葉、最期の別れの言葉のようにも思える言辞にイーノックは何か気の利いた答えを返そうと思ったが、彼に与えられた短い時間の中でイーノックに見つけられる言葉はなかった。
「リー軍曹…。」
ただ、そう呼び返すことしかできなかったイーノックに微笑みかけたリーは次の瞬間、表情を引き締めると、新兵に別れの言葉をかけた。
「ありがとよ、ルーキー。死ぬなよ、新兵!」
その言葉を残して、茂みの中へ立ち去っていたリーの後ろ姿を見送って初めて、イーノックは返すべき言葉を見つけた。
「俺の方こそありがとうございます…。」
それが自分に兵士というものがどうあるべきかを教えてくれた上級軍曹に対する、彼なりの精一杯の感謝の言葉だった…。