第四章 一話 「希望の終わり」
文字数 3,085文字
青年のそんな姿をコントロールルームから強化ガラス越しに見つめていたウィガムは助手から検査の準備が整った旨を伝えられると、検査室の中のスピーカに回線が繋がっているマイクを口元に近づけた。
「それでは、最初の検査を始めるぞ。いつも通り、力は抜いて体はなるべく動かさないように。気分の悪さなどはないな?」
「大丈夫です、先生。」
検査室の中から返ってきた返事を確認したウィガムは傍らの助手に目配せすると、手元の電子装置のスイッチを押した。
騒々しい機械音とともに、検査室の中の機器が動き出し、放射線の光が青年の体を透視し始めた時、コンピューターを操作して、いつものようにデータを取得するための作業をしていたウィガムの肩を誰かが後ろから叩いた。
「今は忙しい。見て分かるだろ、後にしろ。」
助手だと思い、不機嫌な声で返したウィガムだったが、返事を返した男の声は細見の助手のものとは似ても似つかぬ野太い声だった。
「そうはいかん。私は統合参謀本部からの命令を受けて来ている。」
すぐ背後で発した太い声に驚き、ハッとして振り返ったウィガムはしかし、背後に立っていた軍服姿の男が余りにも長身だったために、その顔を見上げようとして首を痛めてしまった。
「あ…、あんたは一体…。」
ウィガムが見上げた長身の男は顔の右半分に大きな傷跡があり、その風格は研究者とは明らかに異なるものだった。
「統合参謀本部より命令を伝えに来た。私達の名前も、階級も、所属も、君には知る権利がない。」
動揺するしかなかったウィガムは有無を言わせぬという男の態度に強い怒りを感じ、
「そうか…。では、所長に確認させてもらう。」
と言って、すぐ手元の有線電話の受話器を手に取ろうとしたが、その前に男の背中を越えて聞こえてきた研究所長の声がそれを遮った。
「私の許可なら、既に出している。」
その声に驚いたウィガムの前で、大柄な軍人の男が体を退けると、その後ろから研究所長が姿を現した。
「しょ、所長…。しかし、何故…?」
「この国の大義のためだ。君の研究目的と同じだよ…。」
動揺するしかないウィガムの前で、大男の横に並んだ小柄な所長は白衣のポケットに両手を入れたままで答えた。
「彼は"愛国者達の学級"に編入させる。」
「"愛国者達の学級"?」
所長の言葉に続けて喋った大男の言葉の真意が掴み取れなかったウィガムは聞き返したが、格下の彼に大男が返答するはずはなかった。
「君は知る必要はない。」
代わりに、そう答えた所長が続けた。
「今、極東の地では今後の世界の覇権を争う戦いが起きとる…。大統領はありとあらゆる手段を取って、その戦いに勝利しようと考えておられるし、それこそが我が国の生き残る唯一の道であると、ワシも感じとる…。それが故に彼らの申し出を許可した。」
所長が傍らを見て言うと、軍服姿の大男は深々と頭を下げた。
「まさか…、彼を兵士として使うつもりですか!彼は民間人に過ぎないんですよ!」
「だが、死んだはずの民間人だ。」
味方だったはずの上司が敵に回っても必死で抵抗しようとするウィガムに、能面のような表情で見下ろした大男は冷徹な口調で言い下した。
「何?」
思わず反感の目を向けたウィガムだったが、大男は大きな傷のついた顔の表情を何一つ変えることなく、冷たい口調で続けた。
「記録には何も残らん。かえって我々には好都合だ。それに運動能力に関しても、目覚ましい才能を発揮しているらしいではないか?」
「しかし!軍人でもないあの子を戦争に利用するなど…、所長が何と言おうと私が許さん!」
自分より一回り以上大きな体の相手に対しても、如何として退こうとしない姿勢を見せた研究者に対して、感心と苛ちの念を込めて、ほう…、と呟いた大男は続けた。
「この国では一八歳になれば、男は皆徴兵され、戦地へと向かう。自分を守り、育ててくれた国家に恩を返すためだ。そして、その男はどうだ?君が研究資料として引き取ってきた七年前から食べるもののも、着る服も、住む場所も、全てこの国が与えてきた。それにも関わらす、その恩を返さんというのは人の道を外れているのではないのかね?」
男の冷徹な言葉に飛びかかりそうになったウィガムだったが、二人の間に入った所長がそれを止めた。
「所長!どうして、こんなケダモノの言うことを聞くんですか!」
激しい剣幕で喚き、己の意思を曲げない部下の肩に優しく手を置いた所長は静かに口を開いた。
「ウィガム君、もうすでに決定したことなのだ…。我々には、どうすることもできん…。」
「しかし、所長…。」
食い下がろうとするウィガムの言葉を所長は片手を上げて遮った。
「この七年、多くの研究資金と人材を投じて、我々は彼の体を研究してきた…。だが、しかし、我々は彼の体に起きたあの奇跡に一歩でも近づけただろうか?否、私達はその尻尾すらも掴むことはできなかった…。」
「そうかもしれませんが、しかし彼を戦争になど…。」
もう既に自分の意思が通らないことが殆ど確実になった状況でも何とか抵抗しようとしていたウィガムの脳裏には、七年前のあの日に長崎で見た無残な光景の数々が蘇っていた。そして、少年と出会った時に見つけ出した己の使命も思い出していた。青年の体に起きた謎を解明したとても、彼が、いや人類が破滅の恐怖から逃れられるとは限らないのだが…。
己自身の人生の使命を捨て、再び恐怖に飲み込まれなければならない決断を迫られたウィガムは判断を下せず、震える手を握って沈黙する彼の脇を通って、大男が青年の居る検査室の方に向かおうとした時だった。
「俺は行きます。」
検査室の扉の方から聞こえてきた芯の通った声に、ウィガムは勿論、部屋の中にいた全員が声の主の方を振り向いた。
「メイナード…。」
コントロールルームで言い合う声を検査室の中から聞いていたのか、自力で検査装置を取り外して、部屋の中から出てきていた青年が全員の姿勢の先に立っていた。数秒の沈黙の後、コントロールルームの部屋の中に乾いた笑い声が響き渡り、先程まで仏頂面を貫いていた大男がその顔に笑みのの表情を見せると、隣に立っていた部下に目配せした。
「服を着ろ、新兵。これまでの生ぬるい生活は今終わった。覚悟を決めろ。」
部下が青年に軍隊用の作業服を渡すとともに、そう言った大男に、
「覚悟なら、とうの昔に決めています。」
と短く返した青年はウィガムが言葉を失っている間に、素早く作業服を着ると、「お世話になりました。」と一言だけ残し、軍人の男達よりも先にコントロールルームの部屋を出ていった。その余りにも呆気ない終わりに、ウィガムはかける言葉も、これから為すべきことも見いだせぬまま、ただ立ちすくむことしかできなかった。
要件を済まし、青年に続いて部屋を出ていった軍人達の後ろ姿を絶望とともに見送ったディエゴ・ジョ・ウィガムが、閉め切った自家用車の中で練炭を焼いて自らの命を絶ったのは、それから僅か一週間後のことだった。