序章 十話 「断罪」
文字数 2,916文字
「敵影なし!クリア!」
倒れた敵の死を確かめ、暗視装置の眼で部屋を見回したウィリアムは、背後でドアの周辺に展開して、廊下を警戒をしている部下達に呼び掛けた。
「アルファ分隊は爆弾の設置にかかりました。急ぎましょう。」
部屋の中に入ってきたアールがそう言いながら、ウィリアムに煤がついたコルト・ガバメントを手渡した。爆死した敵の小隊長が所持していたものだ。スライドを開き、薬室の中を確かめて、動作に問題のないことを確認したウィリアムは頷き返すと、部屋の片隅で頭に布袋を被さられた上に両手足を縛られている大使達の側に暗視ゴーグルを外して歩み寄った。
立て続けにすぐ側で起こった銃撃にパニックになり、ガムテープで縛られた口の下から悲鳴をあげ続ける女と二人の子供達の横に並んで縛られている男の前にウィリアムは屈むと、男の頭に被せられた布袋を取り払い、口を縛っているガムテープを外してやった。暴行を受けて腫れ上がった顔は憔悴もあって、作戦前に写真で確認したものとは、かなり異なっていたが、状況からして、この男が標的であることは間違いなかった。
「駐ゲネルバ特命全権大使のマシュー・アラン・リードさんですか?」
「あっ、ああ…、そうだ…。あんたは?」
閃光手榴弾の爆音で麻痺した聴覚に、微かに聞こえる目の前の黒人特殊部隊員の声に対し、リードは必死に頷きながら問うたが、ウィリアムは答えなかった。
「お隣の方はご家族で間違いないでしょうか。」
リードは他の三人と比べれば、パニックにも陥らず、落ち着いていた。だが、ウィリアムは弱った彼の聴覚でも聞こえるよう、大きくゆっくりと喋った。
「ああ、そうだ…。助けに来てくれたんだろう?」
「奥さんと初めて会った場所は?」
全く自分の言葉を聞こうとしない黒人の特殊隊員に不審を抱きつつも、リードは答えた。
「ナショナル・モール国立公園だ…。」
「ご長男が生まれたのはいつですか?」
憔悴しきった頭では、簡単な質問に答えるのも堪えた。しかし、それでも助けて欲しい一心でリードはしっかりと質問に返答した。
「一九六二年の三月だ…。三月十五日…。」
「有難う御座います。助かりました。」
「あんた、助けに来てくれたんだろ…、おい!なにする…ッ!」
縛られた四肢をばたつかせるリードの口に再び、ガムテープを張り付け、頭に布袋を被せたウィリアムは腰をあげると同時に、右手に握ったコルト・ガバメントの銃口をリードの頭に突きつけた。
部屋の中に閃光が走り、銃声とともに金属製のスライドが後退して、発射された九ミリ弾がリードの頭蓋に突き刺さった。隣で轟いた銃声に、妻と子供達の形にならない悲鳴が一瞬大きくなったが、続いて弾けた三発の銃声が彼らの叫びを永遠に静まらせた。
オペレーション「CONDEMNATION」、裏切り者への断罪…。KGBの工作員を通して、東側へ機密事項を流している駐ゲネルバ特命大使を籠城事件に紛れて暗殺せよ…。無抵抗の人間、それも女、子供を含んだ彼らを一方的に殺すのは人間として後ろめたさを感じずにはいられない任務だったが、コルト・ガバメントの引き金を引いた時、ウィリアムの心と体は完全に切り離されていた。
.四五ACP弾に頭を撃ち抜かれた四人の死を確認したウィリアムは背後を振り返り、アールとハワードに撤退のハンドサインを出した。
じきにメイナード大佐が工作員を通じてけしかけたゲネルバ陸軍の兵士達が突入してくる、その前に撤退しなければ…。
ウィリアム達が撤退の足を踏み出した時、隊内無線が開き、サンダース少佐の声が続いた。
「アルファ分隊は爆薬設置完了。退避経路も確保。」
「こちらブラボー分隊、所期の目的は達成。これより離脱する。」
ウィリアムの返答に骨伝導イヤホンから「アルファ、了解。」というサンダースの声が流れる。同じく隊内無線でそのやり取りを聞いていたハワードとアールに「急ごう。」と言ったウィリアムが、周囲に広がる地獄の光景を後ろにし、廊下に出る扉に向かって歩き始めたその時だった。
「ゲネルバ革命軍万歳!」
生き残っていた革命軍兵士が倒れた本棚の陰から飛び出しながら、スペイン語で叫んだその言葉はヒスパニック系のハワードにしか理解できなかったが、予想外の事態に部隊に重大な危機が生じたことは隊員全員が理解できた。
アールはすでに部屋の外に出ていて、廊下でリーとアーヴィングに撤退時の隊形について指示を出している途中だったので、部屋の中で起きた一瞬の出来事に対応することはできなかった。ハワードがMC-51SD消音カービンを構えたが、動作不良で弾が出なかった。錯乱した革命軍兵士の少年兵がFALライフルを向けているのはウィリアム、未だ何か訳の分からないことを叫んでいる敵の照準は彼に向いていた。ウィリアムには消音カービンを構える時間も、腰のホルスターからP9Sを抜く隙もなかった。彼が反射的に構えたのは先程、大使一家を殺害した際に使用し、まだ右手に握られたままのコルト・ガバメントだった。
暗視ゴーグルは装着していなかったが、"使いなれた"拳銃の照準を数メートル離れた少年兵のこめかみに定めたウィリアムの動きは、まさに神速という言葉そのものだった。後は引き金を引ききるだけ、すでにこちらに銃を向けた敵とどちらが早く引き金を引けるかという一秒の差が運命を分ける瞬間だった。
だが、ウィリアムに引き金を引くことはできなかった。
こちらに銃を向けた男に、コルト・ガバメントを構える…、その単純な行動が、ウィリアムが記憶の奥底に沈めて封印していた場面を呼び起こしたのだった。
「それがお前の信じる正義なのか?」
不意に遠く懐かしく、しかし聞きなれた声が響いた。実際に聞こえたのではない。彼の頭の中だけで聞こえた声だった。その声が聞こえると同時に、ウィリアムの目の前の視界がぐにゃりと曲がり、ああ、またこの感覚かという冷めた感慨とともに、引き込まれてはならないという警戒心が彼の中で働こうとしたが、すでに手遅れであった。
銃撃で破れたカーテンから入ってくる柔らかい銀白色の月の光、向けられたFALライフルの銃口、視界の隅で焦燥しているハワード、その全てが崩れ、真っ白な光の中にウィリアムの意識は取り込まれた。