第7章 はじまり - 中津の混乱(3) 

文字数 1,145文字

中津の混乱(3)


ところがだ。

 そんな叫びへの応えが、いきなりすぐ目の前から返ってくる。

「ちょっとお! 勝手に殺さないでよ! 」

 ――え?

「本当に死ぬかと思ったわよ、まったく……」

「愛ちゃん……生きてたの? 」

 中津のそんな震える声に、愛は上半身をゆっくりと起こし、

 まさに苦々しいといった表情を見せた。

 それから真っ赤に染まったワンピースを胸まで捲り、

 胴部に巻き付いた袋らしきものを次々と取り出していく。

 そして最後の1つを放り投げると、呆然と見守っている中津へと、

「まったくう! 中津さん遅過ぎだよ! チャイム鳴らないから血糊出せない
 し、いきなりナイフ出されちゃって……ああ怖かった! 」
 
 愛はそう言ってから、やっと頼りなさげな笑顔を見せるのだった。

 愛が取り出した袋、それは腹回りに巻き付けてあったいくつもの血糊袋で、

 その中の2つが破れて中身が流れ出てしまっていた。

 本当はチャイムが鳴り響いたのを合図に、

 次々と血糊を吹き出させる手はずだったのだ。

 ところが、無線機の不具合によってすべての段取りに狂いが生じる。

 そのせいで愛はどうすることもできずに、

 瞬く間に武井に刺されてしまっていた。

 そして今、袋が取り除かれた胴回りには、

 まるでコルセットのようなものがぐるりと巻かれている。

「最初チクッときた時、本当に死ぬかと思っちゃった」

 そう言いながら、愛が腹巻きのようなものを外すと、

 へそのすぐ下辺りに赤い血の跡が付いている。

 もともと革製の袋自体、そこそこの抵抗にはなっていたのだろう。

 しかし、もしその腹巻きをしていなければ、

 あるいは武井が出刃包丁などを突き付けていたなら、

 きっと今頃は、それどころでは済まなかったに違いない。

 愛は血糊による冷え対策に、

 電池式の電熱腹巻きを着用していて助かっていたのだった。

 当初の予定では、目の前に現れた女

(最後まで幽霊だと思ってもらえれば一番だった)が、

 勝手に血を噴き出し倒れた後、その段階で武井が逃げ出すのもよし、

 突然現れる中津に逮捕されても、

 いずれ逃げ出すように仕向ける手はずになっていた。

「とりあえず予定通り逃げ出してはくれたが、やつは飯田良子を殺したと本気
 で思ってる。一応、第一プランでこのままいくが、あいつの行き先によって
 は変更するかも知れん。とにかく充分気をつけてかかってくれよ」
 
 中津はマイクに向かって力強くそう告げた後、

 ふと、自分を見つめる愛に気が付く。

 そして思わず噴き出す彼女に、両手で顔を覆い隠しながらの大声を上げた。

「やだああ! 役の中と間違えちゃったわあ!! 今のウソウソ! 忘れてち
 ょうだい!! 」 
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