第二章 四話 「訓練」
文字数 3,503文字
「大丈夫か。」
不意に背後から掛けられた声に振り返ったウィリアムの傍らに装備を担ぎ、アーマライトAR-18をスリングで肩にかけたサンダース少佐が立った。メイナード大佐直属の部下で"ゴースト"実働部隊の指揮官を務めるサンダースはまだ暗い空のどこか遠いところを見つめていた。
「お前、まだ"彼"を見るんだろう?」
ゲネルバでの作戦の翌日、開かれた査問会議の資料は封印されているから、あの場にいなかったサンダースがあの夜に起こったことを知っているはずはない。ウィリアムの日頃の様子を見ただけで判断したのだ。前の戦争ではグリーンベレーで部隊指揮を三年間務め、その間に率いた部隊では一人の死者も出さなかったこの男には恐ろしい洞察力があった。
「問題はありません。」
冷静に即答したウィリアムだったが、サンダースの目は彼の本音を見抜いているようだった。
「本当にそうなのか?」
これ以上、この男に嘘を言っても見透かされるだけ…。声にする言葉を失い、ウィリアムが首を横にふると、「なぜ、引退しなかった?」と当然の問いが投げ掛けられた。ウィリアムは傍らの上官の顔を見上げた。責めているわけではない、ただ、お前の行動の理由を知りたいだけだ、というサンダースの思いがその眼の中に宿っていた。
「あの戦争で心に傷を負ったのは自分だけではありません。部隊を置いて自分だけ逃げる訳にはいきませんから…。私は自分と戦うことを選んだんです。」
背後から話声が聞こえてきて、装備の準備を済ませたアルファ分隊の隊員達が格納庫の方から、こちらに近づいてくるのが見えた。彼らの存在に気づいたサンダースは、「なるほどな…。」と頷くと、ブラックホークの方へとゆっくりと歩いていった。
「だが、お前が戦場で正気を失って、危機に陥るのは部下達だ。それだけは忘れるな、ウィリアム。」
最後に背中をこちらに向けたまま、そう言ったサンダースは整備を終えてターボシャフトエンジンの甲高い起動音を上げ始めたUH-60Aの兵員室の中に消えていった。
「行くぞ!訓練開始!訓練開始!ヘリに乗れ!」
時計の針が午前五時を示すとともに、アール・ハンフリーズとアレックス中尉の声がB棟格納庫に響き、出撃の準備を整えていた"ゴースト"の隊員達が装備を手に一斉にヘリへと走り出した。イーノック・アルバーンも他の隊員達に続き、右手にH&K HK33SG/1マークスマンライフル、左手に背嚢を持って走り出したところで、トム・リー・ミンクに飛び付かれた。
「大尉がガバメントを使う理由には触れちゃいけねぇ!」
「なっ、なんでですか…?」
ヘッドロックをした状態で耳元で囁いた先輩兵士の低い声に、イーノックは若干上目遣いで問うた。
「理由は俺らもよく知らんが、とにかく聞くのは不味いらしいんだ…。どのくらい不味いかというと、浮気されて相談しに来たやつに浮気された理由を聞くようなもんだぞ…!」
「浮気の理由を聞くのが、そんなに不味いんですか…?」
分かりにくい例えに要点をいまいち掴み損ねたイーノックの肩をリーは溜め息をつきながら叩いて念押しした。
「まぁ、良いからよ。大尉のガバメントについてはあまり触れないことだ、いいな!」
そう言って、ヘリコプターの方へと走り去っていった先輩兵士の背中を見送りながら、「理由て…、何だ…?」と暫く呆然としていたイーノックだったが、「ルーキー・スナイパー!早くしろ!」とブラックホークの機体を叩きながら叫んだ整備員の言葉に我に帰ると、ダウンウォッシュの逆風が吹き荒れる滑走路を飛び出し、離陸直前のUH-60Aブラックホークのキャビンに搭乗した。
午前五時五分、二機のUH-60Aはタイ王立空軍基地を飛び立った。着陸車輪が地面を離れると同時に隊員達の体に浮遊感が襲いかかり、ブラックホークは一気に高度百メートルまで上昇した。
「こちら、イーグル・ワン。NOE(地形追随飛行)で行く!イーグル・ツー、高度を上げすぎるな!」
