第5章 迷路 -  絆

文字数 1,017文字

                 絆

 
 電話が鳴っている気がする。

 懐かしい黒電話の音だ。

 昔アパートにあった電話も、

 確かこんな音だったと、

 心の片隅で微かに思う。

 そして実際に鳴っていたんだということを、

 武井はママの声によって知ることになっていた。

「ちょっと! それって本当の話しなの!? 」

 そう言って美しい顔に力が入る。

 しかしすぐにその顔もフッと力なく歪み、

「ここにいるわよ……うん、そう、わかったわ……じゃあ、そっちはお願い
 ね……」
 
 一転して静かな声でそう言うと、ママは多少乱暴に受話器を置いた。

 武井はそこで初めて、カウンターで寝ていた自分に気が付いた。

 ゆっくり顔を上げると、どこかを睨み付けるママの顔が目の前にある。

 その目には涙が浮かび、

 悲しみと怒りが混在しているように武井には見えた。

 さらにその視線の先に目をやると、

 どこかで目にしたような中年男が1人カウンターに座っている。

「ねえっちょっと〝西田〟さん! 由岐ちゃんに売らなかったんだって!? 
 どうしてよ!? どうしてあの子をそのまま帰らせたりしたのさ! 」
 
 西田酒店――そんなママの言葉で、

 さっき立ち寄った酒屋の看板が思い浮かんだ。

「そんなことしたら……どうなるかくらい、あんただってもう充分知ってるは
 ずじゃない! 」
 
 涙でぐしゃぐしゃになっていく顔を突き出し、

 ママは西田という男にそう言い放った。

「ねえ答えてよ! どうしてよ!? どうして売らないで返したのさ!? 」

 そこでやっと、狐に摘まれたような顔をしていた西田が、

「悪かったよ……」

 と、ボソッと一言だけ返す。

 そして、少しだけ申し訳なさそうな顔を見せながら、

「俺だって、ホントは売りたかったさ。でも、いい加減女房に言われちまって
 さあ。だってもう10万になるんだぜ。でも分かったよ、分かったって……
 どうせ、またなんだろ? いいよ、治療費でも入院費でも、何でも出すから
 さ、それであの子にも、ちゃんと謝るから、もう勘弁してくれよ……」
 
 子どものようにそう懇願する西田へ、

 ママはいきなり素っ頓狂な声を上げるのだ。

「そうなの!? 由岐ちゃんに謝るって!? それはいいことだわ! でもそ
 れじゃあ、あんたも、今から由岐ちゃんと、おんなじところに行って貰わな
 いとね! 」

「ちょっと、それ何よ、ママ、いったいどうしたっ……」

 ――ガッ! 

 いきなり、低くくぐもった音が辺りに響く。
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