第3章 恐怖 – 飯倉薫(7)

文字数 1,171文字

                  飯倉薫(7)


 「嘘つき!」

 「臆病!」

 「横暴!」

 「傲慢!」

 「恥知らず!」

 見事すべて......武井への罵倒に他ならなかった。

 まるで彼の人生すべて知っていたように、

 その存在そのものを否定し愚弄し続ける。

 そしてそれは不思議なくらい、そこそこに武井の本質を言い当てていた。

 たった1時間前には、この出会いを神に感謝したいとまで思ったのだ。

 しかし今やその反対で、彼を睨みつけ大声を喚き散らすこの女を、

 武井はもう1秒だって見ていたくはなかった。

「いいか! いくら金を持っていようとな、こんなところではなんの役にも立
 ちゃしないんだよ!」

 そう叫んで薫に背を向け、彼はひとりでさっさと歩き出してしまう。

 ――あんなやつ、あいつらに捕まってどうにでもなればいい! 
 
 心でそう呟きながら、武井は早足にその場から離れていった。

 そして遠のいていく間も、薫の罵声は止まらない。
 
 彼の行為を脅かしとでも思っているのか、

 いつまでも強気の言葉が連なり響いた。

 好きにしろ! 

 彼は心からそう思った。
 
 そう思いながらも、興奮する心の片隅に、

 欲望の残り香が舞い戻ってくるのを感じる。

 惜しいことをした……あんないい女には二度とお目にかかれない。
 
 そんな気持ちが、一時、彼の歩みを緩やかにする。

 するとそうして初めて、

 もはや薫の声が聞こえていないことに気が付いた。 
 
 黙ったのか? 
 
 ゆっくりと立ち止まった武井は、まさしく静寂の中に立っている。

 どう考えても、あの大声が聞こえなくなるほどの距離ではなかった。

 彼はそこで初めて、薫を残して来たことに、少しばかりの後悔を感じる。
 
 殺されるにしても、ただ命を奪うだけということにはなるまい。

 武井はそう思うと共に、

 心の奥底でジリジリと焦げ付くような苛立ちを覚えた。
 
 戻るべきか? 
 
 それともこのまま進んでしまうか? 
 
 しかしそんな彼の一瞬の躊躇は、すぐさま消え去ることとなる。

 それは、まるで力なく、何かに抗いながらであるかのように、

「うあ……助け、て……」

 静寂であるが故、なんとか聞こえ届いた薫の声だ。

 ――くそっ!

 忌々しさと共に、彼は勢いよくその身体ごと振り返った。

 しかし目の前には生い茂る緑の壁。

 そんなものに遮られ、薫の姿は見えようもない。

 ところが代わりに、予想だにしなかったものが現れる。

 見知らぬ男が、立っていたのだ。

 武井の肩くらいの背丈しかなく、

 目を見開き、あ然とする武井を見上げて……、

 男はニヤッと、笑って見せた。
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