第2章 罠 - 写真

文字数 1,785文字

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「ふざけやがって! 」

 さっきから武井は、そんな独り言を呟きながら、

 まだ明るくなり始めたばかりの街を疾走していた。

 買い替えたばかりのドイツ車のタイヤが、

 彼の乱暴な運転に度々唸り声を上げる。

 何度か道を間違え、それでもなんとか到着した武井は、

 大邸宅に似つかわしい大きな門の前に車を停めた。

 そして門脇に設置されたドアフォンの前に立ち、

 これでもかというくらいに何度も何度も呼び鈴を鳴らす。

 きっと家の中では、何事かと思っているだろう時、

 不意に彼の背後から声が掛かった。

「社長じゃないですか? こんな時間にこんなところで、いったいどうしたん
 です? 」

 慌てて声のする方を見ると、

 スポーツウエア姿の柴多が驚きの顔を向けている。

「ま、とにかく入ってください。かみさんもちょうど会いたがっていたんだ、
 どうぞ、どうぞ!」

 戸惑いながらも嬉しそうにそう言って、柴多が門の方へと2、3歩歩く。
 
 すると突然、武井が動いた。
 
 あっという間に柴多に駆け寄り、その胸ぐらを力一杯締め上げる。

「よくそんな顔を見せられるな? え? どうしてあんなことをしたん
 だ!? 俺への文句なら直接言ってくればいいだろうが!? 」

「ちょっと待ってくれ! 社長、あんた何言ってるんだ!? 」

「たかが会社の人事だろう? それを、あんな卑劣な手段で……」

「とにかく家に入ってくれ。こんなところで大声出されたら、近所迷惑になっ
 ちまうよ! 」

 そう言って困惑する柴多の顔を、武井はここぞとばかりに睨みつけた。
 
 ところがひと呼吸の後、フッとその指先から力が抜ける。

「おまえしか、知らないことなんだ……くそっ……」

 そう呟いて、彼はおもむろに柴多を突き放し、その身体を遠ざける。

 それから突然声のトーンを落として、

 今、この場所にいる理由のすべてを噛み砕くように話し始めた。

 それは見事に、柴多にとって身に覚えのないことばかり。
 
 しかし彼はこの時、不思議なくらいに何も言い返さずに、

 真剣な面持ちで武井の言葉に耳を傾ける。

「……だからもう二度と、俺はあんたの顔なんか見たくない。株主総会なんて
 こともするつもりはないぞ。とにかく、もう金輪際出社には及ばないからそ
 のつもりでいてくれ。もちろん、それなりのものは支払わせてもらうが、こ
 の決定に不服なら、訴えるなり何なり好きなようにしてもらって構わん。た
 だし何をするにせよ、ようく覚悟を決めてからにするんだな……」

 何を仕掛けてこようとも……、

 ――俺は徹底的に、おまえを叩き潰してやる!

 まさにそんな顔を見せて、武井は彼から背を向ける。

 そして悠然とした足取りで車へと乗り込み、

 急発進で走り去ってしまうのだ。

 そんな時不意に、立ち尽くす柴多の背後から慣れ親しんだ声が聞こえる。

「さあ、これからは、思う存分旅行三昧の生活が送れるわけね。早速今日2人
 で、とことん旅行会社のはしごでもする? 」

 驚いて振り向くと、知らぬ間に柴多の連れ合いが横にいて、

 彼と同じ先を見つめて笑っている。

 一度は、会社を辞めたいなどと漏らしていた柴多だった。
 
 しかしその夜、彼は妻からの一言で、

 折れ掛かっていた心を再び復活させていたのだった。

「あなたにこんな生活をくれた人じゃない? やり方が気に入らないからっ
 て、関係を断ち切ろうとするなんてあなたらしくないわ。武井さんが間違っ
 ていると思うなら、正しいと思う方向へ導いて差し上げればいいじゃないで
 すか? あなたの方が、10歳も人生の先輩なのよ」

 そんなことを言って、「頑張って……」と、柴多の肩を叩き励ましていた。
 
 しかしこの瞬間から、妻の望みも叶わぬものへと成り果てる。

「あなたが何をしたのかは知らないけど、ほら、ここでいくら考えたって始ま
 らないわ! さっさとシャワー浴びてきて! とっくに朝食ができてるわ
 よ! 」

 そう言ってすぐに歩き出した妻の後ろ姿を、

 柴多は驚きながらも安堵の表情を浮かべて、

 しばし眺め続けるのであった。
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