第2章 罠 - 山瀬美咲

文字数 1,357文字

             山瀬美咲


 新たに入院した先は、武井が経営に関わっている大病院で、

 その分、なんでも思う通りにことが進んだ。

 彼の入った最上階の個室は30坪もあり、

 専用のバス、トイレ、キッチンの他、応接室までが備え付けられている。

 そこで武井は朝っぱらからステーキを食らい、

 消灯時間には、酒で酔いつぶれるという入院生活を送った。

 そんな毎日は彼にとって、

 人生で初めて体験する楽しくも愉快な時間となる。

 もちろんこれまでも、彼の食してきたものは高級といえるものばかり。

 しかし己の年齢を考えそれなりに我慢もしていて、

 本格的な食事は夕食だけと決め、

 それだって仕事で遅くなれば、食べないことだってあった。

 炭水化物を極力控え、運動を欠かさぬようジムにも通う。

 すなわち、人生の成功を摑み取るには、

 些細な雑事に惑わされぬ精神力が欠かせない。

 そのためには、強靭な肉体こそが必要なのだと、

 彼はこれまでずっとそう考えて生きてきた。

 ところが人生における初めての入院で、武井の何かが変化する。

 当初は、退院してまた鍛えればいい、そんなふうに思っていた。

 ところが日々膨れ上がる苛立ちに、

 気が付けばそんな気持ちさえ跡形もなく消え去った。

 ――どうして……誰も見舞いに来ないんだ!?

 毎日来てくれる秘書課の人間は、

 用事さえ済ませばあっさりと帰ってしまう。

 もちろん仕事絡みの見舞客は、その頃でもそれなりにあるにはあった。

 ――しかしどうして、あいつらは姿を見せん!?

 あの写真に撮られていた女性誰1人として、

 優子同様、病室に姿を見せてはいなかった。

 もちろん彼の事故のことは、

 どの新聞にも載っていて、知らないということはまずあり得ない。

 ――くそっ! 何が愛してるだ……ふざけやがって……。

 別居しているとはいえ、きっと病室には優子がいるんだろうと、

 そんなことを思ったのかも知れない。

 しかし実際には、ただ愛人だと名乗らなければいいのだ。

 病室で誰かと鉢合わせしても、秘書だとでも何でも、

 相手に合わせて適当に嘘を言えば済むことじゃないか? 

 彼はそんなことを思って、日に日に苛立ちを募らせていった。

 武井は女性と身体の関係になると、いつも相手の口座を聞き出し、

 何も告げぬままその口座に金を振り込んだ。

 そんな時、初めは驚いた顔を見せ、

 中には現金でそのまま返そうとする女性だっていた。

 しかしほとんどの場合、2度3度と続くにつれて何も言ってこなくなる。

 そうしてでき上がった愛人という関係上、

 ある程度の打算が生まれるのは当然のことだった。

 ところが、彼はそんな関係を自ら作っていながらも、  

 ――やっぱり、金が目的か……ちくしょう! だから女なんて……。

 そんなことを心に強く思うのだった。

 そうしてますます、彼のアルコールの量も増えていく。 

 ある朝、それは2日酔いの気分の悪さに辟易している時だった。

 自ら電話をして、

 女たちを呼びつけてやろうかと、思い始めていた頃のこと……。
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