隊内イヤホンにサンダース少佐のアルファ分隊が搭乗したイーグル・ワンとウィリアム達の乗るイーグル・ツーのパイロット達が互いに無線で意思疏通するのが聞こえる。イーグル・ツーの二人のパイロットは先日のゲネルバでの任務でウィリアム達を輸送したC-123Bのパイロットを務めたハル大尉とオコーナー中尉であった。
「いや~、アジアの景色ってのは、やっぱり良いなぁ…。」
「冗談でしょ…。こんなくそ暑いのに…。」
隊内無線はパイロットの会話もオンにされているので 、マイクを押さえずに話す二人の声はウィリアム達にも聞こえていた。
「ここには、アメリカと違って、原始の人の暮らしがまだ生きてる。あの人達みたいにな…。」
ハル大尉が操縦桿を握っていない右手で指差した先では水牛を引き連れた現地の農民が水田の土手の上を歩いていた。一瞬の内に、ヘリコプターの下に消えていったその姿を眼の端で追ったオコーナー中尉は、嘆息をついた。
「アメリカでもグレートプレーンズの穀倉地帯に行けば、あんな景色、地平線の果てまで幾らでも見れますよ。」
「馬鹿、違うんだよ。うちの国のはでっかい機械使って、農薬巻きまくって、ありゃ、まるで…。」
「効率化の産物です。人間は自由になりました…。緑の革命に、機械化革命…。」
「いや、効率化より、人の元来の生き方が残ってるのが良いんだよ。分かってくれよな…。」
二人の会話を聞いていたトム・リー・ミンクはマイクを手で覆うと、黒色のサングラスの下からイタズラげな目を向けて、隣のイーノックに話しかけた。
「ヘリコプター・パイロットは、いつもあれだ。暇なもんだから、口だけは哲学者並みに喋りやがる…。エヘヘヘヘヘ…。」
二機のUH-60は高度数十メートルを高速で飛行していたので、イーノック達の眼下には手を伸ばせば届きそうな距離を現地の農民達の生活の風景が流れていっていた。
多くの最新兵器を使用する任務の性質上、飛行場は人目につきにくい田舎の中に作られていたので、周囲を囲むのは緑一色の山々、林、そして水田ばかりである。広大な土地には人の姿も、ちらほら見えるが、土地の広さの割りには全く居ないと言って良かった。ハル大尉が言った通り、この土地の生活は全てが原始時代の面影を残したままだった。そして、それが故なのか見ていて苦痛がない。マンハッタンの人混みを見るのとは違って、疲れずに済むのだ…。
「見えました!あれです!二時の方向、あそこが訓練場になります!」
隊内無線にコ・パイロットのオコーナー中尉の声が響き、ヘリコプター内の一同は一斉に機体右側の窓に殺到した。
「おお…、すごい…!」
「でけぇな、再現度も高いぞ!」
思わず、声を漏らしたイアンの隣でリーが歓喜の声をあげた。ウィリアムも彼らの背後から訓練場の姿を一目見ようとしたが、スライドドアの窓ガラスから訓練場の建物の一画が見えた瞬間に、ヘリが降下し始めたので、林の木に視界を遮られて何も見えなくなってしまった。
「敷地面積は、大体六〇万平方メートル…、偵察機からの航空写真を元に再現した訓練場内は建物や機銃陣地は勿論のこと、戦車やヘリコプターのダミーまで設置しています。」
オコーナーの説明に、「本格的だな…。」とイアンが呟く一方で、「敵役は誰がやるんだ?」とリーが疑問を挟んだ。隊内無線にオコーナー中尉の落ち着いた声が返ってくる。
「岩倉部隊だと思います。彼らの中にはCIAから特殊部隊の訓練を施された者もいますから…。」
「なるほど、日本人もベトナム人も同じアジア人で体格も似てるしな。」
イアンは感心したようだったが、リーとアーヴィングには、まだ判然としないことがあるようだった。
「だが、ロシア人の真似はできんぞ…。」
「良いから、みんな降りろ。」
ヘリコプターの着陸車輪が地面に付くと同時に、スライドドアを勢い良く開いたアールが隊員達を急き立て、ブラボー分隊の隊員達はUH-60の機内から地上へと飛び出していった。部下達の後を追って、地面に降り立ったウィリアムは上昇するUH-60を背にして、これから始まる訓練に備えて、右腰のホルスターから引き抜いたコルト・ガバメントの遊底をスライドさせ、模擬弾の初弾を装填した。再び、ホルスターに収められたガバメントのスライドには"彼"の名前が彫りこまれていた。